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※過去捏造






このところ署内はひとつの噂で持ちきりだった。あちこちで囁く声を度々聞いた。それは黄色い声だったり、ときには妬みの入り交じった声だったりしたわけだが、偶然出会った噂の張本人はそんなこと全く気にしていないようだった。

「おめでとう、巌徒。また昇進したんですってね」
「やあありがとう。そうなんだよ、いやあ有難いよね、ホント」
「同期の中ではあなたがダントツで一番ね。当然といえば当然よね、あなたほど優秀な人っていないもの」
「またまた、みょうじちゃんてばお世辞が上手いなア」

巌徒は愉快そうに手を叩いてグラスを飲み干した。数年前まで見慣れていた動作なのにそれはどこか空々しくて、隣に座る彼とわたしの間にはあたかも遠い遠い隔たりがあるようだった。昔の彼は正義感に燃えていて、同期の中でも人望は厚かった。それがいつからだろう、彼に対して背筋に凍るような寒気を覚えるようになったのは。
今だって顔こそ笑っているものの、目だけは冷たく光っている。みょうじちゃん、とわたしを呼ぶ声にも堅く無機質な温度を感じた。

「…あなた、変わったわよね」

ふいに唇の端から言葉が零れた。それがどちらの意味かなんて言うまでもなく、当然ながら巌徒にもわかったらしい、わざとらしい笑顔をつくるのをやめて真面目な顔に戻った。

「…変わった?…ボクが?」
「ええ」
「……………」

巌徒は無言でグラスを置いた。わたしはカウンターに目を落として指先で木目をなでている。巌徒がどんな表情を浮かべているか、見たいとは思わなかった。それが怒りにしろ嘲りにしろ、そこにはもうわたしの知る巌徒はいない。
だから彼が静かに席を立ったときもわたしは顔を上げなかった。

「…君には、わからないよ」

去り際に巌徒が残した言葉に、意外な哀しみの色を聞き取ったように思ったのはわたしの気のせいだろうか。






色褪せた片隅
20100327 獣
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