「あの、赤葦さん。コーヒーいれました、少し休憩しませんか。」
「そうだな、ありがとう名字。あ、でもテーブルどこにやったかな。」
「ふふ、さっき向こうの部屋で見つけました。」

赤葦京治さん。
わたしより2つ上の、元先輩。
私が高校1年生の時にマネージャーをしていたバレー部の主将を務めていた人で、彼がバレー部を引退した後、静かにお付き合いが始まった。
あの頃はほぼ毎日一緒にいたのに、手をつなぐまでに2週間、初めてキスをするまでに3カ月を費やし、友だちには散々からかわれた。
それから5年経って、私は大学生に、彼はこの春から社会人になった。
そんな彼から一緒に暮らそうと言われた時には驚いてしまって、涙を流すことしかできなかった。
けれど、彼はゆっくりと私が泣き止むのを待ってから、落とすように笑って言った。

『本当はプロポーズしたいところなんだけど、今はまだ仕事を始めたばかりだし、それはちゃんと落ち着いてから。ちゃんと、名字を守っていけるって自信が持てるまで、待って。』
『………、』
『本当はそれまで一緒に暮らすのも我慢しないといけないのはわかってるんだけど、……俺が、その、』
『………?』
『ガマンできなくて。』

本当は、自分が社会人になって1年が過ぎた頃に、と考えていたらしい。
でも、いつも何をするのも計画的に行動する彼が、感情を優先して、私との時間を優先してくれたことが素直に嬉しくて、何度も首を縦に振ってはまた泣いた。
そして、今ではすっかり仲が良くなったお互いの両親の許可の下、とうとう今日から彼との生活が始まる。

「どうぞ。」
「ありがとう。」

部屋は引っ越し屋さんが置いてくれたダンボール箱でいっぱいで、その中央にできた狭い空間の中央に小さな折り畳みテーブルをセットし、朝からの作業で疲れてしまった体をようやく休めた。

「大丈夫?」
「はい、赤葦さんこそ。」
「俺もまだ大丈夫。もうすぐ木兎さんたちが手伝いに来てくれるし、それまでにこの部屋だけでももう少しなんとかしたいな。」
「ふふ、そうですね。」

隣に、赤葦さんがいる。
これからはずっと一緒だなんて、どうしよう。
色々と進んでいるのに、まだ実感がない。

「これからはずっと一緒なんだな。」
「………、はい…、」
「やっと、……やっとだ。」
「あ、」

不意に、座ったまま肩を抱き寄せされて、バランスを崩した私の体はそのままいたずらっ子のように笑う赤葦さんの両腕に支えられた。
顔が熱くなっていく、身体も、心も。

「赤葦さん……、」
「こういうことがいつでもできるな。」
「あ、の……、汗くさいから、」
「そんなことないよ。逆に俺の方が臭いかもしれないけど、もうちょっと我慢して。」

くさくなんてないけど、未だに触れられるだけでドキドキする。
こんなことで身が持つのかと、今から少し心配で。

「……うそ、みたい。」
「え?」
「嘘みたいに、……幸せで、」
「嘘じゃないよ。ほら、現実だろ。」
「うん……。でも、やっぱり嘘みたいです……。」
「……じゃあ、はい。現実。」
「あ……、」

赤葦さんのポケットから出てきたのは、この部屋の合鍵。
彼はゆっくりと私の体を離すと、右手にその鍵を握らせ、両手で私の右手を包み込んだ。

「ずっと想像してた。朝起きたら名字が隣に寝てて、俺はしばらくその寝顔をのぞいてて。」
「やだ、それはだめ、恥ずかしい、」
「クス…、言うと思った。……名字に行ってらっしゃいって送られて会社に出勤して、帰宅したらお帰りなさいって名字が迎えてくれる。」

それは、私もずっと同じ想像をしてたよ。
不器用に笑って頭を撫でてくれたり、同じシャンプーの香りに包まれながら眠ることが日常になる日々のこと。

でもね

「想像してたら、いつも恐くなります。」

空いていた左手を、そっと赤葦さんの両手に重ねた。
ああ、涙がでるほどあたたかい。

「幸せすぎると恐い?」
「はい……、恐いです。」
「そんなに恐いのに、それでも俺といてくれるんだ。」
「………わたし、だって、……ガマン、できない。」

一緒にいたい。
恐くても一緒に、ずっと一緒にいたい。

「そういえば、付き合い始めた頃も言ってたな。幸せすぎて恐いって。」
「幸せは……いつか壊れてしまうものだから……。」
「でも壊れなかった。今もこうしてまだここにある。」
「はい……。」
「名字が考えるように、幸せには終わりがあるのかもしれない。幸せなだけなら、それはいつか壊れるのかもしれない。でも、」

そして
やわらかく笑って

「それが日常になったら、簡単には壊れないよ。」
「………!」

赤葦さんと毎日を暮らすような贅沢な日々が当たり前になるなんて

「だから観念して、俺との幸せを噛みしめなよ。全部日常にして、全部当たり前にしよう。」
「赤葦さん……。……嬉しいです……。でも、もう胸が…いっぱいで、」

そうしてポロポロと泣いてしまった私をくすくすと笑って、俺もって囁いた後やさしいキスが降ってきた。

「じゃあ改めて、今日からよろしく。名前。」
「はい、よろしくお…  え……、え、」
「これも日常にしような。」
「はん、そく…です……っ、……け、け…いじ、さん、」
「かわいい。」
「あ、」



恐いままでも、しあわせ

writer そらさく

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