この部屋で好きなもの。二人で旅行に行ったときに買った硝子細工の置物と、リラックスするためにたまに炊くお香の薫り。そして、二人が寝るにはちょっと窮屈なシングルベッド。 今日は土曜日で堅治くんの仕事も、私の大学も休みだった。そろそろベッドを新調しようという彼の提案で今日は午後からインテリアショップに行く予定だ。堅治くんより先に目覚めた私は枕に顔を埋めている彼の顔を眺める。普段は彼が仕事で遅く帰ってきても堅治くんの方が眠りに落ちるのは後のようで中々拝むことのできない貴重な寝顔に自然と笑みが零れる。 高校を卒業して、二年専門学校へ通い就職した彼は社会人一年目。ちなみに私は大学三年生。社会人となった堅治くんが職場近くに引っ越したことを機に、一緒に暮らしている。 始めはこの狭いシングルベッドでお互い満足していたが、連日の仕事の疲れがとれないとかなんとかでこれともそろそろおさらばだ。私は彼とぎゅーっとくっつけるのでとても気に入っているけど、疲れがとれないと愚痴をこぼされてしまっては文句を言うこともできない。 時計を確認してまだ時間に余裕があることを確認する。もう一度布団に潜り堅治くんの胸板に顔を押し付けるとトクントクンと一定のリズムで刻まれる心音が直接私の脳内で響いているかのような気分になる。 気分をよくして頭を彼に押し付けていると息苦しかったのか一度彼が唸った。しかし一週間の仕事と、昨夜の情事で疲れが溜まり眠気がピークなのか目蓋をあげる気配はない。 むくむくと悪戯心が湧いた私は堅治くんの鎖骨辺りになんとかキスマークを残してやろうと唇を這わせる。リップ音を立てながら何度も試みるがコツがつかめずそこに赤い痕は現れない。 私を困らせるため見えるか見えないかギリギリのところにいつも痕をつける彼に仕返しをしてやろうと思ったのにその計画は失敗に終わってしまった。そのことに落胆し、深くため息をつく。 「朝から発情してんなよな」 そんな私に追い討ちをかけるかのように上から声が降ってきた。顔をあげると呆れた顔の彼が私を見下ろしていた。悪戯がばれてしまったことに「ひっ」と短く声を漏らせば仕返しとばかりに鎖骨に噛みつく勢いでキスをされた。そしてちゅう、と音を立てて吸い付いたところはすっかり赤い花を咲かせている。 「こうやるんだよ。ばあか」 「ひ、 酷い」 「酷いのはどっちだよ。寝てるとこ襲うなんて最低〜」 胸の前で腕をクロスし、からかいの眼差しを向けられた。自分だってキスマークつけたくせに!今日は天気がいいから鎖骨の見える丸いカットソーを着る予定だったのに台無しだ。 「堅治くんの朝ごはん抜きにするから」 「名前より俺のが美味い飯作れるし問題ないね」 「……意地悪」 「うそうそ。作ってよ」 上体を起こして私の頬に唇を落とした彼は力尽きたかのように再びベッドへと横たわる。堅治くん一人でいっぱいいっぱいなベッドに二人で寝ていたことを思い出すと大分彼は窮屈な思いをしていたんだろうな、と申し訳なくなった。気持ちを切り替えるためため息をひとつ漏らして、朝食を作るべくキッチンへ向かおうとすると堅治くんのご機嫌な声が聞こえた。 「俺、フレンチトーストがいい」 「はいはい」 彼の要望通り、フレンチトーストを作ってから部屋に戻るとようやくベッドから起き上がったらしい彼がスウェットから私服に着替えを済ませていた。甘いかおりに釣られるように椅子に座ってフレンチトーストを頬張る堅治くんは子供のようでちょっぴり可愛げがある。 二人でベッドを購入する上でどんなこだわりがあるのか意見を交わしつつコーヒーを片手にフレンチトーストを完食した。 食器を洗い再びリビングへ戻り、首もとのつまったデザインの服を着るべく私もTシャツを脱ぐと眉間にシワを寄せた堅治くんと目があった。 