7
ドスンと洞窟内に鈍い音が響き、その後に「だっ!」と短い悲鳴が聞こえた。
 打ち付けた腰をさすりながら彼女は立ち上がる。幸い洞窟内には光る苔が群生している為、歩くのに支障は無い。
 とにかくじっとしていても埒が開かないので、彼女は月の光が差し込む方へと歩き出した。
「ヴー痛い……」
 腰を打った為、彼女は壁に寄りすがって歩いていた。
 今日一日だけで色んな事を体験した彼女の心と体は疲れ切っていた。
 ――早く帰って皆に会いたい。
 その思いを胸に彼女は光が差し込む方へと歩く。
 帰るのなら落ちた穴の入り口へと向かう方が確実だが、まだ狼がいる可能性と「こっちに行きたい」という思いから彼女の足は自然と出口へ向かっていた。
 出口に近付くにつれ月の光が強くなる。
 洞窟を出た彼女は白い月明かりに思わず目を細めた。しかしその明るさが月の光だけで無いと気がついた彼女は大きく目を見開いて辺りを見渡した。
 月明かりだと思いこんでいた明るさの正体は、青白い月の光を受けて風にそよぐ、たくさんの純白の花だった。
 神秘的な美しさに声すら出ない彼女は、何かに導かれるように花畑の奥へと進んだ。
 花を踏まないよう、慎重に歩く彼女は理由の無い焦燥感に襲われていた。

 ――何かが終わる……
 そんな考えを振り切るように彼女は首を振ると、首に掛けてあるお守りをそっと握った。
 歩くうちに足下には小さな小川が流れ、花畑の代わりに巨大な結界樹が姿を現した。
儀式を行った場所に生えていた結界樹もかなり大きかったが、それとは比にならない程の大きさだ。
 巨大な結界樹の周りには草以外に何も生えておらず、それが返って結界樹の巨大さを強調していた。
 小さな小川を跨いで彼女は誘われるように結界樹へと近づく。彼女が近づくに伴い、結界樹は優しく葉を揺らした。
 その度に葉先から薄い結界が漏れ出て、結界樹の上空は薄い真珠色の結界で覆われて行く――。

 ──私、此処を守ります。たとえ命に代えても。
 ──ありがとう……


 衣服が濡れる感じがして、ようやく彼女は我に返った。
 ふと下を見れば、結界樹の根本に湧き出ている泉に腰まで浸かっている。
「わお、入水自殺する寸前?」
 自分がなぜ泉に浸かっているのか理解出来ない彼女は、不可解な行動に眉間へと皺を刻み、結界でほんのり照らされている辺りを伺った。
 上を見れば結界樹の葉だけしか見えない。
 かといって下を見ても透明な水に揺れている自身の服しか見えない。
 右、左と見ても泉の淵しか見えないし、後ろを見ても遠くで風にそよぐ花しか見えなかった。
「……ん? 何だろう」
 ひとしきり辺りを見渡した彼女は正面にある結界樹の根本を見て目を細めた。よく見ると結界樹の根に岩のような物が挟まっている。
 それが気になった彼女は少し前へ進んだ。
 進む事により水の水位が高まり、鳩尾辺りまで水に浸る。水の冷たさに彼女は顔をしかめたが、すぐに視線を前に戻すと結界樹の根本を凝視した。
 薄暗くてよく見えないが、根は岩を包み込むように生えているようだ。
 ぼんやりと岩を見つめていると、彼女の服の袖が薄緑色に光り始めた。
「な、今度は何!?」
 慌てて袖の中を探ると何か固いものに指が触れた。
 それを掴み、袖の外へと引っ張り出すと彼女は驚きの声を上げた。
「どうしてここに? 制服のポケットに入れておいた筈なのに」
 驚く彼女の視線の先には、手の上に乗る淡く光る薄緑色の石があった。
 石から発せられる光はどんどん強くなり、辺りを照らし出せる程にまでなっていた。
「熱っ……!」
 胸に熱を感じた彼女は水に肩まで浸かった。
しかし熱は止む事もなく更に温度を上げてゆく。
 熱の原因が首に掛けてあるお守りからだと気がついた彼女は、お守りを持っていない方の手で掴んだ。熱はお守り袋から発しており、彼女はお守りの中身を見ていいものか悩んだが、
「南無三!」
 彼女はそう呟くと、意を決して紐をほどき始めた。
 ピシ……ミシと、固いものにヒビが入る音がしたが、今の彼女の耳には届かない。今は目の前のお守りの中身が気になるのだ。キツく結ばれていた紐をほどいた彼女は、急いでお守りを逆さにして中身を出した。

