2023.11.17
Tetsurou kuroo happy birthday !!


「黒尾せんぱーい!」

背後から投げられた声に振り向けば、大きく手を振ってこちらに駆けてくる一人の女子生徒が見えた。
――みょうじなまえ。
ひょんなことから顔見知りとなった彼女は、なぜだか知らないがこうしてよく声をかけてくれる。
立ち止まった俺と研磨の前に立って、みょうじはへらりと笑った。

「今日は部活ないんですか?」
「ン、夕方だけ」
「ラッキー」

そう言って目を細めたみょうじが行きましょ、と言って足を進める。
朝から元気なことで。
そんなことを思いながら小さく笑った俺を、研磨が呆れたような色で見た。

昇降口でみょうじと別れ、靴を履き替えた研磨と顔を合わせる。
少し部活についての話をしてから研磨とも別れ、三年の教室へと向かった。




昼休み。チャイムが鳴ってしばらくした時、またも「黒尾せんぱーい」と明るい声が聞こえてきた。
先に向かった夜久の後を追い海のクラスへ行こうと浮かしていた腰をそのまま上げて教室の扉へと向かえば、みょうじは「良かった、まだいた!」と嬉しそうに笑っている。

「これ、黒尾先輩に」

そう言って取り出したのは包装されたクッキー。話を聞けば、先ほどまでの時間で調理実習があったらしい。良かったらもらってください、とからりと笑うみょうじの手からそれを受け取り「ありがと」と笑えば彼女も同じように目を細めた。

「黒尾先輩、もうじきお誕生日なんですよね?」

そう続いた言葉に、思いもしなかった話題だと驚けば、みょうじは「孤爪に聞きました」と続ける。
そういや研磨と同じクラスだったな、とそんなことを思いながら「そーです」と笑いを堪えつつも言葉を返した。

「平日で良かったぁ」

みょうじはそう言って「お祝いしますね!」とどこか意気込んだ様子で笑い、じゃあまた、とひらひらと手を振ってその背中をみせる。

――犬に懐かれたな。
そんなことを思って、ふ、と笑い、もらったばかりのクッキーを鞄にしまおうと教室内の喧騒へと戻るため身体を返した。




みょうじは明るい子だと思う。
からりとした笑顔ではきはきと言葉を発するのは見てて気持ちが良いし、黒尾先輩と懐いてくれているのは素直に嬉しい。

研磨に言わせればそれは教室内でも同じようで、よくクラスメイトと声を上げて楽しそうに笑っていると聞く。少し抜けたところがあるらしく、たまに教科書を忘れた、と半泣きで他所のクラスへ駆け出していくこともあるそうだ。
委員会や部活などの繋がりがないみょうじと知り合ったのも、そんな彼女の一面に由来するとも言える。

どこでなにがどう繋がるかなど、全く予想はできないのだと、人の縁みたいなものに対して少しばかり感慨深くなるような日々だ。



「それ、どうしたの」
「ン?あぁ」

部活も終わり、エナメルバックに着替えを詰め込む際、みょうじにもらったクッキーを潰さないよう一度取り出した時、研磨が視線をちらりとこちらに投げて俺に問いかけた。

みょうじがくれた。
そう言えば、研磨はふうん、と興味なさげに声を漏らして、それから「好かれてるじゃん」なんて少し小馬鹿にしたように言う。

「みょうじさん、クロのこと好きなんじゃない」
「――は?」

うわ、なにその反応。
そう怪訝さを隠さず言った研磨に放った俺の返事ともいえないその声は一種の間抜けさを持って部室内に響いたような気がしたが、研磨はそんなことを気にもしないような色で「ちゃんとしてあげなよ」なんて呆れたように続けた。

「いや、後輩が懐いてるだけでしょ」
「そういうトコのせいでクロはモテないんだと思う」
「俺だってまぁまぁモテてますよ」
「そういうのは彼女できてから言ってくれる」

