16
「クサカリさんさ、仕事辛いの?」
「なんでだぁ?」
「だってクサカリさん、仕事の話した時凄く辛そうな顔していた」
 セツの顔を盗み見たクサカリは声に出さず、代わりに小さく頷いた。
 それを見たセツは「やっぱり」と言うと話しを続ける。
「あのさクサカリさん、あなたが出世したいって言うのなら別に良いんだけどさ、家族の為に自分を犠牲にしているんなら止めた方が良いよ」
「な、何言ってんだぁ」
「ただ何となく」
 セツの言葉にクサカリは少し考えて小さく唸ると、口調を荒げてセツに尋ねる。
「でも親が病気で小さな兄弟がお腹を空かしていたらどうだぁ? 辛くてもオラがやらなきゃ仕方無いだろ?」
 顔を赤くして訴えかけるように言うクサカリに、セツは少し驚いた顔をしたものの、相変わらずのふやけた顔で返事を返す。
「それなら仕方ないね」
「な……」
 あっさりと認めて鳥を見つめるセツに、クサカリは思わず驚きの声を漏らした。
 クサカリが見つめている事に気が付いたセツは、顔を上げて不思議そうに口を開く。
「だってそうでしょ? そういう理由があるのなら、他人はどうする事もできない。「仕事止めちゃえ」なんて言ったらその人の家族殺しちゃうようなもんなんだから。結局は本人しか選べないんだよ。でも、よっぽど辛いなら辞めた方が家族の気は穏やかになると思うけどね」
 最後にそう言ったセツの隣でクサカリは最近送られて来た実家からの手紙を思い出していた。

『仕送りはもう良いから顔をみせてくれ』

 送られてきた手紙には母の筆跡でそう書かれていた。思い返してみれば自分が実家に帰ったのはいつだっただろうか?
 帰ろうと思っていた日もあった。しかし「仕事だ」と言われると、事情も話すこと無く毎回仕事についていた。
「そこに自分の意志はあるのか?」
 そんなものある筈が無い。
 金を稼ぐことだけに目が眩んで、肝心の家族に会おうとさえしていなかった自分が情けなく思えた。
「オラ……仕事についてちゃんと考えみる」
 再び戻ってきた小鳥たちを見つめていたセツは、その答えを聞いて嬉しそうに笑った。
「そっか、後悔しないようにね」
 セツがそう言うと町の中央にある巨大オラ時計が七回鳴り響いた。
 それを聞いたセツは遅く帰ると、またエセカラにどやされると思い、木から離れるとクサカリに手を振りながら言った。
「また会おうね! むしろ絶対会おうね」
 それだけ言うとセツはクサカリに背を向けて歩き始めた。「仲間かもしれない人物が家族思いだった」まだ仲間かどうかは不確定だが、セツはそれだけで満足だった。
「セツ!」
 名前を呼ばれて振り返ってみれば、クサカリが立ち上がってこちらを見ていた。
 何事かと思い、近寄ったセツにクサカリは小声で呟く。
「今日の晩まで家でじっとしてろぉ」
 それだけ言うとクサカリは足早にその場を去って行った。残されたセツはしばらく考え込んだものの、言葉の真意が掴めずにいた。

