2023.11.17
Tetsurou kuroo happy birthday !!


あちゃあ、ツイてない。
そう思ったのは教室の喧騒が少し落ち着き、各々が新しい自席へと腰を下ろし始めた時のことだ。

席替えが行われ、引いたくじは窓際最後尾のなんとも嬉しい立地。夏も過ぎてぽかぽかと暖かい日差しと軽やかな風が吹き込むその席は、教師からも当てられにくい学生ならば誰でも一度は座りたいと思う場所である。
友人と、離れちゃったねーなんて会話を交わしたのち移動した新しい自席。
すとん、と腰を下ろして前を見て、そして冒頭に戻るのである。

わたしの目の前には大きな背中とつんつく頭。
クラスメイトの黒尾鉄朗。バレーボール部主将とその名に恥じない長身の持ち主である。

――黒板見えないわ。
右側前方はいいのだが、板書が左端に寄ってしまえばそれを見ることは叶わない。

変えてもらおうかなぁ。
そんなことを思っていると、目の前の背中がくるりとこちらを向く。

「見える?前」
「左側が厳しい」

正直にそう言ったわたしに黒尾くんは「そーだよなー」と少し困ったような顔をして、それから何かを思いついたように口を開いた。

前後で席変えてくれるのかな。
そんなことを思っていたが、黒尾くんの口から出たその言葉に思わず驚いてしまう。

「見えない時教えて」
「――は?」
「背中つついてくれればいーよ。そしたら俺避けるし」
「…わかった」

黒尾くんの提案を了承したわたしに彼はへらりと笑って、それからくるりとその身体を前へ向けた。

席変わっても良かったけど。
そう思いつつも、新しい自席は気に入っている。ここは黒尾くんの発案に甘えよう、と広く大きな背中をぼんやりと眺めた。




黒尾くんは言葉通り、わたしが授業中シャーペンの頭で背中を軽くつつくと、その大きな身体をひょいと左にずらしてくれるようになった。
立派な体躯がこじんまりと左側に寄っているのは見ていてなんだか可愛らしいが、申し訳ない気持ちも募る。毎時間、というわけではないがかなりの高確率で彼は窮屈な思いをしているはずだ。
身体痛くなったりしないかな。そんな不安もある。
今日とて彼は目の前で身体を左側に寄せており、やはり心苦しいと、そんなことを思ったわたしは昼休みに入ってすぐ黒尾くんに声を掛けることにした。



ちょん、と指で黒尾くんの背中をつつく。「あ、わり」と声を漏らした彼がくるりとこちらを向き「見えなかった?」と聞くが、黒板はすでに日直の手によってその半分が消されている。黒尾くんもそれに気付いたのだろう、教室の前方をちらりと見て、それからまたこちらを向いたかと思えばこてんと首を傾げてみせる。

「どしたの」
「やっぱり申し訳ないから席変わるよ」

そう言ったわたしに黒尾くんが「えっ」と驚くような声を出した。えっ、てなに、えって。
わたしの発した言葉はそのままの意味なのだが、黒尾くんはなにやら納得がいっていないらしい。
なんで?とさらに首を傾げている。

「そんな大きな人が片っぽに寄ってるの、やっぱり申し訳なくて。身体痛いでしょ、部活もあるのに」

わたしのそんな言葉に黒尾くんは「痛くない」「平気」「大丈夫」と口早に言い、そしてふるふると首を横に振ってみせた。
でも。そう食い下がるわたしを彼は困ったように見て「迷惑?」とわずかに顔を俯かせ、そしてこちらを見る。

捨てられた子犬ってこういう感じなんだろうか。
そんなことを思い、ぐ、と言葉に詰まってしまう。
何も言わないわたしを見て黒尾くんはパッとその表情を変え今度はからりと笑って「このままでいーよ」と言い、ひょいと腰を上げてしまった。




はぁ。
ため息を吐き出しながら教室の扉を潜り、肩を落として自席へと腰を下ろす。

つい先ほど。
みょうじのこと好き。
そう勇気を出して伝えてくれたであろう元同窓の男子生徒にごめんなさい、と頭を下げたばかりだ。
華の高校生、とはいえ、わたしは恋愛には疎い。友人らは誰それが好き、格好いい、とはしゃいだ様子を見せるが、わたしはいつもそれを笑って見守るばかりだった。

なんか向いてないんだよなぁ。
そんなことを思いながら、先ほどまでのことを頭の中で振り返る。
昼休みが半分ほど過ぎたあたりでやってきた男子生徒は緊張したような面持ちで、その気持ちを丁寧にお断りした頃にはすっかり意気消沈という具合だった。
申し訳ない。そんなことを思うが、気持ちがないのに受け入れるわけにはいかないと、そう自分を励ますことしかできない。

