駐車場内に停めた車内に大山を残し、吉永と樫井は西口から、田丸と稲見は東口から中へと向かう。平日でも人は多く、そこここで楽しげな人々の様子が見て取れた。

「スーツの男が二人で来るところじゃないっすねぇ」
「そうだな」

小さく笑った田丸がポケットからスマートフォンを取り出す。

「随分上にいるな」
「もう犯人と接触してる可能性ありますね」
「だとしたら爆弾は下かもな」
『じゃ、下から探すよ、二人とも気をつけて』

インカムから聞こえた樫井の声に静かに頷き、中央エスカレーターへと向かう。

「これ、屋上?」
「展望室だな。ここの売りになってるらしい。常時解放されていて、会員向けには時間限定でミニバーの提供がある」
「俺ひとつ下の階までこのまま行って、その後は階段で上がります。田丸さんは正面から行ってください」
「分かった」

エスカレーターに乗り、降りを繰り返しながら少しずつ展望室に向け上がっていく。すれ違う人は皆笑顔で過ごしており、この建物に爆弾が仕掛けられていることなど夢にも思わないのだろうと、そんなことを考えた。
スマートフォンを取り出し、大山から送られてきた彼女の位置情報を確認する。相変わらず展望室に留まったままのそれに、じりじりと焦りのようなものが湧いてくるのが分かる。
こちらを振り向いた田丸の視線に気付き、顔を上げる。

「階段、気を付けろよ」

ゆっくりと頷いてみせ、エスカレーターを降りる。田丸と別れ、案内表示に従い非常階段を目指した。



非常階段には人の気配がなく、何が起きても誰かを巻き込むことがないことには正直ほっとした。煌びやかな店内とは違い、どこか薄暗い雰囲気を受け体に緊張が走る。
右腰に据えられたM37を取り出した。安全装置を解除し両手で構えながら、壁に沿ってゆっくりと階段を上っていく。
この手の商業施設に限らず、階段というものはそもそも見通しが悪く、上にいる者がどうしても有利になる。上から狙われればこちらが劣勢になるのは目に見えており、たとえそうなったとしても最悪の事態は避けられるよう、とにかくゆっくりと慎重に進んでいく。焦る気持ちが命取りになることはわかり切っていた。
一度目の折り返し地点に着き、背を低くして上を覗く。人の姿も、銃口も向けられていないことを確認したところで、後ろから人の気配が近付いていることに気が付く。
犯人が既になまえと接触している可能性があるように、これから接触を試みている可能性だってある。――もしくは、挟まれた?
首筋にひやりとしたものが伝い、一瞬躊躇するも、そのまま上に向かって静かに移動する。
慎重になり過ぎても自分の首を締めるだけだ。そう思いながら、あくまでも警戒は緩めず展望室を目指す。
階段を抜け、展望室へ向かう廊下へと続く踊り場の壁に身を隠した。下からやってくる気配を警戒し、M37を持つ手に僅かに力が篭る。
一定のリズムで階段を上る足跡が近付いてくるのがわかる。その足音が階段を上りきったと同時にその姿を見せたが、それは白いシャツ姿の青年だった。こちらを振り向くこともなく展望室へと向かっていく後ろ姿に、小さく息を吐き出す。
――田丸さんが言ってた、ミニバーの店員かな。
パリッとしたシャツがやけに印象に残るその姿に拍子抜けしつつ、M37を右腰へと据え直した。



展望室に入口には、既に田丸の姿があった。
合流し、声をかける。

「彼女は」
「中だ。ただ見通しが良すぎる。近づけば見つかるな」
「犯人とまだ接触してないんでしょうか」
「ここからじゃわからないな…接触はまだでも、中で犯人が監視しているかもしれない」
「――田丸さんが彼女と接触してください。犯人には俺がアプローチをかけてみます」

それを聞いた田丸は何かを考え込むように眉を顰め、黙り込んだ。
おそらく相手は特捜班の一手、二手先を読んでいる。どう動くのが正解か、誰にも予測できないのが現状だった。

「…いや、揃って接触しよう。俺たちの任務は相手の要求を聞き出すことじゃない。人質の安全確保と、爆弾の解除が先決だ。交渉材料がなくなれば、向こうも焦って動きを見せる。…少なくともそこで突然爆弾を起爆させるような奴らとは思えない」
「わかりました」

