「月島ぁ、次は何する?」 ビール?それともワイン? 少し舌ったらずなしゃべり方なのは同郷の名字。 勝手に冷蔵庫を開けている。 「んー。」 少し酔いの廻った頭で考えてもうまく言葉が出てこなくて、寄りかかっていたソファの座る部分に手をかけて立ち上がる。 「これ。」 冷蔵庫のチルド室を覗いていた、名字の背中をぐい、と横に押しやって3時間ほど前に買って来た新発売の缶チューハイのロング缶を手に取る。 「あー、いいなぁ。」 冷蔵庫の灯りで照らされた名字の顔は少し紅くなっている。 「そっち、味違いあるでしょ。」 まだ、チルド室に転がっているロング缶を指差すと、 名字は子供のようにそれを大事そうに両手で掴む。 「飲み比べしようよ。」 へらっと笑った名字は我先に、と僕を押しやるとソファへ向かう。 「きちんと閉めてよ。」 そう言って僕が冷蔵庫を閉めると、部屋はテレビの明るさだけになる。 「ごめん。」 一言、そう言った名字は、彼女じゃない。 けれど、一緒に住んでいる。同棲じゃない。 簡単に言うと、"ルームシェア"。 DVDの一時停止画面には、安っぽいゾンビが映し出されている。 その画面をぼんやりと眺めていると、横からぷしゅ、とプルタブを開ける音がする。 「んー、美味しい。」 そう言った名字は幸せそうに笑う。 テレビからのライトに照らし出された名字の顔は、高校生の頃と変わっていない。 僕たちは3年間同じクラスで、まぁそれなりに話す方だったと思う。 名字は底抜けに明るくて、人に気配りが出来るし、勉強も得意で、"出来る人"だという印象だった。 陰口の対象にならない、そんな人。 そんな名字は高校卒業後、何かの専門学校に進んだ。 僕は兄ちゃんがいる仙台の大学に進んだ。 心配性な兄ちゃんが一緒に住もうと言うので、しょうがなく一緒に住むことにした。 そんな生活をし始めて2年経った頃、名字から連絡があって、 就職で仙台に行くことになったから宜しく、と言われて、少し懐かしく感じた。 同じ学校から同じ大学に進んだ生徒がいなかったので、地元の同級生、と言うフレーズに心を打たれたのかも知れない。 そんなこんなで、学生の僕よりも先に社会に出た名字と再会したのが1年と少し前。 高校生の頃は見ることもなかった私服姿の彼女を眩しく感じたのは内緒だ。 再会した日はお互いアルコールを飲める年齢になっていたので、久々だねと話しながら居酒屋や少し洒落たバーなんかに行った。 名字は「仙台に知り合いいなくて心細いから月島の名前思い出した時、コレだって思ったね」とケラケラ笑っていた。 しかし向こうは働く身。 お気楽な大学生とは違って残業や、接待や付き合いというものがあるらしく、名字が働き出した頃にはあまり会う事はなかった。 僕はいつも通りに大学生をしながら、たまに名字と連絡を取ったり、アルコール抜きで食事したりもしたけれど、彼女はやっぱり社会人で一足先に社会に出た名字を少し大人なんだなと感じた。 しかし、ある日名字に送ったメールが2週間返ってこない事に気付いた。 どんなに忙しくても、1週間で返事が来ていたので、少し心配になって、前に貰った名字の名刺に書かれたビルに向かったのが半年前。 中には入れなかったので、入り口で待っていたら深夜近くになって出てきた名字を待った。 僕が声を掛ければ、はっと顔を上げた名字の顔はひどく疲れていた。 車のヘッドライトに照らされた名字の顔は、声の主が僕だと分かったとたん、くしゃりと歪み、ボロボロと涙を流した。 「新しい職場どう?」 横で子供のような顔をしてライム味のチューハイを飲んでいる名字に声をかける。 「ん。いいよ。部長優しいし、仕事も楽しい。」 にこ、ではなくへらっと笑った名字は、僕にずい、とチューハイを差し出す。 こーかーん、そう言った名字は僕の手からレモン味のチューハイを奪い取ると、その手にライム味の缶を握らせる。 「ホント、月島は命の恩人だよ。」 大げさじゃないよ、と膝を抱えた名字は、ぐい、とチューハイを口に運ぶ。 名字の入った会社は所謂"ブラック企業"ってやつで、何かあれば叱責されていたらしい。 人格否定に近い事も言われていたらしく、高校の時の名字は見る影もなく、やつれていた。 