ふと目の前を見れば、普段は穏やかに笑って過ごしている黒尾くんがすっかり机に伏せてしまっていた。
教室を出る前、自席から腰を上げる際には同じ部活と聞く夜久くんと笑い合っていたはずなのに。
少しその様子が気になって、つん、とぺたりと机に伏せた背中を指でつつく。びく、と大袈裟に震えたそれに心の中で謝りながら、どうしたの、と声を掛ければ黒尾くんはのそりとその身体を起こしてこちらを向いた。

「…みょうじサン」
「はい」

落ち込んだ、というか、拗ねたような色をした顔で黒尾くんはこちらをじっと見ている。不思議に思って首を傾げていると、彼はその眉をすっかり下げてしまい、それからぽつりと口を開いた。

「さっきの、誰ですか」

さっきの、という黒尾くんの問いかけはおそらくわたしを呼び出した男子生徒のことを指すのであろう。それはすぐにわかったのだが、どうして黒尾くんがそれを気にするのかがわからない。
それでも目の前にいるこの男は、どうやら答えを求めているらしい。じっとこちらを見たまま微動だにせず、恨めしげとも言える視線を送るばかりだ。

「同じ中学の人」
「それで?」
「いや、べつに」

告白されました、なんて答えるわけにもいかず返事を濁したわたしを見て黒尾くんは黙ったまま、ひらひらと手を振ってまたも机に伏せてしまう。

その日、わたしは黒板を板書することに困ることはなかった。――結局、黒尾くんは放課後まで机に伏せたままで、時折軽く身を起こして黒板を見てノートに板書をし、それからまたぺたりと背中を丸めることを繰り返していたからだ。




「黒尾、今日誕生日なんだってな」
「おー」
「海から聞いた。オメデトー」
「ありがとーございます」

朝練終わりなのだろうか、黒尾がすでに生徒の大半が登校してきている教室に姿を現し、そんな会話が交わされる。連れ立って入ってきた夜久くんも同じように声を掛け、さっき言ってもらったばっかりですけど、なんて黒尾くんが嬉しそうに軽口を叩いているのが見えた。

黒尾くん、誕生日なんだ。秋生まれ、確かにそれっぽい。
そんなことを思いながら自席で一限目の教科書を揃える。
軽い足取りでわたしの前の席に着いた黒尾くんはどこか落ち込んだ様子を見せたあの日から二、三日静かに過ごしていたものの、数週間経った今では前と同じように溌剌と過ごしている。時折わたしが彼の背中をつついて黒板を見せてもらい、授業が終わると声を掛け「ありがとね」と伝える。そんな穏やかな日々が続いていた。

「黒尾くん」

予鈴までもう少し。そんな頃合いで声を掛ける。くるりと振り返った黒尾くんは「おはよ」と笑って言って、それからどした?と軽く首を傾けてみせた。

「今日誕生日なの?」
「ン、そーです」
「さっき話してるの聞こえた。おめでとー」

そう言って笑ったわたしに黒尾くんは少し目を丸くして驚いたあと、へらりと笑って「ありがと」と言う。

「わたしより歳上だね」
「みょうじ誕生日まだなの?」
「うん、早生まれだから」

黒尾先輩じゃん。
そう揶揄うように言ってやれば黒尾くんはなぜか、う、と言葉に詰まるような様子を見せ、それからぱたぱたと手のひらで顔を仰いでいる。
そんな姿を見ながら首を捻ろうとした時、予鈴のチャイムが響いた。くるりと身を返した黒尾くんがまたもこちらを振り返って口を開く。

「今日部活の前にちょっといい?」
「うん?いいけど」

なんで?
そう問い掛けようとした声は、教室内に入ってきた教師の声で彼に届くことはない。
不思議に思いながら目の前に落ち着いている大きな背中をぼんやりと眺め、筆箱からシャーペンを取り出した。




ごめん。ちょっとだけ待ってて。
授業も全て終わった放課後。黒尾くんはそうわたしに言い残して鞄も置いたまま教室を出ていってしまった。

なまえ残ってるの珍しいね。
そう声を掛けてくれる友人には、まぁちょっと、と言葉を濁し、また明日、と自席から手を振る。
すっかり教室内も閑散とした時、ばたばたと駆けてくる足音が聞こえたかと思えば黒尾くんが慌てた様子で教室の扉を潜ってくるのが見えた。パッと視線が噛み合う。