ぱたん、とロッカーの扉を閉めながら研磨に言われたその言葉にはぐうの音も出ない。自分がよろしくやってるからってこの野郎。
そんな言葉はなんとか飲み込み隣にいる研磨と同じようにロッカーの扉を閉め、それからチャックの開いたエナメルバックの上にちょこんと乗っているクッキーを眺める。

――いやいや、ないでしょ。

「帰んぞ」
「俺はもう帰れる」

そう言ってすたすたと扉へ向かう研磨の背中を追いながらみょうじの顔をぼんやりと思い浮かべてみたけれど、研磨の言った言葉と彼女ががすんなり結び付くことはなかった。




なんか、静か。
そう思うのは当然である。
あれだけ頻繁に顔を見せていたみょうじがここのところめっきり姿を現さないのだ。

部活のない朝の通学路。昼休み。そして放課後の昇降口。
みょうじはよくそんな場面で俺に声を掛けてきていた。姿を見れば一目散。そんなことがありありとわかる様子で、それは飼い主の投げたボールを咥えて大喜びで戻ってくる小型犬によく似ている。

昼休みもじきに終わるという頃合いでポケットから携帯端末を取り出し液晶を見れば、そこに記されている日付は十一月十六日。

――お祝いしますね!
そう言って笑っていたみょうじを最後に見たのはもう二週間ほど前になる。
胸の中にあるわだかまりとも言えないそれは違和感とも言い表せないし、単なるもやもやとしか表現できない。

なんだかなぁ。
口の中で呟いたそれは、昼休みの終了を告げるチャイムで掻き消されていく。




黒尾先輩と知り合った――というか、その存在を認識したのは一ヶ月ほど前のことだ。

その日はお母さんが寝坊したとかでお弁当がなくて、購買にお昼を買いに行かなくちゃいけなかった。そんな日に限って昼休み前の授業は話が切れないことで有名な先生。その日も例に漏れず、先生はチャイムが鳴ってからもしばらく話を続けて、ようやく教室内に喧騒が訪れたのは昼休みが始まって十分くらいが経った時のことだった。

友人に、今日お弁当ないのと半ば泣きながら声を投げ、財布を手に慌てて購買へと向かう。
階段を降りて、廊下を小走りで進んで、そこを曲がったら目的地。そんな時だった。

まだ残ってるかなぁ。
そう思いながらスピードを緩めず角を曲がって、次いでやってくる衝撃。

誰かとぶつかった。
わたしがそれに気付いたのは、お尻に鈍い痛みを感じたあとだった。

すみません。
そう口にして慌てて起き上がろうと足に力を入れようとした時「あ、ごめん」とぬ、と大きな手が伸びてくる。その手の先にいたのが黒尾先輩だった。

尻餅をついてしまったわたしに黒尾先輩は「平気?痛くなかった?」とどこか慌てたような様子をみせ、それから伸ばした手を引っ込めることもないまま身体を起こすのを手伝ってくれる。
ようやく立ち上がったわたしに彼は「ほんとごめん。前見てなかったわ」と謝ってくれ、いやそれはこちらこそなんだけど、と思ってしきりに頭を下げたけれど、黒尾先輩は「いや、俺が悪いわ」と困ったように笑うばかりだった。

ふと彼の背後に見慣れた金髪が見えて、あ、孤爪の知り合いなんだ、とそんなことを思う。
最後にもう一度黒尾先輩に頭を下げて、お昼なくなっちゃう、と今度は焦る気持ちを抑えながら購買へと向かった。

お昼ご飯はちゃんと買えて、教室に戻って友人にその一件を報告すれば「黒尾先輩だよ、それ」と教えてくれる。彼女は去年も孤爪と同じクラスだったようで、黒尾先輩がバレーボール部に所属していること、孤爪と仲が良さそうだということを教えてくれた。

黒尾先輩かぁ。
そうぽつりと漏らしたわたしに彼女がにやにやとした色を浮かべていたけれど、その理由はよくわからない。

黒尾先輩のことは本当にたまに通学路で見掛けることがあった。
申し訳ない気持ちがあったし、何より彼はバレーボール部の主将だという。ぶつかってしまったあの一件で怪我でもしてないだろうかと改めて声を掛けたが「全然大丈夫。そっちこそ平気?」なんて気遣われてしまって、なんて良い先輩なんだ、とそれには心から感動した。