僕が名字の会社に行った日も必要のないような残業をさせられ、小さなミスで大声で怒鳴られていたとかで、限界だったよう。 ひとまず、家に送った名字から事の顛末を聞いて、一言辞めてもいいんじゃない?と言った途端、名字は子供のように声を上げて泣いた。 けれど、家がバレているから怖い、という名字に、うちに来れば、と声をかけた。 ちょうどその日から兄ちゃんは半年間の長期出張で東京に行っていた。 タイミングってのは怖いものだと思う。 多分、兄ちゃんがいなかったら、うちに来れば、なんて言わなかったし、 女と住むなんて面倒だと思っていたし、実際快適な事ばかりじゃない。 ただ、あの時のひどく弱った名字を放っておけなかったし、カタカタと小さく震える華奢な手を離すなんて出来なかった。 それからは、最低限の荷物だけまとめて、兄ちゃんのいなくなった一人で暮らすには広すぎる部屋に名字を連れて、とりあえず何でもいいから寝ろ、とだけ伝えて、僕のベットに押し込んだ。 そして僕はリビングに置いたパソコンで、ひたすらブラック企業や、労働の事について検索した。 そして、朝起きてきた名字に退職届けを書くように促した。 少し、すっきりした顔をした名字はさらさらと、退職届けを書き上げ出社していった。 そして講義が3限目からだった僕は仮眠を取ろうと、ベットに横になってから気付いた。 このベットに名字が寝ていた事も、名字の事が好きなんじゃないかという事も。 少し眠い目をこすりながら、本来の同居人の兄ちゃんにメールをした。 "友達がしばらくうちに泊まることになった"と。 僕が仮眠に入って少しした頃、名字からの電話で起きた。 辞めるんなら、今でも2週間先でも、1年後でも変わらん、明日から来るな、と退職届けを破り捨てられた、と面白そうにケタケタと笑った名字の声が電話から聞こえた時は笑った。 それからは、何故かそのままうちにいついてしまった。 まぁ確かに来れば、とは言ったけど。 元々家具付きの部屋を借りていたらしく、名字の荷物は少なくて、倉庫部屋としていた部屋を片付けた。 そして名字がうちに来てから知ったことがたくさんある。 ホントは子供っぽくすぐ拗ねる事、朝は弱くて二度寝が大好きな事、笑い上戸で一度ツボにはまると抜けられなくてずっと笑っている事、律儀な性格で生活費と言って毎月封筒を渡してきたり、器用そうに見えて実は不器用でタコさんウィンナーの切れ目を入れようとしてぶった切る事、お酒は甘いものが好きで飲むと顔がすぐ紅くなり目が据わって口調がだらしなくなる事、映画を見るのが好きでその趣味が少しずれている事。 もっとあるけれど、それを知るたびに名字への気持ちが高まる。 ただ、その気持ちを言ってしまえば名字がこの家に帰ってこなくなりそうで言えない。 自分へ好意を抱いている異性と一緒に生活なんて出来ないだろう。 「この映画、クソつまんないんだけど。」 ぐるぐると廻る思考を断ち切るように名字に声をかけて、手に持つライム味の缶チューハイに唇を寄せる。子供っぽいが、こんな時は名字の顔が見れない。 「うーん。さすがに今回は失敗だったかも。ゾンビ踊ってばっかだね。」 "踊る、ゾンビ"と書かれたパッケージに手を伸ばした名字はそれを手に取ると、缶チューハイをテーブルに置いて僕が寄りかかっているソファに寝そべった。 「ね、月島。」 一瞬だけの静寂を破った名字の声は僕の少し斜め後ろ辺りから聞こえる。心地よい高さで、サークルの女子が話しかけてくる変に甘いつくられたものと違う。 「んー?」 首を後ろに倒して、名字を見ようとすると名字の手の中にあるパッケージのゾンビと目が合う。 そして後頭部には柔らかい感触。きっと名字の… 慌てて、頭を起こそうとするとDVDのパッケージが僕の顔に乗せられ、髪がふわりと撫でなれる。 「部屋、探してるからさ、ちゃんと。」 そう、少し出張が伸びた兄ちゃんが帰ってくるのは1ヵ月後。 新しい仕事を始めたばかりの名字はなかなか部屋を借りられないし、やはり条件もあるとかで休みの度に不動産巡りをしていてもなかなか見つからない。 うん、とDVDパッケージが顔に乗ったまま言葉にならない言葉で返事した。 手を伸ばせば、DVDのパッケージは退かせられるし、名字にだって触れられるのに出来なかった。 