小説 | ナノ
わたしとエイトくんは話したことはあるものの、そんなに大して仲が良いわけではない、ただのクラスメイトであった。ただ彼と初めて会った時、他のクラスメイトはうちの学校が緩いのに甘えて金髪にしたりワックスつけまくったりパーマをかけてみたりなど弾けた若さが見た目に出ているのに対して、ワックスもなにもつけていない洒落っ気のない短髪に、染めていないナチュラル・ブラウンの髪や着崩しのない服装を見て、周りが洒落っ気が多い子ばかりだったせいかなんだか新鮮に感じたわたしはなんとなくかっこいいなぁと思ったのだ。まあそういうわたしも洒落っ気はあまりないから染めたこともなくて生まれた時からずっと黒髪のまんまだし制服もあまり着崩しはしないんだけど。
いつだったか、友達のケイトにそれを話したことがある。別にちょっと気になるから協力して欲しいとか言ったわけではなく、ただ単純に自分のエイトくんに対する評価と思いを今日の朝ごはんのメニューを口にするようにただなんの考えもなくつぶやいただけだったのが、ケイトはそれを見逃さなかったらしい。
今――わたしはケイトに言ってしまったことを後悔していた。終業式を終えて、新しいクラスの皆で昼食を食べた後、もうみんな帰るという時だった。わたしと帰り道が同じケイトと一緒に帰ろうとしたのだが、さて帰るかという時、あのエイトくんも同じ帰り道だということが発覚した。そしてあろうことかケイトははっとしたように帰り道とは逆方向に走りだし、あっという間にクイーン達と合流すると「わたし用事があるんだった!じゃ!」と言ってクイーン達を引きずるかのように去って行ってしまったのだった。
ケイト的にはわたしがエイトくんに気があると思っているようだが、わたしは気があるわけではなくただ単に見た目がかっこいいと思っただけだ。好きでもなんでもない。だからあまり話したことのないエイトくんとふたりきりにさせられても、喜ぶどころか逆に困ってしまうだけだった。
どうしよう。わたしは走り去ってしまったケイトの後ろ姿を見送ると、これからどうするかを考えた。フツーに二人で帰るべきなんだろうか。しかしわたしとエイトは何の共通点もなくそもそも仲が良いわけでもない。ただ同じクラスで、少しだけ話したことがあるクラスメイト、それだけだ。わたしが手に汗をかき始めた時、エイトくんが口を開いた。


「…行くか」
「あ、うん」


エイトくんの言葉に慌てて頷く。歩きだした彼の後を追うように隣を歩いた。駅まで少し、距離がある。さて何を話そうか。わたしが話題を考え始めるとちょうどエイトくんから話を振ってきた。


「名前ってさ」
「うん?」
「染めてるのか?髪」
「え?染めてないよ」
「そっか。あんまり真っ黒だから染めたのかと思ったよ」
「エイトくんだって染めてないでしょ?」
「まあ、そうだけど」
「そっか」


自然体だね、わたしがそう言うとエイトくんは何だよそれ、と照れたように笑った。その笑顔を見てわたしはどきんと胸が高鳴るのを感じて、わたしは慌ててエイトくんから視線をずらして横道に咲く花に視線を向けた。びっくりした。
それからあまり会話を途切れさせることなく、わたしたちは駅に順調に向かって行った。思ったほどエイトくんは話しにくい相手ではなかったようだったけど、会話がぽんぽん出てきたりするわけでもなく、たまに沈黙が流れることもあった。わたしはそれを防ぐために内容は先生の話だったり、流行語の話だったり、とにかくいろいろ話した。
駅の近くまでたどり着いたところで、わたしはふと横道に桜並木があるのに気づいた。ひらひらと何枚も花びらが待っているのを見て、わたしはその綺麗な景色に目がくぎ付けになってしまった。
それに気づいたエイトくんが足を止めてくれた。続いてわたしも足を止める。