「木……?」

 彼女がお守りの中から出てきた木の板のような物を確認して呟いたと同時に、結界樹の根本にあった岩が爆音を伴い砕け散った。
 突然の轟音に、彼女は目を閉じて顔を腕で塞ぐ。
 細かい岩の欠片が彼女を襲い、ピシピシと体に当たる音がする。崩れた岩が泉に落ちる音が止み、彼女は腕を退けて目を開いた。相変わらず石は光り続けているのでその明かりを頼りに辺りを見ることができた。
 お守りの熱はいつの間にか嘘のように消え去り、何事も無かったかのように彼女の手に収まっている。
 じっと粉塵が治まるのを待っていた彼女の手にある石の光が弱まった。変わりに粉塵の奥から淡い光りが広まってくる。ただ、その光は石のような薄緑色では無く、結界の色を少し薄めたような白い光りだった。
 光の下に進もうとした彼女はある事に気がついた。

 体が、動かないのだ。

 気がつけば彼女の体の回りには結界が張り巡らされ、身動きが取れない状態になっていた。
 本来結界樹の結界は、木自身が害虫や天敵から身を守る為に発するもの。
 よって危害を加えない物には何もしない筈。そして普通、結界は木の回りに張り巡らされるもので、木が自身以外に結界を張る事は例外を除いてありえない。
 しかし今、結界樹は自身に結界を張らずに彼女を拘束するように結界を張っている。
 まるで彼女を逃がさないかのように。
 やがて結界の形が、彼女の両手を粉塵の方に向けるように変形した。抵抗しようにも動かす事が出来ず、彼女は結界に操られるまま手を動かす。
 彼女の手が粉塵の中央に向けられた瞬間、光を失っていた石が再び光り始め、それに呼応するように粉塵の奥の白い光も強くなる。
 もう片方の手に乗っているお守りが再び暖かくなるのを感じながら、彼女は光に照らしだされた結晶を見てしまった。
 それを見てしまった事により、朝に見た夢が走馬灯のように蘇る。
 そんな彼女をよそに粉塵は薄くなり、はっきりと奥の様子が見えるようになった。

『もう戻れない』

 夢の中の女の人の言葉が頭の中で再生され、見たくもないのに視線は岩があった所に注がれる。
 ――ああ、やっぱり
 結界樹の根本を見た彼女は結晶を見た時に想像した予感が的中したのを感じた。
岩があった所には薄い真珠色に輝く結晶のような物があり、その中に一人の女の人が眠っていた。
 一瞬しか見ることができなかった、彼女には"夢に出てきた人"という確固たる自信があった。
 それと同時に彼女は自分がこれからどうなるかという事が自然と分かり、無意識に涙が頬を伝った。
 結晶の光が強くなり、彼女を包む結界も淡い色から濃い真珠色に変わる。
 何かに引っ張られる感じがして彼女は最後に一言呟いた。
「ごめんなさい……」
 その言葉を合図にするように、二つの光は更に強くなり、辺りは白と真珠色の光に包まれた。

 ・

 真っ白な空間で、自分が立っているのかも分からない彼女の頭に、夢の最後に女の人が言った、聞き取れなかった筈の言葉が響いた。
『これは"漆黒の守り神"と呼ばれた私の……そして私の魂であるあなたの定め』

続けてユーシキ、ゴギョウが言った言葉も蘇る。

『封じられていた獣の魂は少し前に肉体を離れ、他の体に入ってしまったらしいのです。そしてその獣の魂を、聖域に住む森の番人が探しているとか……』
『ちょうど十八年前から結界が弱まり……』

 ――そう言う事か
夢の中の女の人――自分の言葉、ユーシキの話、ゴギョウが彼女へと伝えた事が一つになり、その事柄に納得した彼女はすっと体の力を抜いて目を閉じた。
 瞼の裏にはゆっくりと手を差しのべるもう一人の自分が映っている。
 彼女が目を閉じた数秒後、巨大な結界樹から強大な結界が放たれ、他の結界樹もそれに便乗するように結界を張り巡らせた。
 そしてその結界はノシドにいた魔物達をことごとく消し去って行く。

 この日、夜にも関わらずノシドの上空は濃い真珠色の結界でキラキラと輝いていた。


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