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(※)



 重い身体を引きずるようにして部屋に向かった。相変わらず肩だの腰だの身体中のあちこちが痛むが、連日物凄い量の仕事をこなしているんだから仕方ない。この仕事を淡々とこなしていた彼の優秀さを改めて実感する。(まあ、鬼だから私よりだいぶ丈夫にできているんだろうけど)
けれど、それもこれも彼の時間を私の物にするためなら、なにを厭う必要があるだろう。今の私にとっては身体の痛みすら彼が間接的に与えてくれる愛しいものでしかない。

「ただいま、鬼男君」

 腰にぶら下げた鍵束の中からひとつを捜し当て、鉄製の重たい扉(いつもながら錆びた血の匂いがした)を開けて愛しい愛しい彼の名を呼べば、壁際の彼はうつむいていた顔を微かに上げた。そして薄い唇はいつものように義務的に「おかえり」と感情の籠もらない四文字を紡いでくれた。

「遅くなっちゃってごめんね。いま解くから」

 後ろ手に扉に鍵を掛け、小走りに駆け寄って目隠しを外した。紅玉の瞳は、今日も期待した愛情は浮かべておらず、その代わり憎しみでもなく、抵抗でもなく、ただ哀れみの色だけを浮かべていた。

「ご飯、持ってきたよ」
「…ありがとう」
「食べさせたげる。あーんして」

 鬼男君は、これまた義務的にぱっかりと口を開けた。最初こそ(両手を拘束されているにも関わらず)此れだけは頑なに拒んでいたものの、今では諦めて大人しく従ってくれる。

「ね、今日は何考えて過ごしてた?」
「…何にも考えてないよ」
「嘘。考えたでしょう?仕事のこととか、死者のこととか、同僚のこととか」
「……………」
「鬼男君て、嘘下手だよねぇ。大丈夫だよ。鬼男君みたいに優秀じゃないけど仕事はきちんとこなしてるし、今日はとくに問題のある死者はいなかった。皆もいつもどおりだったよ。…ねえ、だから―――」

 言ってて虚しくなったから、途中でやめた。ほんとは仕事のことなんかいいから、私のことだけ考えてほしいのに。一日中私のことだけ考えて、ほかのことなんて考えられないくらい私で頭を一杯にして…私だけ見て、他のものなんか見ないで、一瞬だって私以外の全部目に映さないでどうか私だけを見て、どこにも行かないで、私なしで生きられなくなって、ねえ、ねえ、ねえねえねえ………
口に出したところで虚しさが募るだけだから無理やり喉の奥に押し込む。

「お水、おかわり持ってくるね」

 苦し紛れに水が並々入ったコップを見つめて呟いた。彼と一秒だって離れたくないのに、彼といればいるほど虚しいのはなぜなのだろう。
 立ち上がった背中越しに、「ごめん」という言葉が聞こえた。それはきっとお水を取ってくることに対してではなくて、めちゃめちゃに私の心臓を切り裂いた。ああだって欲しいのはそんな言葉じゃないのに。
私以外誰も入れない部屋に閉じ込めて、私以外何にも触れられないように拘束して、私以外何も見られないように目隠しをしたって紅いふたつの硝子玉は私を映さない。
ねえ、ねえ、どうしたらいいの。
だって私は、こうする以上の愛し方なんてわからない。






不毛ごっこ
20111122
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