しっかりと目線が合わされ話されたそれに、ゆっくりと頷いてみせる。
外から見た限り、展望室に人気はないようだった。扉の両脇から二人それぞれ中を伺い、静かに進入する。

田丸の言う通り、身を隠す場所は少なかった。所々丸く太い柱が立っているものの、それぞれの距離は遠く、一時的に身を隠せれば良いといったところか。
それでもないよりはマシだ。そう思い、中に入った田丸と散り、それぞれ柱へと身を寄せる。ぐるりと視線を走らせれば、窓際に設置されたソファに座る見慣れた背中が見えた。
周囲を確認し、田丸と共にそっと近づく。

「なまえ、ゆっくり振り向いて」

声をかけた瞬間、ぴくりと震えた肩に罪悪感を募らせながら、彼女がこちらを見る。その首元には、見慣れない小さな機械が取り付けられていた。

「――遅かったか」

田丸の苦々しげな声に、パッと彼女の正面へと回り込み膝をついた。今にも泣き出しそうな表情に、その細い手を優しく取る。

「ごめんね、本当に、ごめんなさい」
「謝らなくていーよ」

彼女の首――正面から見て左側に、スマートフォンくらいの大きさの機械が取り付けられていた。「爆弾か?」そう聞く田丸の声に、ゆっくりと頷く。

「多分。樫井さんに見てもらわないとわからないけど。ね、樫井さん」
『今こっちも見つけたとこ。地下フロアから通路に向かう従業員通路。結構やばいね。随分派手なやつだ』
「そっちのやつ、タイマーどうなってる?」
『17時までのカウントダウンってところかな。そっちは?』
「多分同じ。でも――」
『連動してるだろうね』
「うん」

インカムから聞こえる樫井の声に、田丸と視線を合わせる。解除するにしても、樫井の元に彼女を連れていくか、ここで樫井から指示を受けなければ無闇やたらに触ることはできない。

ふと、人の気配を感じ田丸が瞬時に振り返る。同じようにパッと顔を上げた視線の先に、一人の男の姿があった。

「彼女、こっちに寄越してもらっていいかな」

にこやかにそう言ってみせた男には見覚えがある。展望室に来る前、階段を後ろから上ってきた白いシャツの男だ。

「別にお願いしてるわけじゃない。君たちに選択肢はないと思うんだけど」

そう言って男は手の中にある端末をこれみよがしに振ってみせた。――いつでも爆発させることができる、そう言いたいのだろう。
戸惑うような表情を浮かべるなまえに「大丈夫だから」そう伝え、ゆっくり立ち上がるように促す。

「言う通りにして。ここにいるから」

そう小さな声で話せば、何度か彼女は頷いてみせた。
男の元へ彼女がゆっくりと歩いていく。おずおずと近づくなまえの手を男がパッと引き、そのまま肩を抱えるようにして拘束した。それを合図にしたのか、男の後ろからもう一人恰幅の良い男が現れる。――昼間、彼女を連れ去ろうとした男だ。

「何がしたい、要求はなんだ」

田丸のその声に、男が笑う。

「俺が話したいのはお前じゃないし、俺たちの要求はお前には関係ない」

そう言って男は手元の端末を操作する。思わず身を乗り出すが、それはもう一人の男の殺気にも似たものによって制止されてしまう。ぴ、と無機質な小さな音がしたかと思えば、どん、と建物内のどこかで衝撃音が起こったのが分かった。
一瞬樫井と吉永の顔が頭に浮かんだが、インカムから聞こえる声が二人の無事を知らせている。

「爆弾は一つとも、二つとも限らないよね」

にこりと笑ってみせた男に、嫌な汗が背中を伝うのが分かった。



「自己紹介が遅れたね。俺は九十九。こっちの男は金子。言わば何でも屋ってところかな。言われれば人も殺すし爆弾も作る」
「誰から依頼を受けた」
「依頼人のプライバシーは守る方なんだ、答えられないね」
「さっきの爆発は」
「二つ下の階に使用されてない従業員用トイレがあるんだ。邪魔されたくないからね、そこを爆破した。しばらくはフロアごと立ち入り禁止になるんじゃないかな」

