小説 | ナノ
ずっとずっと、名前が好きだった。高校に入って、初めてあいつと話した時から、ずっと。一年の時からあいつは変わらなかった。みんなと仲が良くて、優しくて、俺が話しかければいつも楽しそうに笑いかけてくれて、俺はその時の名前の笑顔が最高に大好きだった。すごく可愛くて愛しくて、綺麗だった。ずっと一緒にいたいと思った。
二年になって、また名前と一緒のクラスで喜んだ。同時に中学からの親友であるキングとも同じクラスであることにも喜んだ。俺は名前と仲が良くて、キングとも仲が良かったから、必然的に名前とキングも仲良くなって、よく三人でいるようになった。昼飯も、教室移動の時も一緒に行動した。大好きな人と親友との学生生活は、楽しかった。
けれどそんな楽しかった日々に終幕が訪れた。名前が、キングを好きになった。俺は初めてそれを聞いた時、正直かなりショックだった。けど俺は平静を取り繕った。いくら俺が名前を好きだからと言って、名前の恋路を邪魔してはいけないと柄にもないことを思ったから。しばらくして二人は付き合い始めた。いつも三人で行動していた俺は行き場を失った。いつしか俺は二人から離れるようになった。いつも三人でしていたことも、俺が離れることであいつらを二人きりにした。そんな俺に二人は気を遣うなと言った。俺は断った。だって俺は二人に気を遣ったわけじゃなかったのだから。俺は大好きな名前が、俺の一番の親友と幸せそうにしているのを見るのが、辛かった。だから二人から離れた。自分でもひどく自己中な考えだと思った。俺は名前にもキングにも自分の気持ちを隠した。俺が二人に気持ちを打ち明けたところで、二人を困惑させてしまうだけだと思ったからだ。
そんなある日のことだった。最初は名前が顔に小さな傷を作ってきたのが始まりだった。俺がそれを尋ねると、名前は笑って髪をたくしあげたら爪で引っ掻いてしまったのだと言った。小さな傷だったし、俺は信じた。それからだ。名前がよく怪我をし始めたのは。顔の傷から始まり、脚に痣がついていたり、包帯をしてくることがよくあるようになった。聞いても、名前は笑って言い訳をするだけで気にしないでと言われた。それに名前は傷をつけてきた日から元気がなかったし、俺は気になった。キングにもなにかあったのかと尋ねたのだが、彼もなにも知らないようで答えなかった。そしてある日、名前が顔にガーゼを貼ってきた時、俺は思い切って深く聞いてみることにした。


「お前それ、どうしたんだコラァ」
「え?ああこれね、野良猫にかまってたら引っ掻かれちゃって」
「野良猫に?」
「うん」
「…引っ掻かれただけでそんなでかいのつけてんのか?」


俺がいつになく深く聞いたせいか、名前が目を大きく見開いた。俺もいつもだったら見逃してる。ただ名前がいつも言いたくなさそうにしていたから聞かなかっただけだ。だけど今日は聞く。たとえ名前が言いたくないことだとしても、名前が傷つくのは見ていられなかったから。


「う、うん、ちょっとね」
「なあお前、なんかあったんだろ?」
「え…」
「最近元気ねぇし、怪我しすぎだし…どうしたんだよ?」
「な、なんでもないよ。たまたま怪我しちゃっただけで、ほんと」
「俺には言えないことなのか?」


俺の言葉に名前はうつむいた。脈ありだ。どうやら俺には言えないことらしい。もしくは言いにくいこと、とか。名前が嫌がっているのにさらに深く追求するのは胸が痛んだが、聞かないわけにはいかない。俺が口を開こうとすると、名前が先に口を挟んだ。