「良かった、まだいた」
「待っててって言われたもん」

肩で息をしながらやってきた黒尾くんは、そのまま真っ直ぐわたしの元へとやってくる。

部活の連中に捕まった。
黒尾くんはそう言って、ごめん、と頭を下げる。
気にしなくていいよ、と返事をするが黒尾くんの眉は下がったままだ。
もとより帰宅部である。自宅に帰っても待ってるのは宿題だけで、それだって何時間もかかるものではない。
黒尾くんは自席に座ることもせず、おもむろに窓際に背を預けていたわたしの前へとしゃがみ込み、そしてじっとこちらを見た。

「みょうじさん」
「な、んでしょう」

黒尾くんは背が高い。普段見上げている人がわたしの目線より下からそれを向けるというのはなんだかこそばゆかった。加えて、いつもはその広い背中しか見ていない。じっとわたしを見る視線が痛いような気がしたけれど、それを外すことはできなかった。
開いた窓からそよりと風が吹き込んでくる。少し温度の低いそれが背中に当たった秋の日差しを和らげ、そして音楽室から聞こえているであろう、吹奏楽部の奏でるメロディを静かな教室へと運んでいた。

「今から言うことに返事が欲しいんですけど、でも俺の誕生日だからってそういう忖度はナシでお願いしたいです」
「はあ」
「――みょうじのこと好き。俺と付き合ってもらえませんか」

――は?
そんなわたしの声が二人きりの教室に間抜けに響く。
ふわ、と一際強く風が吹いて、中庭に植っているであろう名も知らない花のような香りが舞っていった。

黒尾くんが、わたしを、好き。
目の前にいる男は、じっと息を呑むようにこちらを見つめている。そんなに見られたらそろそろ穴が空いてしまう。そう思ったけれど、多分それは黒尾くんにも言えることだ。わたしだって視線を外せないままでいる。
声が喉に張り付いたように思えて仕方ないけれど、なんとかそれを絞り出そうと口を開いた。

「好きなの?」

我ながらひどい、ひどいセンスの問いかけだと思う。そう自分を揶揄してみるが、黒尾くんは一瞬ぽかんとした表情を浮かべたあと、くつくつと肩を僅かに震わせて喉で笑い、そーですよ、と言ってこちらを見た。

「席変わんなかったのも、みょうじに話しかけてもらいたかったから」
「…えぇ、なにそれ」
「みょうじがなんか知らねえ男に呼び出されてめちゃくちゃへこんだ」
「うそでしょ」
「ま、断ったって聞いて安心しましたけど。まぁでも俺もフラれんのかなってまた落ち込んだけどね」

黒尾くんは言葉ひとつひとつをしっかりと紡いで、それからまたわたしを見上げる。
こてん、とその首を傾げて「で、どーですか」と少しばかり眉を下げながらお伺いを立てる姿はまさに捨てられた子犬。
いやいや、こんな大きな男が子犬に見えるなんてどうかしてる。
そんなことを思ってみても、やはり胸はくすぐられるのだ。

「――ちょっとでも、気持ちない?」

そう黒尾くんが言って、悲しそうにさらにその眉を下げる。
やめてくれ、そんな姿を見せられて、はい、そーですよ、なんて言えるわけがないじゃないか。

「黒尾くんのことは、その、可愛いと思います」

やっとの思いで外した視線。俯いてぽそりと言ったわたしに黒尾くんは少しの間を置いたあとけらけらとおかしそうに笑った。

「なに、俺可愛いの」
「可愛いよ。そんな大きな身体してるのに端に寄ってくれるところとか、今だって子犬みたいな顔してるじゃん」
「初めて言われたわ」

それはそうだろう。あまりに黒尾くんが笑うので少しばかり悔しい気持ちになりながら視線を持ち上げると、彼はようやくその笑いを収めて膝の上で頬杖をついていた。細められた目の色はなにか愛おしいものでも見るような様相で、思わずどきりと胸が跳ねる。

「可愛い黒尾クン――いや、もう俺のが歳上だっけね。黒尾サンと、お付き合いしてみませんか」

にこにこ。そんな効果音がつきそうな顔で黒尾くんは笑っている。
じわりと頬に熱が集まっているのは背中から受ける秋の柔らかい日差しによるもので、決して彼に絆されているわけではない。
きゅ、と唇を結びながら、僅かにこくりと頷いたわたしに黒尾くんはゆっくりと腰を上げ、それから背中を丸めてわたしの手を取る。

「一生モンのプレゼントかも」

そう言った黒尾くんの言葉の意味はその時のわたしにわかることはなかったけれど、それから数年後、彼と同棲を始めて迎えた十一月十七日のその前日。

あの時俺ね。
そんな言葉から始まった黒尾くんの愛の告白に、わたしは彼のその気持ちの深さと覚悟を思い知ることになる。



その日俺は何よりも嬉しい幸福をもらった


2023.11.17
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