 ・

「ただいま?」
 自分の家では無いので語尾にクエスチョンマークを付けながら、セツはエセカラの部屋の戸を開けた。
 時刻は八番オラ鳥が鳴いた直後。あれからどう来たのか分からなくなっていたセツは一時間程町をさまよっていたのだった。部屋に入ったセツは思わず眉をひそめて鼻を摘んだ。出て行く時には気が付かなかったが、うっすらと煙たい臭いが部屋中に漂っている。
 嗅いだ事のない不快な臭いに酔うセツの前に、洗面所から髪を洗ったばかりのエセカラが現れた。
「なんだ帰ってきたのか」
 エセカラは大した興味が無いようにセツに言うと、髪を乱暴にタオルで擦る。
「なんとかね、この臭い何?」
「あ? タバコだろ、昨日仕事行ってきたからな」
 面倒くさそうに答えたエセカラは蛇口から水を出してグラスに注いで飲み始めた。
 ――ん? いつ出て行ったんだ?
 水を注ぎ直しているエセカラを見ながらセツは昨日の記憶を辿っていた。
 仮面の件の後セツは玄関ですぐ眠りについた。エセカラが仕事に出て行ったのはその後だろうが、通るであろう玄関で眠るセツは、物音や蹴飛ばされたりして目覚めた記憶は一切無い。
 よってエセカラは昨夜、玄関を通っていない筈だ。
「なんつー顔してんだ。あ、俺昼から夕方にかけて出て行くから適当に時間潰しておけよ?」
 怪しんでいるのが顔に出ていたらしく、セツの顔を見たエセカラは思わず突っ込んだ。
 セツはというと慣れない考え事をして頭を痛めたのか、こめかみ辺りをさすっている。
「夕方頃には戻ってくるだろうから、それまでブラブラしとけよ」
「え? 外で」
 "ブラブラ"という単語に反応したセツは、こめかみをさするのを止めてエセカラの方を見た。
 てっきり室内で待機するものだと思っていたが、どうやら外で待たされるらしい。
「当たり前だろ? お前一人部屋に置いていたら荒らしそうだしな」
「そんなのどこで時間を……」
「知るか、自分で考えろ」
 猛反対するセツの意見を家主の命令と突っぱねたエセカラは、昼過ぎになると言った通りにセツを放り出したのだった。

 ・

 ――昼過ぎ――
 人の行き交うガファスの大通りを歩くセツの顔には、早くも疲労の色が浮かんでいた。
 エセカラの出発と共に連れ出されたセツは途中にある広場まで"爽やか"なエセカラに連れて行かれた。
 「腕を組め」という命令に辛うじて逃れる事ができたものの、行き交う女性達の嫉妬の視線がセツの精神をじわじわと弱らせていた。
「人多すぎ……」
 いい加減人の多さにげんなりしたセツは吸い込まれるように人通りの少ない路地裏へと入って行った。