甘ったるいアルコールせいで思考の一部が機能していなくて、今名字の顔を見たり、名字に触れれば約半年色々と耐えた僕の理性が吹っ飛びそうだった。 「ホント、この半年ありがとね。月島いなかったら今でもあの会社でずっと怒鳴られてるだけの日々だったと思うし、何があったか分かんないよ。」 少し、名字の声が震えている気がした。 「きっとさ、月島面倒だったと思うの。女が家に居たりとかさ。他人がいるのとか。 勢いで言った手前、置いててくれたのも知ってる。甘えちゃってごめんね。 けど、すごく楽しかったんだよね。下手くそな料理作っても文句すっごく言いながらでも食べてくれたり、大学のサークルの付き合いとかあるだろうに、映画見るの付き合ってくてたりとか、ご飯一緒に食べてくれたりとか。」 何で、全部過去形で言うんだ。もう全部終わりみたいに言うんだ。 少し、頭に来てがっと上半身を起こす。 ゾンビのパッケージがテーブルの向こうへ飛んでいった。 そして名字の方を見ると、はらはらと涙を流す名字は目を丸くしていた。 「ホント、面倒だったよ。」 何故か僕の唇はこんな言葉しか紡がない。 僕の言葉を聞いて名字は顔をくしゃりとして、ごめん、と言った。 あぐらをかいて頭を抱える。 僕はこの同居生活が終わっても会いたいんだ。 なのに、名字はこれが終わったらすべて終わりのように言う。 関係を築いて行きたいと思っていたのは僕だけだったのか、と大きく息を吐く。 どうせ終わるなら、もういいや。 覚悟を決めて、顔を上げると名字はびくりと体を震わせた。 立ち上がろうした名字の手をとって、僕とソファの間に座らせた。 つきしま、ごめんね、と小さな声がして彼女の目を見ると、ぽろぽろと涙を流している。 僕は手をなるべく優しく動かして、その涙を親指の腹で拭った。 「確かに面倒だったよ。名字のご飯はまずいし、洗濯物や風呂やトイレや色々気を使わないといけなかったし、映画の趣味が微妙で借りてくるDVDはつまんないし、僕はサッカー見たいのにベタな恋愛ドラマが見たいって言うし。」 結局、ドラマは録画して二人で夜中までサッカー見たっけ。 名字が、ごめん、とうな垂れる。 「けど」 言いかけて、名字の頭に触れる。 顔を上げた名字に意を決して、言葉を吐く。 皮肉屋でうまく優しい言葉なんて出てこないけど。 「それは名字だから我慢できるし、名字とだったからまずい飯も、面白くもない映画も、フラフラになるまで飲む酒も、全部全部嬉しかったし、楽しかったし、帰って来てただいまって言えば休みの名字がお帰りってのがすごく有難かった。」 廻らない頭で言葉を紡いでいく。 「僕はこの同居が終わっても、名字と会いたいし、ここにだって来て欲しい。 鍵だってそのまま持ってていい。」 って、違う、こんな事を言いたいんじゃない。 「月島?」 突然黙ってしまった僕を名字は不思議そうに見る。 「ここまで言っても分かんないの?」 ぽつりと呟くように言えば、えっと、と名字は声を出す。 「都合よくしか解釈出来ないんだけど。」 目が闇に慣れた僕の目の前にはすごく顔を真っ赤にした名字。 「多分、それで合ってる。」 そう言えば、名字がケタケタと笑い出した。 「なに?」 人の告白を何だと思ってるんだ、と名字を睨むと、 「だって、私月島にいつ出て行けって言われるかびくびくしてたし、 私もこの半年楽しかったし、ホントは月島ともっと居たいし、これからも会いたいし、好きだけど、 置いてもらってるって引け目とかあってさ。」 さらりと、"好き"と言った名字はあはは、と笑っている。 「えっと。」 状況が分からず、きょとんとしていると、徐にテーブルに手を伸ばした名字はチューハイを二つ掴んでライムの方を僕に差し出す。 「はい。今日が記念日ってことで。」 へらっと笑った名字は僕の前に座り直すと、僕の持っているライム味にレモン味の黄色い缶を当てる。 その顔に何だかいじわるをしたくなって、僕付き合うなんて言ってないよ、と言えば、名字がえ、と固まった。 その間抜けな顔に、嘘、と伝えると黄色い缶を持った華奢な腕を引く。 わ、零す、と抗議の声を出すその唇を僕のそれでそっと塞ぐ。 柔らかくしっとりとした名字のそれはほんのりアルコールの匂いがした。 スタートラインwriter ルイ |