小説 | ナノ
翌朝の早朝、校舎に入って、下駄箱前に行くとロッカーの前に見慣れた金髪がいることに気づいた。捜す手間が省けた。俺は足を止め、ぎり、と強く奥歯を噛み締めて静かな足取りでキングのところへと行った。ロッカーに手の届く範囲まで行くと、俺は思い切り、一切の緩みもなく渾身の力で近くのロッカーを殴った。ガン!と放課後の静かな下駄箱前によく響いた。音に反応してキングが振り向いた。目ががっちりと合った。


「よお」
「…ああ」


俺が声をかけてもキングはなにもなかったかのように靴を履きかえ始めた。俺は怒りを抑えながら低い声でキングに再び話しかける。


「なあ、名前、元気か?」
「ああ元気だ」
「そりゃあおっかしいなあ、俺は名前が怪我してるって聞いたんだけどな」


これにはさすがのキングも効いたようで、ロッカーに靴を入れようとしていた手をぴたりと止めた。しかしそれは一瞬のことですぐに動き始めた。


「携帯も繋がらねぇし、学校も来ねぇし」
「…携帯は壊れてるし、病気なんだ。仕方ないだろ」
「じゃあ怪我はなんなんだよコラァ?つうか、名前がお前の家にいるって聞いたんだけど」
「………」
「名前の怪我、お前がやったのか?」


キングはロッカーを閉めた。そして俺の方を向いて、ようやく俺と向き合う形になる。「なあ、どうなんだよ」俺が答えを催促すると、次の瞬間、キングは俺のはらわたが煮え繰り返るような言葉を言い放ったのだ。


「だったらなんだ?」


かっと頭に血がのぼった。俺はたまらずキングに近づいて胸倉をを掴んでロッカーに押し付けた。がしゃんとロッカーのきしむ音がした。へこんだかもしれなかったが今の俺にはどうでもよかった、というかそんなこと頭になかった。胸倉を掴み上げてロッカーにさらに力を入れて押し付ける。キングは不快そうに眉をひそめるだけでなにも言わなかった。それがさらに俺の怒りをあおり、さらに手に力がこもった。


「てめぇふざけんじゃねぇ…」
「……」
「だからなんだじゃあねぇだろうが」
「……」
「お前名前の彼氏だろ!なんでアイツを傷つけた!」
「お前には関係ないだろ」
「あるに決まってんだろ!だって俺はっ…俺は!」
「名前を好きだから、か?」
「っ!」


思わずキングの胸倉を掴み上げている手が緩んだ。キングが俺から解放されようと俺の手首を掴んで来たので俺は離さないようにぐっと力を入れた。


「お前が名前を好きだろうが、名前は俺が好きなんだ。俺たちがなにをしようが俺たちの問題だ。お前には関係ない」
「だっ、だからって…!」
「名前は俺がなにをしようが嫌がらない。俺がアイツにすることを、アイツは喜んでるんだ」
「はっ…?」


思わず手が緩んだ。こいつ頭がおかしいんじゃないかとか、サディストだったのかとか、そういうことは頭に浮かんで来なかった。俺の頭に一番最初に浮かんできたのは、キングは名前のことをまったくわかっていないんじゃないかという、嘲笑いにも似た感情だった。今までずっと、名前はキングが好きでキングは名前が好きで、二人は理解し合っていて支え合っていて、俺の付け入る隙なんてないと、そう思っていた。けど違った。キングは名前のことを全くわかっていなかったのだ。名前はキングの行為に喜んでなんかいない。むしろ嫌がっていた。だけどきっと名前は我慢していたんだ。キングが好きだから、ただそれだけで。だけどキングはわかっていなかった。俺は悟った。キングが自身の快楽に目がくらんで名前のことをなにもわかっていないんだと。瞬間、俺は今までキングを信じてきた俺自身を馬鹿らしく感じた。キングを信じて名前を守らなかった、守ろうともしなかった俺自身をむしろ腹立たしくも感じたのだ。
俺は右手をキングの胸倉から離すと、大きく振り上げて勢いよくキングの横っ面を殴った。キングは俺が思ったよりも吹っ飛ばされて下駄箱の前のガラスのドアに激突した。そのままドアに寄り掛かるようにしてキングはずるずると尻餅をついた。痛みに顔をゆがませて殴られた顔を手で押さえているキングに、俺は馬乗りになってさらに掴みかかった。さすがにキングは抵抗してきて俺達は取っ組み合いになった。クラスの中でも身体のでかい方の俺達が取っ組み合いをするとさすがに周りを巻き込んだ。近くにあったごみ箱やら掃除道具の入ったロッカーやらが倒され大きく音をたてた。人がこないのが不思議なくらいだ。殴ったり蹴ったりをお互いにやり返してしばらく激しく取っ組み合いをしていたが、俺が再び馬乗りになって俺が優勢になった。また顔を殴ろうと腕を振り上げた時だった。