「綺麗だな」
「そうだねぇ」
「…行ってみるか?」
「え?」
「少しくらい遠回りしたって、平気だろ?」


エイトは緩やかに微笑んで言った。また跳ねそうになった心臓を悟られまいとわたしはうんと笑って言った。どちらにせよ、この桜並木を行ってみたいと思ったていたし。ただクラスの憧れの男の子と桜並木を歩くなんて、なんだか少女漫画みたいで少し照れ臭かった。
わたしたちが足を踏み入れた桜並木は左側にしか桜は咲いていなくて右側には住宅や小さな喫茶店といったささやかな建物が並ぶ、どちらかと言えば普通の道だったが、左側にしか咲いていなくとも並んでいる桜は大きく、ずっと先まで続いているように見えたし綺麗な薄桃色の花びらをこれでもかと風に舞わせていたから、桜並木と呼ぶには問題ないように思えた。そんな桜並木を歩きながら見ていたら、今さらながらわたしは綺麗だなあとつぶやいた。独り言のつもりだったのだが隣を歩くエイトくんはそうだなと返事をしてくれたのでうれしかった。


「花びらすごいね」
「ああ、すごい数だ」
「うん、いつかはなくなっちゃうけど。…あ」
「ん?どうした?」
「ちょっと今、昔の話思い出して」
「昔の話?」
「うん。小さい頃さ、桜の花びら追いかけて迷子になったんだ」
「ぶっ」


驚いてエイトくんを見ると、彼は肩を震わせて笑っていた。わたしがきょとんしているとエイトくんはまだ笑いながら「ああ、悪い」と謝ってきた。…そんなに面白い話だっただろうか。


「それで?」
「あ、えと、近所の人に保護してもらったんだけど、その人の家にね、ポメラニアンがいたの」
「ポメラニアンって、犬の?」
「そう、犬。わたしそのポメラニアンに追いかけられてその人の家から飛び出しちゃって、結局わたしが見つかったのは夜になってからでさ。それでお母さんが捜索届出してたみたいで、家の前にパトカーが止まってるわ警察の人は怖いわで大変だったよ」
「やんちゃだったんだな」
「やんちゃっていうか、ただの方向音痴だと思うよ。わたし今だに地元のデパートの中とか迷うもん」
「デパートはごちゃごちゃしてるからな、俺もたまに迷うよ」
「あ、エイトくんも方向音痴?」
「それはどうだろうな」


苦笑したエイトくんにわたしはへへへと笑った。すると向かい風がひゅうと吹いて、それが肌寒くてわたしはくしゃみをしてしまった。まさかエイトくんの前で盛大にくしゃみをするわけにはいかないので珍しく女の子らしいくしゃみをしておいた。「風強くなってきたね」ティッシュを使わずに済んだと心の中でほっとしながら言った。「少し寒いな」エイトくんがそう言ったので「ちょっと肌寒いね」と返事をした。するとちょうど道脇に自動販売機があるのが目に止まった。エイトくんの目にもそれは止まったようで彼が足を止めた。わたしも足を止める。


「買ってくか」
「うん」


自動販売機にはわたしの好きなメーカーのカフェオレの温かいのがおいてあったので地味に嬉しくなる。ちょっとポケットに小銭があったっけと制服のポケットをさぐっていると、エイトくんに名前を呼ばれた。


「なに?」
「なにがいい?」


一瞬首を傾げたが、エイトくんの手に財布が握られているのを見て奢る気なんだとすぐに気づく。


「い、いいよいいよ!自分で買うよ」
「いいから。なにがいい?」
「いやいやいや悪いしホント大丈夫だよ」
「俺が奢りたいんだ。だから奢らせてくれ」


そこまで言われてしまうと遠慮しづらい。しかしやはり何か言おうとしたが、やめた。ここはエイトくんの厚意に甘えることにしよう。エイトくんにわたしの好きなメーカーのカフェオレを告げると、彼はお金を入れてカフェオレの下のボタンを押した。ガコンとお馴染みの音と共に下の受け取り口に温かい缶のカフェオレが出てきた。エイトくんはまたお金を入れて自分のを買っていた。抹茶とは少し意外だ。エイトくんからカフェオレを受け取ると、冷たい手が温められるようで心地好い。蓋を開けて一口飲むと温かくてなんだかほっとした。