田丸の問いに九十九は淡々と答える。
九十九と俺たちの間の距離は5メートルほど。どこかに隙があったとしても、彼女を安全に取り戻すのは難しい距離だった。
それでもどこかで好機がないか、田丸がじりじりと九十九と金子との距離を図っているのがわかる。

「――俺に話があるんじゃないのか」

ぴくりと九十九が反応した。田丸もそれを感じ取ったのか、その場を譲るように俺と九十九を向かい合わせる。

「せっかくだから、二人…いや、三人で話したいな。そっちが外してくれればの話だけど」

ちらりと九十九が田丸へと視線を投げる。ゆっくり頷いてみせれば、田丸はゆっくり窓際へと下がった。それを見て金子もドア付近まで後退する。

「なんだよ、話って」

九十九に捕らえられているなまえが時折こちらを見ては、申し訳なさそうな表情を浮かべるのが心痛かった。ただそれを表情には出さず、ただ視線を送る。大丈夫だと、そう彼女に伝わるように。

「若松が随分と君のことを恨んでてね。彼とは古い仲だから依頼を叶えてあげたかったけど、そうもいかなくなったんだ」
「依頼人のプライバシーは守るんじゃなかったのか?」
「彼はもう依頼人じゃない。ここに来る前に始末してきた」
「…どういうことだ」
「君のことを調べたよ。面白い経歴だね。感受性も豊かで、情に厚い。君、公安には向かないだろ。上司の指示に納得できない時も多いんじゃない?」

くすくすと笑いながらそう話す九十九に、隙は見当たらなかった。さして恰幅が良いわけでも、特別筋肉質な体型をしているわけでもないのに、その佇まいには強者の気配が立ち込めている。これまでどんな“仕事”をしてきたのかは知らないが、幾度も死戦を掻い潜って来たのは間違いないだろう。

「これはスカウトだよ」
「――脅し、の間違いだろ」
「そうかもね」

小さく肩を竦めてみせた九十九が続ける。

「俺たちと一緒に働かないか?イエスならこの女は返す。後生大事にすれば良いよ。ノーなら殺す。ついでに下の仲間もね」
「…そんな話、受けると思うか?」
「受けざるを得なくない?分かってると思うけど、今俺たちが人質に取ってるのってこの建物にいる人間全部だよ」
「随分俺に期待してくれてんじゃん」

ふ、と息を吐くように笑ってみせれば、九十九が意外そうな表情を浮かべたのが分かった。
――九十九が彼女を殺すとして、首につけた爆弾を爆発させるにしても、そのタイミングは九十九と彼女に一定の距離ができた時だ。九十九が彼女を捕らえている間に何かが起きる可能性は少ない。
九十九とじっと見合いながら、隙の生まれるタイミングを伺う。果たしてそんな時が来るのかどうかすら、この男は知らせてはくれないようだが。
視界の隅で、金子が背後を気にする素振りを見せた。釣られるように、九十九の意識が後ろに逸れるのがわかる。
それを見逃さず、パッと九十九との距離を詰めた。警棒を振り出し、手に持たれた端末を叩き落とす。
一瞬、九十九がどこか面白くなさそうな表情を浮かべたが、それは長続きせず、またすぐに飄々とした色へと戻った。
九十九の背後から金子が飛び出してくるのが見えたが、その動きは田丸によって制止される。
背後へと回り込み、なまえを拘束している腕を捕まえ後ろ手に捻るがさして痛がる様子も見せず、九十九はバランスを保ったままもう片方の手で彼女の首を引き寄せた。その手には、鈍く光るオートマチックナイフが握られている。
白い肌に、一筋の赤い糸が引かれた。

「離してくれる?」

拘束している九十九の腕をゆっくりと離し、警棒をしまう。そっと両手を開いて肩のあたりで揃えれば、九十九が満足そうに笑った。
手を伸ばせば触れ合う距離だ。まだ機会はある。
そう思いながら、九十九と向かい合った。