「なに?」 「お前さあ、一緒に住み始めて恥じらいがなくなったよな」 「……そう?」 「もっと恥ずかしがれよな〜」 確かに以前なら絶対彼の目につくところで着替えようとは思わなかっただろう。しかし今さら隠しても見られているものは見られているし、部屋数も少ないんだから仕方がない。そう考えると一緒に暮らしていくなかで慣れというのは怖いものだと思った。 「あ、あと俺その服よりあっちのが好きだわ。えーっと藍色のシャツで襟がきらっきらしてるやつ」 「ああ、あれ。着てほしいの?」 「久々のデートじゃん」 一緒に暮らすようになって待ち合わせをしなくなった。そして買い物もデートと括るには色気がなくなっていたかもしれない。けど今日の堅治くんは私と買い物デートをする予定らしく悪戯っぽく笑う。その笑顔につい絆され、あっさりと彼が注文した服に着替え直す。それを見た堅治くんはアーモンド 型の目を細めると満足げに頷いた。 「やっぱ名前、それが一番似合う」 「ふふ、堅治くんが素直に褒めてくれるなんて珍しい」 「いつも俺は素直だっての。まあいいや。ベッドの寸法俺が計っとくからその間に支度してな」 「うん、ありがと」 堅治くんのお言葉に甘えて化粧を始める。彼はメジャーでベッドの寸法を計ってそれをスマホのメモ機能に書き込んでいるようだった。二十分程して、堅治くんに声をかけるも返事がこない。 寝室へ向かうとシングルベッドに沈む堅治くんの姿があった。顔を覗き込んでみるとしっかり目蓋は閉じられており、眠りの舟を漕ぎ出したらしい。 あまりにも気持ち良さそうに眠る彼を揺さぶり起こす気にもなれず、残ったスペースに私も身体を横にする。やはり二人で眠るにはシングルは狭く感じるが、この苦しくも幸せな狭さも今日で終わりなんだと思うと少し名残惜しい。 朝のように堅治くんの胸板に顔を預けると彼は無意識なのか私を抱き締めた。いつもの反射なのだろうか。あまりにも可愛らしい堅治くんにくすくす笑ってさらに距離を縮めると私の好きなお香の薫りが堅治くんから漂ってきた。きっとこの部屋で暮らす内に薫りが残り香として移ったのかもしれない。 先程よりもさらに眠気を駆り立てる状況に当然逆らえるはずもなく、重たくなっていく目蓋に従った。 そろりと堅治くんの脚に自分のそれを絡める。もうこれからは眠るとき、こんなに近くに寄ることもないかもしれない。そう考えるとさらに恋しく感じ、彼の背中に手を回した。 「ん……名字?」 「ごめん、起こした?」 「や、大丈夫。つーか何お前まで寝てんの」 私が動いたせいで目が覚めたのか、眠気眼をこちらに向けながら問う。しかしこんな近くにいるのに今さら離れてしまうのももったいなく感じ、堅治くんから離れないでいると私がどうしたいのか分かったのかもぞもぞと身体を捻ると私に腕枕をしてくれた。彼の腕に頭を乗せ、にんまりと笑顔を浮かべる。 「ふふ、ありがと」 「このベッド今日で最後だからな」 彼が一人で暮らしていたときから使っていたそれ。実に三年。堅治くんもそれとお別れするのは寂しいのかベッドから起き上がる気はないようだ。 「ねえ、堅治くん。ダブル買ってもこういう風にくっついていい?」 「せっかく広くなんのに?」 不思議そうに尋ねてきた彼に頷いて返事を待つと堅治くんが余っている腕で私の腰を抱き、さらに自分の方へと引き寄せた。 「俺もくっついて寝たいから、いいよ」 堅治くんが甘えるように訴えてきたことに驚きを隠せないでいると照れ隠しなのか彼がシーツを被る。私はそんな彼の返答に確かに満たされていくのを感じながらゆっくりと目蓋を閉じた。次に起きたらベッドを買いにデートに行こう。二人でシーツに潜っても狭くない、けど寂しくないサイズのものを選びに。 シーツの海に溺れてしまおうwriter 一香 |