グレイが死んだ。
その事実は、何よりも鋭く胸を突き刺した。
「痛、」
花束を抱えていたルーシィの指先から赤い血が溢れた。
「大丈夫?ルーシィ」
「平気、トゲで切っちゃっただけですから…」
眉をひそめいつもの顔で気遣いをするミラに、へらりと笑顔を向けるルーシィ。
笑顔になっておらず、幾重にも涙の跡がつくその顔にミラは堪えていた涙を零した。
「…我慢しないで、ミラさん。」
「ルーシィ…っ」
「…世界は平和になったんです。もう私たちの世界に殺し合いだなんてそんな悲しいことは起こらない。」
「…ルーシィ……」
「――ああ、二人ともここにいたのか。」
声を掛けたのはエルザで、彼女の左足はギプスによって固定されている。彼を失ったあの日に、負った怪我だ。
エルザは涙する二人から視線を逸らし、言葉を続けた。
「時間だ、行くぞ。」
「…ええ、っ、きゃ…」
「ミラさん?!…大丈夫ですか?」
ミラが立ち上がると同時に、テーブルの上に置かれたグラスが落ち音を立てて割れた。床に跳ね返った破片は、ミラの手の甲を薄く切る。白い肌に赤い線が走った。
「大丈夫よ、浅く切れただけみたい。」
「本当に平気か?」
「ええ。さ、行きましょうエルザ、ルーシィ。」
ミラの返答にそうかとエルザは松葉杖をつき踵をかえす。
松葉杖を使い、ぎこちなく歩くエルザが危なっかしく、ルーシィは慌ててその体を支えた。
瞬間、エルザの肩が揺れる。
「っ、」
「どうかしたの?」
「いや、松葉杖の木で引っかいたみたいだ。」
エルザが松葉杖から右手を離すと手のひらから溢れる赤い血液。よく見ると、木くずが刺さっており痛々しいそれにルーシィは眉をひそめた。ミラはエルザの手を掴み、急いで刺さった木くずを取り出し、ハンカチを出すと患部をしばった。
「握って使うのにあぶないわ。松葉杖取り替えて、ちゃんと消毒しましょう。」
「いやこれぐらい平気だ。それより急がないと式に遅れる。 …遅れては駄目だ。…絶対に。」
「…。」
うつむき静かに呟いたエルザにルーシィもまた小さく頷く。ふとエルザは思い出したかのようにルーシィに尋ねた。
「…そういえば、」
「うん?」
「…式、奴も来るのか?」
「…みたい」
「…来れるのか?…あんな状態だったのに。」
エルザの目が伏せられた。
この話を口にすると胸が押し潰されてしまいそうになる。
ルーシィはエルザから少し視線を逸らし、そして小さく頷いた。
「……ええ。自分から行くって言ったわ。
グレイの命と引き換えに得た平和の為だからって。」
紡がれた言葉は恋人を失った彼の言葉だった。
「……グレイの命と引き換えに、か。」
エルザの顔が遠くを見る。
ミラの視線もまたどこか儚げに伏せられた。
エルザは口元を覆い、嗚咽を漏らした。気丈に振る舞っても、彼を失った事実は深く胸を抉る。
「…他に方法が無かったとはいえ、敵陣に一人送り込むような作戦を、…自分が知らない間に恋人に課せられたら…ッ」
「エルザやめて、」
その先を言おうとしたエルザをミラが止めた。
ボロボロと溢れる涙をそのままにミラはしっかりとエルザを見つめる。
「…もう言わないで、エルザ。
マスターだって辛かった筈よ。ナツだって、私たちだって。」
「………、」
「でもそのお陰で救われたのは、事実なの。 …悲しいし、悔しいけれど。」
言うミラの体が震えるのを感じた。それを見るとエルザもやるせなくなってさらに視界を涙で歪めた。“ありがとうグレイ”なのか“すまないグレイ”なのかエルザにはもうわからなかった。
「……でももう、命を失うのはあれで終わりよ。世界はやっと平和になれる。…その為の今日だから。」
「…っ、ああ…」
三人が外に出ると、ナツが遅いぞと低い声で迎えた。彼の表情もまた隠し切れない悲しみが滲む。泣いたのか、目元が少し赤い。ぶつかっては罵倒してばかりだったが、ナツが彼を兄弟のように思っていたのは事実だった。
目を伏せたルーシィの肩を、甲に引っかいたような傷のある拳で叩かれる。彼なりに元気をくれようとしてくれたのだろう。
ルーシィは笑顔を無理矢理作り応えた。
「遅い。」
「すみません、マスター。」
マカロフとエルザのやりとりを横目にルーシィは、既に集まったギルドの面々を見回した。空気は曇った空のように重く、みな俯き、堪えきれない者は嗚咽を漏らした。
そんな中、グレイの眠る墓石のすぐそばに立つ彼を見つけた。
「…、」
虚ろな目で、ロキは静かに恋人の石碑を見つめている。
「…どうかしたかい?」
「あ、えっと…、」
視線に気付いたのだろう、無表情の彼が言う。
そこにはいつもの笑顔も無かった。感情の無い顔をした彼は、グレイを思っているのだろう。
ふとマカロフの咳払いが響いた。ルーシィが顔を上げる。
「これより神に愛されたグレイ・フルバスターに誓い、我々の平和の契りを―――」
────平和。
グレイが命と引き換えに手に入れた世界。
不意にロキの顔を見てしまったルーシィはその悲しい横顔に心臓を壊されそうになった。
「……ねえ」
「、」
視線を正面に向けたままの彼が小さく声を漏らしす。
ルーシィはロキを見上げた。
「……平和な世界は一体誰の為の物なんだろうね。」
「………?」
「……僕はね、グレイの為にあるべきものだと思うんだ。」
「……、」
ゆっくりと搾り出すように紡がれる言葉に返す言葉が思いつかないルーシィはただ名前を呼ぶことしかできない。
「…ロキ、……、」
どうにか彼に言葉を届けようと思った瞬間、彼の瞳がかすかに光った気がした。
「……僕はね、おかしいと思うんだ。だってそうでしょう?グレイが痛くて苦しい思いをして得た平和なのに、そのグレイがここにいれないなんて。」
ロキの目線が形ばかりのグレイの墓石に落とされる。
「…、……ああやっぱりこの世界は汚くて、醜くて、間違ってるんだ。」
「ロキ…?」
「…ところでルーシィ、」
ロキはゆっくりと目線を向ける。
「…君はどうして指を、傷付けたんだい?」
「あ…」
無表情だった彼の口元が歪む。
貼り付けたような笑顔。気付いた時にはもう遅かった。
ルーシィが自分の目で見た光景。
踏み出したロキが、グレイの墓石の上に立ち上がる。
騒然とする周囲。彼の右手には黒い銃が握られていた。
銃口はロキのこめかみにあてがわれ。
目の前に広がる光景は彼が望んだものなのだろう。
火薬の弾ける音がして、曇天の空に鮮血が舞った。
(…ねえ。
予定よりもずっと長く生き過ぎた僕は、愚かにも時間がこの傷を癒してくれたと思っていたんだ。)
(――本当は違ったのに。)
(…そして愚かな僕は、
君と出会うことが出来たこの世界をもう一度信じてみようだなんて思ったんだよ。)
(でもね、本当は。)
(この傷を癒してくれたのも、
信じてみようと思ったのも、
本当は君だったんだ。)
(…ねえグレイ、
世界を捨てて僕もすぐに行くから、
もう少し待っていてね。)
―――グレイ、きみをあいしているよ。
2012 0727
魔法じゃなく拳銃を使ったのは見せしめ