《仕事早く終わったんで、名前さんちお邪魔させてもらってます》 ピコン、とメッセージの受信を知らせるかわいらしい音が鳴って、緑のランプが点滅する。駅へと向かっていた足をとめて内容を確認すれば、京治からのメッセージが表示されて頬がだらしなく緩んだのが自分でもわかった。 久しぶりに京治に会える。それだけで鉛のように重かった足が嘘みたいにかるくなって、歩調も自然とはやくなる。帰宅ラッシュの人ごみを軽やかにすり抜けて、なんならスキップだってしそうな勢いだ。はやく。はやく、会いたい。 「京治ー!ただいま!」 「おかえりなさい、早かったんですね」 ドアを開けて部屋へ1歩足を踏みこめば、おいしそうな匂いが鼻腔をくすぐる。「はやく会いたくてね、ダッシュで帰ってきた」と言うと、京治はいつもどおりの無表情をほんの少しゆるめた。 「うっわあ…、すごい綺麗になってる」 「1ヶ月であんなに散らかせるなんて、さすが名前さんですよね」 「……ごめんなさい」 典型的な“片付けられない女”のわたしの部屋は、見違えるほどさっぱりとしていた。あれ、ここってこんなに広かったっけ?と思うくらいに。ベッドやその周辺に脱ぎっぱなしだった衣服はきちんと折り畳まれ、シンクに積み放題の食器の山はきれいに洗われてもとの場所へ。 わたしの謝罪には「いや、別にいいですよ」とさらりと返し、さらには「ご飯とお風呂両方準備できてますけど、どっち先にしますか」と聞いてくれるわたしの彼氏様は、ひょっとしなくてもカンペキってやつなんじゃないだろうか。 「じゃあ、先にご飯で」というわたしの答えを聞いてくるりと方向転換をした京治を引き留めて、見た目よりも幾分かたくましい身体に抱き着く。お腹は空いているし、汗だって流したいけれど、それよりも何よりも、わたしにはひとまずの充電が必要なのだ。 「京治、今日泊まってく?」 「そのつもりですけど…いいですか?」 「もちろんっ!」 ◇ 京治の作ってくれたご飯を食べて、ゆったりお風呂に入って、ふたりでふかふかのベッドに潜った金曜日から1週間。1週間ぶりにうちに来た京治は、表情変化の乏しい彼にしてはめずらしく目をぱちくりさせていた。まあ、そりゃそうだよね。ほんとうに申し訳ない。でも、「京治のこんな表情、すっごいレアかも」なんて考えてしまうわたしはどこまでもお気楽だ。 「…どうやったら1週間でこんなに物が散乱するんですか」 「ほんっとうにごめんなさい!でもね、これにはふかーーい訳があって……」 週が明けて、月曜日。職場の同僚数人と飲むことになって、この家に連れてきたのだ。わたしの片付けられない性質を知っている同僚たちは、今の京治とは違う意味で目をぱちくりさせていた。それなりにお酒がはいっていたこともあって、わたしはちょっぴり鼻高々に“料理も掃除もできるカンペキな彼氏”の話をしたのだ。 『えーっ、めっちゃ羨ましい!』『いい旦那さんになるよ、絶対』『っていうか名前に彼氏いるの知らなかったんだけど!』 そこからはきゃいきゃいと女子独特のテンションで盛り上がって、よく飲んで、食べて。朝、目が覚めたらテーブルの上には使用後の食器や空のチューハイ缶が転がっていて、ベッドの傍にはなぜか高校の制服が脱ぎ捨てられていた。仮装大会でもしたっけ。どんな風に会がお開きになったのかも覚えていない。 一度散らかしてしまうと緊張の糸が切れて、いつも通りの生活に戻った。せっかく京治が整頓してくれた空間には物が溢れた。とはいえ、1週間でここまで汚くなったのは初めてかもしれない。新記録だ。まったく嬉しくないけど。 「はぁ…、もういいです。名前さん、一緒に暮らしませんか」 ずっとこんな生活してるの見たら、さすがに心配になります。自炊もほとんどしないし。 少し眉を下げて、京治はそう言った。わたしは今、いわゆる同棲の話を持ち掛けられたわけだけど、それにしては京治の声に緊張の色がないというか、どちらかといえば、子供の将来を心配する実家の親みたいな言い方だ。それがとても京治らしくて、わたしたちにぴったりで、なんだか笑ってしまう。 きっとわたしたちはこれからもこんな感じなんだろう。気の早い話かもしれないけれど、たとえば京治が主夫で、わたしがキャリアウーマンになったってわるくないと思うのだ。 「わたしこんなだから、一緒に暮らしたらもっと嫌なとこいっぱい出てくると思うけど、それでもいいの?」 「そんなのおたがい様です」 「とりあえずこの部屋、綺麗にしましょう」と相変わらずの淡々とした口調で言い出した目の前の彼氏様の“カンペキ”が崩れるときがくることと、これから“アタリマエ”になっていく「ただいま」「おかえり」のやり取りが、すごく楽しみでしかたない。 どうぞお好きな愛であれtitle 英雄 / writer 葵 |