「ありがとね」
「ああ」
「………」
「…なあ、新しい担任誰だったっけ?」
「え?えーと、エミナ先生だよ、確か」
「ああ、そうだったな」
「あ、そういえば今日ナインがエミナ先生が担任じゃなくて落ち込んでたよ」
「ああ、俺も見た。談話室で脱力してたところをキングに引きずられてた」
「うわあ…見たかったなそれ」
「そういえばエミナ先生がイザナ先生と出来てるって噂聞いたな」
「あ、それわたしも聞いたよ。ナイン気づいてないみたいだったけど」
「ナインが聞いたら卒倒しそうだな」
「そうだねぇ」


クスクスと笑いながらまたカフェオレを口に運んだ。ナインのエミナ先生大好きは学校でも有名だ。エミナ先生とイザナ先生出来てる説を聞いたら、冗談ではなく本気で卒倒しそうだ。そういえば、エイトくんは前はどこのクラスだったのだろう。またカフェオレを一口飲んでから聞こうと思った時、カフェオレが思い切り気管に入った。たまらず咳き込む。


「げほっ、げほっ…」
「お、おい大丈夫か?」


思わずカフェオレの缶を手から落としてしまう。からんという渇いた音が響き、落ちた缶からカフェオレがこぼれ出て路上にぶちまけられた。が、今のわたしにはそれを拾う余裕はない。どうやら思い切り気管に入ってしまったらしくわたしは尋常じゃない咳き込み方をした。その間エイトくんがわたしの背中を必死にさすってくれて、大丈夫かと心配そうに声をかけてくれた。咳込みまくって苦しんでいるくせして場違いにもエイトくんの必死の心配と気遣いが嬉しくてドキッとしてしまう。激しく咳込んだものの、しばらく咳込んだら治った。


「平気か?」
「う、うん。ちょっと気管に入っちゃっただけだから」


肺は今だスースーしていたが、苦しくはなかったのでそう言うとエイトくんはほっとした顔をして何かの病気かと思ったと言った。それはちょっと大袈裟だよエイトくん…!「カフェオレで汚れてるぞ」シミになるとエイトくんがハンカチを取り出してわたしの口元と制服を拭きだしたもんだからびっくりしてエイトくんを見ると彼はようやく自分のなにをやっているかに気づいたようではっとして慌てて拭くのをやめた。


「ご、ごめん」
「い、いいよいいよ別にそんな」


エイトくんは顔を赤くして必死に謝ってきたので大丈夫だよとわたしは言った。彼なりにわたしの制服がシミになることが心配だっただけで下心は全くないことはエイトくんの態度を見ればわかりきっていた。そもそも、彼はそういうタイプの男の子ではないのだ。
今だ謝るエイトくんを諌めつつ、わたしは路上に落ちてしまった缶を拾ってごみ箱に捨てておいた。せめてもの償いとエイトくんはハンカチを渡してきたがエイトくんのハンカチを汚すわけがいかないと断ったがほぼ無理矢理押し付けられた。そして拭くように催促されたので押し付けられたハンカチで仕方なく拭いた(ハンカチは洗って返すと言ったらエイトくんは遠慮したがさすがにそこまで甘える訳はいかないと意地でも渡さなかった)。


「そろそろ帰るか」
「うん」


エイトくんに言われて駅へ歩み出そうとすると、エイトくんは「あ、ちょっと待ってくれ」と言って抹茶の入った缶を飲み干した。エイトくんの喉仏がごくりと動くのを見てわたしの心臓もどきりと高鳴った。突起したそれを見ると改めてエイトくんが男の子なのだと思った。
そしてようやく二人で駅まで歩き始めた。相変わらず桜並木には桜が舞っていて、わたしはまた恋人同士みたいに感じて少し照れ臭くなった。


「そういえばさ」
「ん?」
「マキナとレムが付き合ったって、ほんとか?」
「あー、なんかそうみたいだね。本当っぽいよ。この前二人で帰ってたし」
「やっぱりか」
「美男美女だよね。羨ましい」
「…名前、彼氏いるのか」
「えぇ、いないよ。ていうか生きていて一度もそんな経験ないよ」
「そうなのか?」
「そうだよ。エイトくんは?もてそうだけど」
「俺もいない。ついでに出来たこともない」
「え、ほんと?」
「本当だ」
「もったいないね。かっこいいのに」