名前を名乗って、それからたまに声を掛けた。帰宅部のわたしにとって、先輩という存在は新鮮なものであると言える。そんなわたしに黒尾先輩は迷惑そうな素振りを見せることもなくいつも笑って対応してくれて――まさに犬が懐くとはこういうことなのだろうな、と自分でも呆れてしまうほどわたしは黒尾先輩の姿を見ればそこへ駆け寄るようになったのだ。

そんなわたしの忠犬っぷりも、ある日を境に変わる。

黒尾先輩によく声を掛けるようになってから、孤爪にも日常会話をアタックするようになった。孤爪は面倒くさそうにするけれどちゃんと返事はしてくれて、そんな会話の中で「クロ、もうじき誕生日なんだよね」と黒尾先輩情報を教えてくれたのだ。

孤爪、ありがとう!
そう声を張ったわたしに彼はもう本当にやめてくれ、みたいな顔をしていたけれど、尊敬する先輩の誕生日、お祝いしないわけにはいかない。
そんなことを友人に話していた時、彼女がふと言ったのだ。

「なまえ、黒尾先輩のこと大好きだよねえ」

数秒間が空いて、それから「へ」と間抜けな声が漏れる。
うわ、無自覚。
そんな友人の声を聞いているようでわたしの耳は何も拾えていなかったと思う。
――黒尾先輩のことが、好き?わたしが?

「顔真っ赤。かーわい」

そう目の前でからからと笑う友人を見て、ようやく自分の顔がかなりの熱を持っているということに気が付いた。

「うそ。やだ、無理」
「誕生日お祝いするんでしょ」
「やだァ…」

がくりと項垂れ、机に伏せたわたしの頭を友人がその手のひらでさらさらと撫でる。

黒尾先輩のことが好き。
友人の言葉で確固たるものを持ってしまったわたしの気持ちによって、その日からわたしはあれだけ続けていた黒尾先輩との関わりを断ってしまうことしかできなくなったのである。




十一月十七日。
迎えた誕生日当日はひどく穏やかだった。
中学の同級生や、部活仲間からは夜半から誕生日を祝うメッセージが届き、教室でも仲の良いクラスメイトが「黒尾、今日誕生日じゃん〜」なんて言ってお祝いしてくれた。無論、研磨も律儀に日付が変わって少し経った後にメッセージを送ってくれ「明日会うのにな」と苦笑してしまったがこれも毎年恒例のこと。

みょうじは相変わらず姿を現さない。
お祝いしてくれるのではなかったのか。そうつまらなく思う理由もよくわからないが、それを直接表すような大人気なさは持ち合わせていなかった。

まァ後輩なんてそんなもんでしょ。
そう自分を無理やり言いくるめて、放課後を迎える最後の授業を知らせるチャイムに教科書を取り出した。



授業が終わってすぐ研磨からメッセージが届いた。

部活前に俺の教室寄って。
そう記された吹き出しに、いやもうバレてんすけど、とそんなことを思いつつもわかった、と返信を送る。
バレー部では誕生日の部員がいる日、部活前に集まってちょっとしたお祝いをすることが恒例となっている。なるべく本人にバレないようにその準備をするのだが、今のところ全部員にバレバレである。当たり前だ。でもそれを言いはしない。

研磨からのメッセージもそんな時間稼ぎだろうと思い、ゆっくりとした足取りで二年生の廊下へと向かえば目の前から久しくなる一人の女生徒の姿が見えた。
鞄を肩に掛け俯きながら歩き、とぼとぼ、とそんな擬音が目に見えるようなその足取りに、なにやら珍しくへこんでいるようだとそんなことを思う。

はぁ、とため息を吐き出したみょうじがぼんやりとこちらを見て、それからぴき、と音が鳴りそうなほどわかりやすく固まった。

距離にして三メートル。
他の生徒たちが廊下を行き交っているが、同じように立ち止まった俺とみょうじの視線はばっちり絡み合っている。

声を掛けようか迷い、それからようやく口を開こうとした時、パッとみょうじが身体を返し、そしてあろうことか走り出した。
――は、え?なに?逃げんの?