 ・

 路地裏の階段でセツはぼんやりと座っていた。人通りが全く無い路地裏は少し汚れていたが、表と比べれば静かで過ごしやすかった。
「クサカリ……仲間なのかね?」
 ぼんやりしていて頭に浮かんで来るのは、今朝会ったばかりの昔の仲間かもしれないクサカリの事。
 実家に帰った方が良いものの、帰ったら帰ったでクサカリと旅ができなくなることを思い付いたセツは一人後悔の念に悩まされていた。
「きゃ! ちょっと何なの!?」
 悩みに悶えるセツの背中から後頭部にかけて突如衝撃が走る。セツが背骨に加わった痛みを堪える中、ぶつかった本人は可愛い悲鳴を上げて何かを拾っていた。
「いっつ〜……て、あらま? 昨日のお姉さん?」
 痛みを何とか抑える事に成功したセツは、倒れていた上体を起こしてぶつかった人を見た。
 なんだか見覚えのある茶色の髪に思わず言葉が洩れる。
「何言ってんの? げっ! エセカラの女!?」
 顔を上げてセツを見た女は顔を引き吊らせた。手には大量の荷物が抱えられている。
「ああもう! ちょっとこっち来て」
 昨日と雰囲気が違う、と目を白黒させるセツの手をひいて、女は路地裏を更に奥に進んだ所まで連れて行った。
「どうしたんです?」
 人の気配が全く無い路地裏の空き地にたどり着いたセツは、尋常で無い様子の女に尋ねた。女は息を切らして膝に手をついたままだ。茶色の長い巻き髪が息をするたびに揺れている。
 返事が返って来ないのでセツは違う質問をしてみた。
「あーえっと、昨日と性格変わりました?」
「当たり前でしょ! あんな猫かぶり、いつもやってられる訳無いじゃない!」
 返事の早さと昨日とは全く違う剣幕にセツは度肝を抜かれた。しかしこちらの方が親しみやすい。
「あ、水飲みます?」
 女が激しく息を切らしていたのでセツはどこから出したのか、水が入った竹筒を差し出した。女は「変な奴」と呟くと、髪をかき分けて水を飲んだ。
「あんた……変わってるね」
 水を飲んで落ち着きを取り戻した女はセツの隣に腰掛けた。「綺麗な人だな」と女の姿を見つめていたセツは、何の事だと疑問をいだいた。
「昨日だっていきなり「エセカラの女だ〜」って出てくるしさ、取り巻き達に睨み付けられても平然としてるし……今日だって悪口言われた相手に付いて来て、水まで渡しているしね。変なの」
 正式に言えば、無理やりエセカラの女に仕立て上げられて、初めて受ける嫉妬の眼差しにどう対処すれば良いか分からずに硬直していて、成り行きで手を引っ張られ、何となくしんどそうだと思ったから水をあげただけなのだが、女にとってそれは物凄く変わっている事らしい。
「いやいやお姉さん、私そんなノリノリじゃ無いですって」
 「エセカラの女だ〜」の部分をどうにか否定したいセツは女に抗議を申し立てようとした。しかしそれはセツが言ったある単語のせいで失敗する。
「お姉さん? 何言ってんのよ、あんた私と同い年位じゃない」
 女の言葉を聞いたセツは、まさか〜と笑い飛ばした。すると笑われたのを不快に思ったのか、女はしかめっ面でセツに鏡を突きつけた。
 鏡には荒れ地の風景とセツの知らない女性が口を半開きにして映っていた。
 不思議な事にセツが眉を顰めれば女性も眉を顰めるし、セツが笑えば女性も笑っている。
「凄い、お姉さん何ですかコレ?」
 嬉々としているセツの問いかけに女は口の端を引き吊らせると、セツの肩を引っ張って二人一緒に鏡を見た。
「これがあたしでしょ」
 女が鏡に映った自分を指さすと、セツは無言で首を縦にふる。
 そして女の指は問題のセツの前にいる女性に向けられる。
「これがあんた」
 女がそう言うと、一瞬の間が空いた。
 セツは鏡を持って女性の顔を食い入るように見つめている。
「うそだー!!!」
 事態をようやく把握したセツは信じられない現象に、思わず声を上げた。が、直後に女に口を押さえられて後頭部を地面にぶつけた。
「あんた何の為に逃げたと思ってんの!? 静かにしろ」
 小声でまくし立てられ、少し涙が浮かんだ表情で頷くと女はセツを解放した。
 放心状態のセツに少し呆れた様子の女が尋ねた。
「あんた本当に自分の顔知らなかったの?」
 その質問に目の焦点が合ってないセツは何度も何度も頷いた。
 成長しすぎていた自分の顔に与えられた衝撃がまだ抜けていないようだ。
「やっぱりあんた変わってるよ。あ、あたしノチェね」
「セツっす。何も分かってなかったセツっす」
 ぐだぐだな自己紹介をした後、ノチェと言った人物はまだ放心状態のセツに話しかける。
「もう、しっかりしなよ! あんた自分の身が危ないんだよ?」
 その言葉にセツは顔を上げてノチェを見た。改めて見たノチェの顔はやっぱり綺麗だった。
「危ないって?」
「……あんただから言うんだよ? ま、あたしもちょっと危ないんだけどね」
 少し視線を落としたノチェは口を結ぶと意を決したように話し始めた。
「最近ガファスで人さらいが多発しているの。去年辺りから三日に一人の割合でね。特にエセカラの女になった人はその二日以内に絶対消えてる」
 昨日エセカラが言っていた「恋人が消える」という事を思い出したセツは、自分がかなり危険な事に足を突っ込んでいる事実にげんなりした。
「だからあんた気をつけなよ。あたしも……」
 ノチェはそこまで言うと自身の足をギュッと掴んだ。
 不審に思ったセツがノチェの顔を覗き込もうとしたが、ノチェはいきなり立ち上がって荷物をまとめ始めた。
「だからちゃんと守ってもらいなよ? あたしこれから旅に出るからさ、戻って来たらまた会おうね」
 セツが口を挟む隙もない程に手早く言うと、荷物を持ったノチェは早足で歩き始めた。
「また会おうねー!」
 後ろから聞こえるセツの声にノチェは悲しそうに笑うと、半ば走るようにその場を離れた。

 ・

 ――夕暮れ時。エセカラと合流したセツは全ての荷物を持ち、大通りを並んで歩いていた。やがてエセカラの働く店の前に着くと、そこには大勢の女性がたむろしていた。
 嫌なデジャヴを感じながら突っ立っていると、こちらに気付いた女性達が近付いて来た。
「エセカラー、お仕事止めちゃうって本当なのぉ?」
 昨日のノチェのポジションにいる女が体をくねらせながらエセカラに尋ねる。
 それを聞いた他の女性達も我先にとエセカラに駆け寄り、セツはエセカラの隣から押し出されてしまった。
 ――しまった!!
 大通りに放り出されたセツは自分の置かれた状況に焦ったが、時既に遅し。帰宅ラッシュの人混みに慣れていないセツは、エセカラからどんどん離れて行ってしまった。
「……よし、行くゾ。許可は出ていル」
「う、うん」
 一応流れに抗ってはいるものの、全く効果が現れていないセツを二人の首の曲がった人影が追いかけ始めた。