言ってからしまったと思った。あんまり仲良くもない男の子にこんなことを言うのはふしだらな女に思えてしまうのではないか。いつもだったらこんなことは思わないのだが、エイトくん相手だとどうも異性を意識しすぎてしまう。それはエイトくんがかっこいいからか、それとも。
「そうか?」エイトくんは首を傾げた。わたしの言葉にあまり気にしていないようだ。やはり言われ慣れているのだろうか。自分じゃ全然わからないなと苦笑して言うエイトくんに、わたしはそんなことないよと言うしかなかった。ただあんまり強くは言えなかったけど。
しばらく歩くと駅についた。いつも通り階段を登ってポケットから定期を出して改札を通る。いつも通りじゃないのは、隣にエイトくんがいることだ。エイトくんに降りる駅を聞くと、エイトくんはああと家の場所をわたしに告げた。それがなんとエイトくんの家はこの駅から徒歩10分らしい。


「え!?じゃあなんで改札まで来たの?」
「いや、送ろうと思って。名前を」


な…なんという…優男…!感動だ。今までわたしをわざわざ駅まで送ろうなんてことをしてくれたのはエイトくんぐらいだ。生まれて始めてこんなに女の子扱いされたことがないわたしは少し戸惑った。


「わ、わざわざよかったのに。悪いよ」
「いいんだ。俺が勝手にしたことだから」


かっこいい。かっこよすぎる。わたしはなんだかわたしのことではないというのに照れ臭くなって俯いてしまった。しかし黙っているわけにはいかないので口を開いた。


「え、えっと、ホームまででいいからね」
「ここまで来たんだ。降りる駅まで送るよ。なんだったら家まででもいいけど」
「えええっ」


思わず顔を上げるとエイトくんとばっちり目が合ってしまい慌てて視線をそらした。どうしよう。なんかもう顔合わせらんない… 考えていると嫌ならいいなんてエイトくんに言わせてしまったのでわたしは慌ててそんなことないと言った。嫌なわけないむしろ嬉しい。
それからしばらく家まで送るやらホームまででいいやら口論になった。お互いに気を遣っているのであるから口論とは少し違うのかもしれないけど。
結局、電車が来てしまうというのを理由にわたしがホームまでという早急に答えを出してその場を納めた。エイトくんは不満そうだったがわたしはエイトくんの気遣いが嬉しくて照れ臭かったし(家まで送るなんて本当に彼氏と彼女みたいじゃないか!)なにより恥ずかしくて顔を合わせられないのでわたしとしては本当にホームまでよかった。駅のホームまで行くとちょうど電車が来ますとアナウンスが聞こえた。わたしは気恥ずかしかったがこれだけはしっかり言わなければとエイトくんに向き合った。


「あの、ほんとにありがとう。ハンカチ洗って返すね」
「だからいいんだ。ハンカチも、別に洗わなくても」
「それは駄目」


わたしがきっぱりと言うとエイトくんはふっと笑ってわかったと言った。どうやらこればっかりは譲ってはくれないのだとわかってくれたらしい。
キーッという聞き慣れた音と共に電車が来たので、わたしは「ほんとにありがとう」とエイトくんに告げた。どうもいたしましてとエイトくんは言った。最後までかっこいい人だ。わたしは電車に乗り、ホームの方を向くとエイトくんの姿がしっかりと視界に入った。わたしが手を振ると、エイトくんは微笑んだ。そして、


「え、」


電車のドアが閉まる寸前に車内に入ってきたエイトくんに、わたしは唖然とした。エイトくんはあたかもそれが当たり前であるかのようにわたしの隣に立っていた。電車のドアがプシューという音と共に閉まる。
びっくりしてエイトくんの顔をまじまじと見る。送るのはホームまでのはずなのに、確かにエイトくんは電車内にいて、わたしの隣に立っている。
わたしがはっとして口を開く前に、エイトくんは照れ臭そうに笑って言った。


「やっぱり送らせてくれ」



わたしの中で、何かが落ちる音がした。







メルト・ブッドレア/エイト
20120416
ブッドレア… 花言葉で恋の予感