――交流の町ガファス
ノシドに最も近い町。東西南北どこにでも通じており、人々の交流が盛んで人口もそれに比例して多い。
「うっわ……人多いな」
遠目に町の賑わいを眺めたセツは人の多さに目を丸くした。
今まで住んでいたノシドでは祭りの時位しか人が集まらなかった。しかしこの町では祭りに限らず人が溢れている。
「あいたっ!」
ぼけーっと町を眺めていたセツは、背後から伝わった衝撃で我に返った。何かと思い後ろを振り返ると、そこには布の掛かった大きな籠を持つ体格の良い男が一人立っていた。
「あ、すまねぇ、怪我してねぇか?」
ぶつけた事に気が付いた男は籠を持ったまま、訛りのある言葉でぎこちなく謝った。
「大丈夫で……」
「おい! クサカリ早く来い!」
セツが言いかけると、前から男の仲間であろう人物が乱暴に男を呼んだ。その名前に驚き、目を見開いているセツにもう一度男は謝罪すると、急ぎ足で人混みの中へ消えて行った。
「クサカ……クサカリ?」
男がセツに告げた仲間の名と、先ほどぶつかった男の名を交互に呟きながらセツは考えていた。
――クサカリ……愛称がクサカって事? 何にしてももう一度会った方がいいね。
そう結論付けたセツは、クサカリの後を追うべく勇んで人混みの中へと入り込んだ。
「やっと来たか……」
薄暗い建物の中から外を見ていた人物が口の端を吊り上げて言葉を洩らす。男の視線の先には自分を探しているであろうセツの姿があった。
「さて、どうするか」
男は最後にそう呟くと、床に置いてあった荷物を持って立ち上がった。……その顔に歪んだ笑みを浮かべて。
・
人探しをしていた筈のセツは何故か雑貨屋で並べられている品を、せわしく見ていた。
初めは"クサカリ"と呼ばれた男をきちんと探していたのだが、道行く人々に目を奪われ、道の脇にある店の品々に心を奪われたセツは当初の目的を忘れたかのように町見物を満喫していた。
「あーあれ良いな〜、うわっ! オラ時計だ」
店のガラス越しに飾られたオラ時計(一定の時間になればオラ鳥の模型が出てくるもの)を眺めながらセツは呟いた。
しばらく悩んだ末に、お金を持っていない事に気が付いたセツは雑貨屋から離れて再び道をさまよい始めた。
「うわわ」
キョロキョロと辺りを見渡す事に熱中して、足元がお留守になっていたセツは何かに引っかかって前のめりに転倒した。
人一人が転倒しても辺りの人々は、何事も無かったかのように歩き続けている。
「平気?」
世知辛い……そう思っていたセツは不意にかけられた言葉に頭を上げた。
――うっ……わ。男前……。
「大丈夫です」そう答えようとして頭を上げたセツの目に飛び込んできたのは、すらりとした体系に美しい金色の髪、髪と同じ金色の目に眼鏡をかけた何とも容姿が整った男だった。
「何か?」
これほどまでに容姿が整った男性を。そしてこんなに色素の薄い髪と目を見たことがないセツは、口をぽかんと開けたまま何も言えなかった。
そんなセツに男は笑顔を崩す事無佇んでいる。
「あ、いえ何も無いです。大丈夫です、ありがとう。感謝感謝サンキュー」
自分でも何を言っているのか分からないセツは、心の中で自分を罵りながら立ち上がった。
「良かった。ところで君は何をするため此処に? 見た感じ余所から来たようだけど……」
「私はノ……」
「私はノシドから来ました」そう言いかけてセツは口を噤んだ。
『絶対に故郷の地名を出すな』
男に言われた言葉が甦る。
ノシドは他の地域にとって最早架空の地になっている。空すら見えない断崖絶壁に阻まれ、他とは遮断された孤立無援の地ノシドにたどり着いた者はおらず、詳しい記録も無いためにノシドは昔話に出てくる架空の地でしかないのだ。
「ノ?」
「ノ……ノン故郷! 私、記憶喪失で自分の名前と僅かな記憶しか覚えて無いんです」
"記憶喪失"それはあながち間違ってはいない。セツはナツの事や、目覚めてから今までの自分の記憶以外、ほぼ覚えていない。それはある意味真実だ。しかし、ノン故郷の方に関してはどうにも反応しにくいモノがある。もっと他に言い方が有るだろうに。
「あ、あと、人を探しているんです!」
「人……?」
"ノン故郷"発言以降、何かを考えるようにしている男にセツは、丁度良い機会だとばかりに男に尋ねた。
二人の周りでは、道行く女性が青年の事を熱い視線でみつめている。
「クサカリって人知っています? 知り合いの様な気がするので……」
セツの質問に男はしばらく黙ると、セツに向かって言った。
「知っているかもしれない。ここでは何だから一旦俺の店に来な。」