「返事は、ノーってことかな」

九十九のその声に、口を噤む。
二人の背後で田丸と金子が戦っているのが見え、その最中の田丸と視線がかち合った。

「そーだな」
「交渉決裂だ」

残念だよ。そう言って九十九がなまえの首元へ刃を立てる。静かにそれを引こうとした時、金子の隙をついた田丸が九十九のナイフを背後から奪った。カラン、と音を立て、ナイフは床の上を滑っていく。
九十九との距離を詰め、その腕の中にいるなまえの手を引けば思ったよりもすんなりとその身体は九十九から離れた。
――庇いながらは戦えない。そう思い、彼女の耳元で展望室の隅まで走るよう声をかける。背後に掛けていく足音を聞き届けてからようやく、首をぐるりと回した九十九と対峙した。
九十九は背後でやり合う田丸と金子を僅かに気にしてから、何かを考えるような素振りを見せる。ちらりと腕時計に視線を向けたかと思えば、その口角をニヤリと持ち上げた。

「また誘うね。あんまり弱み作っちゃダメだよ」

どういうことだ。そう発しようとした時、ドン、と先ほどよりも大きな爆発音が響く。ぐらぐらと床が揺れ、どこか近い場所で爆発が起きたらしい。インカムからは雑音ばかりが流れ、爆発によって電波が妨害されているようだった。
揺れが収まるよりも早く、九十九と金子が背を返す。足早に駆けていく二人を田丸と揃って追うが、その姿は非常階段を軽快に駆け下り、そのまま姿は見えなくなった。

「深追いはやめよう。まずは爆弾の解除が先決だ」

田丸の声に頷き、展望室へと戻る。室内に破損は見られなかったが、階下で爆発が起きたことは確かだ。いつ何が起きてもおかしくはない。

「なまえ?」

彼女が走って行った先へ声を掛ければ、おずおずといった様子で姿を見せた。大丈夫かと声を掛ければぎこちなく頷く。
首筋に残った赤い線が痛々しく、しかしすでに血の止まったそれには僅かながら安堵した。

「一度、班長と樫井さんと合流しましょう」
「――下までたどり着ければ、な」

田丸の言う通り、階下で起こったらしい爆発でどれだけの混乱が生じているかわからない。それに乗じて九十九と金子は逃げ遂せるつもりだろうが、検問も張られていないとなれば、それこそ奴らの思惑通りに進んでしまうだろう。
インカムから、小さな雑音に混じり人の声が聞こえてくる。思わず指で押さえながら耳をすませば、それは班長――吉永の声だった。

『生きてるか。稲見、田丸』
「班長こそ、生きてますか」
「樫井さんは」
『二人とも無事だ。爆発が起こったのはお前らのいる階の2つ下だ。緊急の設備点検という名目で客は事前に避難させてある。今のところ怪我人の報告はない』
「よかった。ありがとうございます」
『犯人はどうだ』
「逃げられました。もうこの建物を出た頃合いかと」
『身体特徴を大山に伝えてくれ。念のためカメラで追ってもらう』
「俺がやろう」

そう言って田丸が立ち上がる。

『そっちの爆弾はどう?』
「変わらずです。モニターのカウントダウンも止まりません。外し方も俺たちにはわからない」
『解除の手順はそこまで複雑じゃない。ただ同時性が求められるとなると話は別だ』

なまえの首元に巻かれた爆弾を目で追いながら、樫井の声に眉を顰める。それを見た彼女が少し困ったように笑い、小さな声で「ごめんね」と呟いた。

『下には来れそう?』
「様子は見てみますが、爆発の規模と残り時間を見るに、厳しいと思います」
『だよね。ハサミとかある?』

樫井の声に、展望室の壁際に沿うように作られたバーカウンターへ向かう。カウンターの中をぐるりと見渡し、引き出しをいくつか開ければお目当てのものはすぐに見つかった。

「ありました」
『同時に解除しよう。俺の指示に従って。インカムにそこまでタイムラグはないと思うから、多分大丈夫』
「わかりました」

彼女の元へと戻り、これから爆弾を解除する旨を伝える。不安そうな色はみせたがそれでもゆっくりと頷いてくれた彼女の強さには、正直救われた。

『爆弾の形状が知りたいな。写真で送って』
「はい」

樫井に言われた通り、スマートフォンで写真を撮り送信する。すぐに樫井の声が耳に届き、どうやら下にあるものと作りは同じもののようだった。

『始めるよ』

樫井の声に息を呑む。人のいない展望室に、緊張が走った。



2023/08/27


back  next