「ごめん」
「……」
「ごめん。ちょっと…言えないんだ」


なにも言えなかった。名前が泣きそうな声でそんなことを言うから。これ以上名前に追求するのは、俺にはできなかった。ただ、さらに気になりはしたが。俺はわかった、深く聞いちまって悪かったなと言って名前から離れた。返事はなかった。次にロッカーにいたキングに話しかけたが、キングの方もなにも教えてくれないと言っていた。キングになにも教えてないのだから、ただの友達である俺には言えないに決まってるか、と少し自虐的な気分になった。
授業中に、名前のあの傷は誰にやられたのだろうかと考えた。真っ先に浮かんだのは親の存在だったが、名前に親はいなく一人暮らしなのを思い出して却下した。ということは名前の周りの人間に限られる。一番間近な人間としてキング、次に俺や名前の友達の女子たち、ぐらいだろうか。だがどれもこれもありえそうにない。もしかして名前は自分であの傷をつけたのか?でも、なんで言わなかったんだろうか。恥ずかしいから?もしそうだとしたら名前は何故そんなことをしたのだろうか。最近悩みがあるようには見えなかったし、自傷するような性格にも思えなかった。ではあの傷は、いったい誰からつけられたんだ?俺が考えても答えはいっこうに出なかった。いったい名前はどうしたっていうんだ。それに俺にはもうひとつ気になることがあった。キングは、名前があれほど傷ついてるにもかかわらず、何故あんな無関心な態度を取るのだろうか。もともと無口で表情の硬いやつだが、いくらなんでもあんなに無表情でいられるのだろうか。多分それはキングがあまり人に焦ったりするところを見られたくないからという性格だからだろうが、俺はどうもキングがなにもしていないような気がしてそれが許せなかった。キングにも名前は言わなかったのだから、キングはどうしようも出来ないのであろうが、俺にはそれが解せない。俺が名前の彼氏なら、絶対に傷なんかつけさせない。俺だったら、もっと名前のために動ける。どうしてもそう思ってしまった。キングに言いたかった。お前は名前の彼氏なんだから、もっと支えてやれよ傷なんかつけさせんなよ、俺には名前の彼氏は出来ないんだから、お前にしか出来ないんだから、お前が名前を支えてやらなくちゃどうすんだよ、と。だけど相手はキングだ。そんなこと言わなくたってわかっているであろう。ただ俺はキングの態度が気に食わない、それだけだった。自分でも自分の自己中さに嫌気がさした。結局、俺は名前の彼氏になりたいだけじゃねぇか。









































放課後、教室の掃除を終わらせていつも通り一人で帰ろうと下駄箱に向かうと、談話コーナーにひとりで携帯をいじる名前の姿が見えた。いつも帰りはキングと一緒なのに、今日はひとりなのかと珍しく思っていると、キングが委員会だと言っていたことを思い出した。どうやらキング待ちらしい。怪我のこともあったし、俺は名前と少し話そうと近づいた。


「名前、なにしてんだ?」
「えっ…?」
「アァン?なんだよその反応。お前キング待ちだろ?」


来るまでちょっと話そうぜ、そう付け足して言うと名前はうつむいた。ぎゅっと拳を握りしめ、ふるふると震わせている。俺はそれを見て首を傾げた。なにかあったのだろうか。


「どうした?」
「…ううん、なんでもない、よ」

今にも消え入りそうな声で名前は言った。まるで俺と話すのが怖いような態度だ。すると名前がわたし、キング待たなくちゃいけないからとつぶやくように言った。俺が「ああ一緒に帰ろうぜ、キングとちょっと話したいしな」と言うと、名前はさらに怯えるような態度を見せた。いったい、なにがあったのだろうか。俺は名前の顔を覗こうと姿勢を低くしたが、名前が顔を逸らすのでやめた。


「お前どうしたんだよ。なんかおかしいぜ?」
「な、なんでもないってば」
「そうには見えねぇんだけど」
「……ごめん」


名前の声は苦しそうだった。俺がまた口を開こうとした時、視界に見慣れた金髪が見えた。キングだ。今まで気づかなかったが名前の後ろに立っていたらしい。俺の視線に気づいた名前が後ろを振り向き、キングを見ると顔をくしゃりと歪めた。まるで失態をおかした従者が主人に見つかった時みたいな、そんな顔だった。俺が口を開く前にキングが近くにやってきて名前の乱暴に手を掴んで言った。