「やめて!」


その振り上げた腕を誰かに掴まれた。聞き覚えのある声にとっさに振り向くと、予想通りそこには顔にガーゼや絆創膏を貼った、今にも泣きそうな顔の名前がいた。


「やめてっ…乱暴しないで…お願い…」


俺に縋り付くように名前は泣き崩れた。
俺はそんな名前を見て―――ひどく落胆した。確かにキングは名前のことをわかっておらず、目先の快楽を求めて名前にひどいことをした。俺はキングよりも名前のことをわかっていた。だけど結局は、名前が好きなのはキングなのだとわかってしまった。いくら俺が名前を理解し、守ろうとも、名前が好きなのはキングには変わりないのだ。
俺は中途半端に振り上げた腕を、力無く下げた。名前の嗚咽が聞こえたが、今慰めてやれる気力は俺にはなかった。するとキングが俺から抜け出し、泣いている名前に手を差し延べる姿が見えた。ああ、きっと名前はあの手を取り、またキングのところへと行ってしまうのだろう。また傷つくとわかっていながら。だが俺にはそれを止める力も術ももうない。せめて視界から消え去れと俺がうつむいた時だった。
ぱん、と乾いた音が聞こえた。顔を上げるとキングが驚愕の表情を浮かべて手を中途半端に宙に浮かせていた。そして名前の手も上げられていて、俺は目を見開いた。状況からして、名前が差し延べられたキングの手を振り払ったのだろう。だけといったい、何故。すると名前が「キング」ぽつりとつぶやくようにキングの名前を呼んだ。キングは相変わらず驚愕の表情のままだ。しかし次の名前の言葉で、キングは悲愴の表情を浮かべることになった。


「別れて」


俺は唖然とした。名前がそんなことを言うなんて思いもしなかった。名前のその声は強くて凛としていたようにも感じられたが、ただ怖いのか泣いた後だったからか、その声は震えていた。その場に、少しの沈黙が流れた。俺はどこか遠くから聞こえた物音にはっとした。隣でうつむいている名前の手を取ると(振り払われてしまうのではないかと少し心配だった)立ち上がって、その場から退散した。その場に残されたキングはまだ唖然としていたが、俺は構わず名前の手を引いて退散した。しばらく何も考えずに歩いてたどり着いたのは俺達がいた下駄箱とは反対方向の西階段前の踊り場だった。ここが一階の最終地点で、これ以上は外にゴミを出す時に使うドアが横にあるだけで進めなかった。
ようやく立ち止まって、名前の手を離した。振り向くと名前はもう泣いてはいなくて、ただうつむいているだけだった。だけと俺はまだ心配で声をかけた。


「おい、大丈夫か?」
「…うん。平気。ごめんね」
「謝る必要ねぇだろ」
「うん。…さっきはありがとう。連れ出してくれて。ナインがいなかったら多分わたし動けなかった」
「ああ。別に礼なんかいらねぇよ」
「でも、ありがとう。嬉しかった」


名前は小さく笑った。顔に貼られたガーゼと絆創膏が痛々しかったが名前の笑顔はまぶしかった。それに見るのがすごく久しぶりに感じて、嬉しくて思えて俺もつられたように笑った。


「…ね、ナイン」
「なんだ?」
「わたしね、ずっとずっと、愛されてると思ってた」
「……」
「だから耐えられた。どんなことされてもわたしたちは両思いなんだって思えば、耐えられた。…だけどね、昨日ナインに言われて、気になってキングに聞いたの、わたしのこと好きかって」
「……」
「キングは答えてくれなかった。代わりにわたしを叩いた。その時わたし、なんか切れちゃって。なんのためにわたしは今まで耐えてきたんだろうって」
「……」
「それでわたし気づいたの。わたし、キングのこと、好きじゃないんだって。わたしはただ従わなきゃって、それしか考えてなかっただけなんだって。だからわたし、ナインに好きって言ってもらって嬉しかった。それで、もうキングとはやめようって思って、それでわたし、キングにさっき言ったの。でも叩かれると思ったら怖くて、でも言わなくちゃってわたし、」
「もういい」


泣きながら必死に話をはじめた名前を見て、俺はたまらなくなって名前を抱きしめた。名前が今までどれだけ辛かったかがひどく伝わってきた。こんな、俺の腕の中にすっぽり入ってしまうような、少し力を入れたら折れてしまいそうなこんな体で、ずっと耐えてきたと思うと胸が痛んだ。「お前はもう十分頑張った。もう頑張らなくていい」お前は自由だ、そう言った俺の言葉に名前が泣きはじめたのがわかった。なんだかデジャヴュだと思ったが同時に、たくさんの辛さを抱え込んできた、この腕の中の小さな存在を守りたいと強く思った。これからずっと、どんな障害からも守り抜いていきたいとすら思った。俺は名前が好きだ。守りたい。これからずっと、守っていきたい。
俺のそんな思いをぶつけるように名前を抱きしめる腕に強く力を込めた。だが強すぎたらしく、名前がうめき声をあげた。


「い、痛…」
「あ、悪い」


慌てて名前を抱きしめる力を緩めた。その時ふと名前の顔が見えた。やはり泣いていたようで鼻を赤くしていて瞳が潤んでいた。瞬間、俺の胸が激しく高ぶった。いきなり高ぶった感情に自分でも驚いた。名前の泣き顔を見て、興奮した、のか?まるでキングのような感情にいやそんなはずはないと俺は思わず名前の腕掴んだ手に力を入れてしまった。「痛っ」名前が痛みに顔を歪めた。俺ははっとして手を離した。謝ろうと口を開きかけた時、名前が顔を上げた。
俺が腕を強く掴んでしまったからなのか、まるで俺に怯えるような表情をしていた。そして俺が名前の瞳に目をやった瞬間――――





その涙で潤んだ目に、思わずゾッとした。






エンドロールがはじまらない/ナインとキング
20120304