 ・

「エセカラ? あ、人違いです。すみません」
 ようやく帰宅ラッシュから逃れる事が出来たセツは、片っ端から声をかけて回っていた。
 日は沈み始めて、周囲は薄暗くなっている。
「マズいマズい」
 焦って探すものの、エセカラは見つからない。多すぎる人の数にお手上げ状態のセツは少し頭を冷やそうと路地裏に入った。
 しばらく進んだ所でセツは背後から近付く足音に気がついた。エセカラと思い、振り返ったセツの目に映ったのはエセカラとは似ても似付かぬ痩せた男と太った男の二人組だった。しかも二人共首が曲がっている。
「……えーっと私に用ですか?」
「そうそうお姉さン、大人しくしてネ」
 セツが尋ねてみると痩せた男はかん高い声で答えた。後ろにいる太った男は道幅が少し狭いのか、しきりに身をよじっている。
「あ、ある人からつ、捕まえるように頼まれてる」
「本当に来たよ……」
「知っていたのカ?」
 案の定現れた人さらいに、セツは深くため息を吐いた。一般的に見れば非常に不味い状況なのだが、ある程度予測が出来ていたセツは比較的落ち着いていた。
 ある程度の間合いを取りながら、自分を捕まえて欲しいと命じた人物を頭の中で整理する。
「おい、何やってんだヨ」
「い、いや、このままだとに、逃げられちゃう」
 そう言うと太った男は体の後ろから縄を取り出した。縄の先には鈍く光る鉤が付いている。
 ――危ない!
 セツがそう感じて逃げ出すのと太った男が縄を投げつけたのは、ほぼ同時だった。
「やっかいだー」
 セツがぼやきながら逃げる後ろで、間違って相方をがんじがらめにしてしまった男は、くどくどと説教を受けながら縄を解いていた。

 ・

「エセカラ君、本当に止めちゃうのかい?」
 明かりが灯る店内でエセカラは店長に給料を受け取っていた。
 店長は店の儲け頭が出て行く事に困っているようだ。ちなみに店内には別れを惜しむ女性客で溢れかえっている。
「ええ、もっと優先しなければいけない事が出来ましたし、大きな儲け話があるので」
 エセカラが困ったような笑顔で答えると、女性客の数人が泣き出してしまった。
「では皆さん、失礼します」
 爽やかに店から出たエセカラの耳に泣き叫ぶ女性達の声が響く。店を出るなり迷惑そうに顔をしかめたエセカラは店の外で居るはずのセツを探した。しかしセツの姿は見つからない。
「おい、この辺で黒髪黒目で紺の服を着た女を見なかったか?」
「え? あ、あたし? 恋人はいません!」
 いきなり美形の男に話しかけられた女性は舞い上がってしまっている。
「くそっ、やられた。あいつを苦しめるのは俺だぞ、渡してたまるか」
 舞い上がる女性を放って、エセカラは日暮れの町を走り出した。
 ・

 路地裏を走っているセツはふと空を見上げた。空には月が浮かんで民家からは明かりが漏れている。
 足下は真っ暗で転んでもおかしくない状況なのに、セツは一度も転んでいない。それどころか真っ暗な筈の足下の地形をぼんやりとだが見る事ができる。
 ――この体になってから、夜でも見えるようになったな。
 追っ手も来ていないと分かったセツは段差に腰を下ろした。
 暗闇の中で手を開いてみると、セツの目は手のシワさえも映しだした。
 便利だと横を向いて見れば、ガラスに映る一気に成長した自分の顔が見えた。
 ――違う違う! でも……あ゙ーーっ!
 認めたくない事実に頭を抱えたセツの背骨に、突如衝撃がくわわった。
「きゃっ!」
「いっ……!」
 背中を押さえながら地面で悶えるセツは、何だかこの状況を知っていた。


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