《お泊まりいきたい》
〈別にいいけど〉
《じゃあ明日の夜に行くね。おやすみけんじくん》
〈りょーかい。おやすみ名前ちゃん〉

スマホでそんなやり取りをして、もうとっくに慣れた、彼女と何度目かのお泊りを迎えるはずだった。

小汚い部屋を簡単に掃除する。なくしたと思っていたアクセサリーなんかがでてきて、掃除はやはりマメにした方がいいらしい。翌日仕事を終えた夜、自室でくつろいでいるとインターホンが鳴った。読んでいた雑誌をテーブルの上に置いて玄関へと向かう。「けんじくんっあーけーてー」ああもう。間抜けな声がドアの向こう側からこちら側に響く。きっと両隣か、もう少し先の部屋にも聞こえてしまっていると思う。こういうの、すんげーかわいいんだけど、すんげーアホっぽい。

「はいはい開けますよー………」
「こんばんは。お泊り久しぶりだね、けんじくん」
「いや、お前、その荷物、え?は?」
「しばらくお泊りします」
「は?」

大きいボストンバッグにこれまた大きいスーツケースが二つ。それに加えて比較的小さなリュックを背負って、名前ちゃんはドアの前に立っていた。お前はそんなに荷物を持って一体どこに行くつもりなの。お邪魔しまーす、なんてあまりにも普通に入って来たものだから言葉が出なかった。せいぜい一泊、長くても三泊くらいだと思っていた俺はこの荷物に驚く以外の動作ができない。

とりあえず荷物を空いてる部屋に置いて名前ちゃんをソファに座らす。けんじくんの匂いがいっぱいだーとか当たり前な感想を吐き散らす彼女にいちいちにやけそうで堪えるのに必死。名前ちゃんが好きだという買い置きしていた紅茶をカップに入れて持って行く。もちろん、いつも入れている角砂糖も忘れずに。

「仕事はどーすんの」
「ここから通えるもん」
「なんでいきなり?しばらくっていつまで?」
「迷惑だった?」
「んーん。むしろウェルカムだけど」
「へへ、やっぱりけんじくん優しいね。すき」

ことあるごとに名前ちゃんは「けんじくんすき」と言う。俺も好き、と返せば、けんじくんよりもっともっと私の方がけんじくん好きだもん、だなんてワケ分かんねぇ張り合いをしてくるので、残念ながら返事はいつも「ん」とかしか言えない。そんな名前ちゃんが好きで仕方ない俺は、確実に名前ちゃんより想っている自信がある。想いが重い、つって。

◇ ◆ ◇

名前ちゃんとおはようからおやすみまでを共有してから一週間が経った。言っていた通り名前ちゃんはここからきちんと職場に通っている。たまに飲み会に誘われてベロンベロンに酔った名前ちゃんを迎えに行くのにももう慣れた。何せこれが初めてではないからである。弱いくせに行こうとするから、お持ち帰りをされないように必ず仲の良い女友達が同伴という条件付きで飲みには行かせている。彼氏という立場から言わせてもらえば、知らない男が大半を占める飲み会の場に名前ちゃんが放り込まれるのはあまりいい気分にはならないけれど。

おはよう。おやすみ。行ってらっしゃい。お帰り。いただきます。ごちそうさまでした。

全部を名前ちゃんと共有できる幸せ。朝起きれば、いつもと同じベッドでも横にはまだ眠たそうな名前ちゃんが目をこすりながらおはようってはにかんでくれる。朝が弱い名前ちゃんのために朝ごはんを作ってあげると、嬉しそうにいただきますって手を合わせてくれる。行ってらっしゃいのちゅーしてよ、って冗談半分なのに、本気にしてほっぺにちゅーして、行ってらっしゃい、って頬を赤くしてくれる。家に帰れば、一足先に帰宅した名前ちゃんがおかえりなさいって、リビングにいい匂いをさせて可愛いエプロン姿で出迎えてくれる。一緒にいただきますをして、美味しいねとか、今日はこんなことがあったんだよとか、新婚さんみたいだね、とか、言ったりして、二人で一緒にごちそうさまと言う。おやすみなさいと部屋の電気を消せば、ぎゅうぎゅうに詰め寄ってくる名前ちゃん。よく手を出さなかったなと俺自身を褒め称えたい。そういうことはしていたけれど、基本プラトニックなのだ。そんな毎日が幸せでたまらなくて、新婚さんみたいじゃなくて、本当にそうなりたいと強く思うようになった。

ご飯が終わって一息ついた名前ちゃんは俺に後ろから抱きつきながら「けんじくんすきー」といつものように俺の背中に頬を擦りつけている。もはやこれは名前ちゃんの口癖みたいなものだった。悪い気は全くしない。でもさ名前ちゃん。俺も名前ちゃんのこと本当に好きなんだけど、そう言ったってどうせお前は私の方がってぶーぶー文句言うんだろ。知ってるよ。だからさ、今日はとびっきりの言葉用意したんだよね。一回しか言わないし、名前ちゃんにしか言わないし、だから、よく聞けよ。

ずっと前から言おうと思っていて、でも、タイミングというものはすごく難しい。小さな白い箱の中の住民はどれほどこの時を待っただろうか。なんだかんだいって勇気の出なかった俺を許してほしい。腹に回されている手に自分の手を重ねて、少し引くく彼女の名前を呼び捨てると、背中越しに彼女が揺れたのが分かった。お泊り、なんていつかは帰ってしまうこのごっこ遊びにもいい加減飽きてきたところだったので、ちょうど良い。

『目ェ瞑ってたらイイコトしてあげなくもない』と安いし信憑性のない言葉にも簡単に乗ってくれる名前ちゃんがたまにすごく心配になる。ソファに座っている名前ちゃんの前に跪くように俺は床に膝をつく。少し冷たい小さな箱の中の住人を取り出して、取った彼女の左手薬指にスルリとはめた。また彼女の肩がビクリと揺れる。もういいよ、と言うと名前ちゃんは恐る恐る目を開いた。同時に、軽くおでこに口付ける。おっかなびっくり、という表現が今の彼女にはピッタリだ。右手でおでこを抑えて、左手を凝視して。あ、名前ちゃん泣きそう。すんげー涙目じゃん。俺も泣きそうだけどさ。言葉の出ない名前ちゃんは口をはくはくと閉じては開けるの繰り返し。お魚みたいだと笑いたいのを我慢して、俺にしては珍しく、鈍感な名前ちゃんにも分かりやすいようにストレートでこの気持ちを表現することにした。

「俺と、結婚してください」



角砂糖に住まう

writer 六

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