丁度セツもこの人の多さにげんなりしていた。セツが二つ返事で了承すると、男はセツの前に立って歩き始めた。
・
二人がたどり着いたのは、町の奥にある小さな店だった。
カランカランとドアに吊してある鐘が響き、先に入った男はカウンターの席に座るようセツに促すと、店の奥へと消えていった。
薄暗い店内でセツは少し緊張した顔持ちで辺りを見渡していた。
そんなセツの前に、店の奥から戻ってきた男は水の入ったグラスを差し出した。
「どうもありがとうございます」
背負っていた荷物を横の席に置いたセツは、男にお礼を言うと水を一口飲んだ。緊張と慣れない町歩きからくる喉の渇きを癒やしたセツに男は質問を投げかけた。
「どうして記憶喪失に?」
「さあ……それは私にも分からないんです」
グラスをカウンターに置いたセツは男の方を向いて答えた。が、見慣れない髪と瞳、そして整った顔を見るとどうにも視線が泳いでしまう。
「ただ、私長い間眠っていたんです。それで眠っている間に記憶が飛んで行ったんだと思うんです。それで昔知り合いだった人に会えば何か思い出せるかと……」
"話をする時は人の目を見て"家に代々伝わる決まりをかろうじて守ったセツは、話終えるとすぐに水を飲んだ。
「ふぅん……大変だね。君、名前は? 俺はエセカラ」
「セツです」
うっかりまた名前を聞きそびれそうだったセツは、慌てて答えた。するとエセカラと名乗った男はカウンターから身を乗り出してセツに話しかける。
「セツ、君の辛い事実を言わせてしまって悪かった」
「いや……特に辛いとは……」
慣れない端正な顔の接近に、セツは冷や汗を垂らしながら答えた。この時ばかりは目を合わせてなんていられない。
「俺で良かったら力になるよ」
エセカラの言葉にセツは目を輝かせて反らせていた視線を元に戻した。戻した先には微笑むエセカラのアップがある。
「本当に? 良いんですか」
セツの問いかけにエセカラは黙って頷くと、セツの肩にかかる髪を一束すくい、指先で弄び始めた。途端、セツの顔は燃える石炭のように真っ赤になる。
「構わないよ。俺としても君みたいな子と一緒にいられるのは嬉しいし。思い出せなかったら、ずっとここにいてもいいんだよ」
「え?」
伏し目がちに言うエセカラの言葉に、セツの本能が警鐘を鳴らす。こいつは危ない、と。
最早茹蛸のように真っ赤になりながらも、セツは目の前の男を観察する。色恋沙汰については閉鎖的なノシドでは、意中の相手以外に好意を示すような行為は断固として禁止されている。
――初対面で甘い言葉を囁く奴、やたらに誉めのかす輩はまず疑ってかかれ。
ノシドの教えがセツの陥没しかけた理性を呼び覚ます。
「や、やっぱり良いです! 私の問題は私が解決します。すみません。水ご馳走様でした!」
「待ちなよ」
立ち上がるなり腕をつかんで引き留められたセツに、もう余裕はなかった。今までそういう類に縁がなかった為、どうすればいいのかさっぱり分からないのだ。そんなセツをよそにエセカラはぐいっと顔を寄せる。もう、限界だった。
「ちょ、本当に無理だから……! っセト……!」
思わずエセカラの手を振り払い、セツはその反動で床に尻餅をつく。臀部がずきずきと痛んだが、今はそれどころではない。
「ご、ごめんなさい……」
「別に、良いよ」
良いと言いつつもエセカラの目は今までの温かさが嘘のように冷え切っていた。そのあまりの変わりっぷりに悪寒を感じながら、セツはもう一度謝罪をして店を出ようとする。「クサカリの情報は要らない?」
「ほ、欲しいです!」
エセカラの言葉に本来の目的を思い出したセツは、いそいそと席に戻るとエセカラの言葉を待った。
「あいつは……、なぁ俺がこの情報を教えたら、お前も俺にも協力しろよ?」
「はい? まあモノによりますけど」
最初とはどこか雰囲気が変わったエセカラの条件に、セツが戸惑い気味に了承するとエセカラは再び最初のような笑顔を見せて言い放つ。
「条件は俺の女になること」
「……すいまそん、帰ります」
エセカラのふざけた提案に対して即座に返事をしたセツは荷物を持って店を出ようとした。しかし体が痺れたように上手く動いてくれない。
――はて、何故だか体が痺れているねぇ。
戸惑うセツにエセカラが楽しそうに告げる。
「悪いけど水に痺れ薬を混ぜさせてもらったよ。さあ、どうする?」
「な……卑怯だ!」
「なんとでも。で、どうする?」
目の前で氷をアイスピックで砕き始めたエセカラを前に、セツはただただ冷や汗を流す。
断れば何をされるか分からない。事実上選択肢の無い二択を迫られたセツは、苦々しく首を縦に振ったのだった。