反射的。そう言っていいと思う。
みょうじが走り出した瞬間に俺も止まっていた足を踏み出し、その小さな背中を追いかける。
ちら、とこちらを見たみょうじが泣き出しそうな顔で「なんで追いかけてくるんですかぁ」と半ば叫び声を上げ、それからまたぱたぱたと足を早めた。

「いや、なんで逃げんの」

そんな俺の声はどうやら届いていないらしい。
廊下の突き当たりまで走り切り、それから階段へ。とたとたと軽い足音を鳴らしながら駆け降りるみょうじとの距離は詰まるものの、ここで手を引くわけにはいかない。転んでしまえば大事になる。

駆け下りた先の昇降口をちらりと見たみょうじは迷ったのだろう、少しそのスピードを緩めるが、その迷いを断ち切るように昇降口ではなくそのまま廊下の奥へと掛けていった。

――あの先、確か行き止まり。
家庭科室が廊下の突き当たりに設置されており、折り返すしかないはずだ。
そう思い、このわけのわからぬままに始まった追いかけっこもすぐに終わると胸を撫で下ろしながら、それでも悔しい気持ちがある。スピードを早め、パッとその細い手首を掴んだ。

「な、んで、逃げんの」

運動部とはいえ走れば呼吸は浅くなるもんだ。軽く息を整えながらそう言った俺の声に、みょうじは大きく肩で息をしながらじっとそこに立ちすくむだけだった。

ふと、髪の隙間から見える彼女の耳が赤いことに気付く。くん、と腕を引き、回り込むようにみょうじの顔を覗き込んで一言。

「熱ある?顔赤い」

先ほど俯いて歩いていたのも体調が悪いからだったのではないか。そんな中走ったらダメでしょ、と口を開こうとするがみょうじはその顔を俯かせてしまった。ふるふると首を横に振っている。

掴んでいた手は離していない。また逃げられたら追いかけるのが大変だし、そもそもみょうじには走って欲しくない。誰かとぶつかってもいけないし、怪我などされたらたまったものではないからだ。

相変わらず黙ったままのみょうじに、ふ、と笑い、今日何日?と聞いてみる。どうやら大人気ないところは俺にしっかりとあるらしい。

「黒尾先輩の、誕生日です」

何日、と聞いて俺の誕生日、と答えるみょうじの忠犬っぷりには感服した。
俯いていた顔を上げ、みょうじがこちらを見る。

――みょうじさん、クロのこと好きなんじゃない。
頭に蘇った研磨の声。それから、目の前にあるみょうじの顔。
頬を赤くして眉を下げて、それから薄らと目には涙の膜が張っている。きゅ、と結ばれた唇はいじらしいとしか言えないだろう。

そんな顔を見せられて、何も思わないほど俺は経験値がないわけじゃない。ぼん、と音が聞こえるほど顔に熱が集まるのがわかる。
待って、やばい。

「お誕生日、おめでとうございます」

消え入るような声でそう言ったみょうじがそろそろと腕を動かしたので、掴んでいたその拘束を解いてやる。鞄から綺麗にラッピングされた包みを取り出したみょうじがそれを俺に向け、それから「良かったら」と言って手渡してくれた。
震えそうな手でそれを受け取り「ありがと」と伝える。みょうじが一瞬息を吸い込んだ後、ふ、とそれを吐き出すようにふわりと笑った。

――ごめん、好きだわ。多分、俺の方が。



そんな俺のコイゴコロとやらの自覚も知らず、またも廊下でかち合ったみょうじの背中を追いかけ回すことになるのは、週も明けた月曜日のこと。

黒尾最近なんか下級生追い回してんだって?
そう夜久に言われて「彼女」と弁解ができるようになるのは、それからさらに日付が過ぎた一ヶ月後のことである。



君の恋に落ちた日


2023.11.17
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