「悪いな、名前は俺と帰る」


そのままずかずかと俺の前を通り過ぎて談話室を出ていき、下駄箱へ行ってしまった。
俺はしばらく唖然としていた。名前のあの顔、キングのあの態度。ひとつの考えが俺の頭に浮かんだ。それは俺が否定してきた仮説であり、あってはいけないものだった。(まさか…?)名前にあの傷をつけたのは、キングなのか?あの名前がキングを見た時の顔、キングが名前に見せたあの乱暴な態度、すべてが俺にそう告げているような気がした。だかもしかしたら名前とキングはたまたま喧嘩中で、俺と話してるところを見てたまたま機嫌が悪くなってしまったのかもしれない。だけど断定はできなかった。気にはなったが、名前に自分から連絡を取る気にもなれなかった。もし自分の勘違いだとしたらとんでもないし。とにかく明日、名前が学校へ来たら話そう、そう考えて俺はようやく靴を履きかえて学校を出た。


































ところが翌日、名前は学校へ来なかった。少し心配になり携帯へメールを送ったのだが返信はなく、俺はさらに心配になった。
それから一週間のも間、名前は学校に来なかった。俺は何件もメールを送り、電話もしたのだが、いっこうに連絡はなかった。先生が言うにはインフルエンザらしく病欠届けが出されていたらしいが、携帯に返信もないこともあって心配だった。名前の家に行こうにも、俺は名前の家も知らない。もちろんキングには聞いた。名前は大丈夫なのかと。キングはただのインフルエンザだから大丈夫だと言い、携帯に関しては壊れてしまい名前が病気のせいで修理にも出せないんだと言った。お見舞いに行きたいとキングに申し出て名前の家の場所を尋ねたのだが、名前が移したくないから誰も入れるなと言っているらしく答えてはくれなかった。身の回りの世話は俺がやっているから心配はするな、キングにそう言われてしまうと俺はなにも言えなくなった。確かに名前の身の回りの世話は彼氏のキングがやるべきことだ。俺がやりたいなどおこがましいことは言えない。
名前への心配と不安が募る日々が続いていたある日の放課後、小腹が空いたので家に帰る前にコンビニに寄ることにした。気分的には麺なんだが多分カップ麺だけじゃ足りねぇからおにぎりでも買うかと歩きながらなにを買おうか考えてながらコンビニに向かった。ていうか俺そんなに金あったっけ。いくら持っていたか必死に思い出していると、目的のコンビニが見え、自動ドアから腕にギプスをつけた若い女が出てくるのが見えて、俺は思わず足を止めた。遠くて断定はできないが、あの後ろ姿は名前のような気がしたから。ただ俺が足を止めたのはそれだけじゃなかった。名前の腕にギプスがあったこともそうだが、顔にガーゼが貼ってあった気がしたからだ。まるで事故にあって傷だらけになった、みたいなそんな姿だった。その名前らしき若い女が歩いて行ってしまうので俺は慌てて追い掛けた。コンビニなんかあとでいい。俺は走った。名前らしき若い女はゆっくり歩いていたからすぐに追いついた。そいつを近くで見て名前だとさらに確信した俺は、肩を叩いた。くるりと振り向いたその顔は確かに名前で、近くで見るとガーゼが貼っているだけではなく絆創膏が貼ってあって、他にも細かな傷がたくさんあることがわかった。名前と目が合い、名前の黒い目が見開かれた。名前の口が開き、ナイン、と消え入りそうな小さな声が聞こえた。


「あ、あの、ナイン…」
「お前、なんだよそれ」
「え、」
「なんでそんな怪我してんだよ」
「……」
「つぅかお前、家こっちじゃねぇだろ。キングん家泊まってんのか」
「…うん」


名前は悲しそうな顔をしてうつむいた。返事はない。答えたくないようだった。俺はそんな名前に、追い撃ちをかけるように口を開いた。もし本当に追い撃ちをかける言葉だったとしても、こんな名前の姿を見るのは辛かった。


「…キングにやられたのか?」
「!」


明らかに名前の表情が変わった。どうやら予想通り当たりらしい。当たって欲しくはなかったが。名前は俺に気づかれたと悟られたと気づいたのかぶんぶんと首を振って「ちが、ちがうよっ…!」と必死に否定した。だがそれはもう遅い。俺はもう気づいてしまった。「あいつまだ帰ってねぇよな」俺はばっと身を翻した。学校へ向かおうと足を踏み出した時、名前が腕を掴んできて俺は足を止めた。「待って!」振り向くと名前が泣きそうな顔で俺を引き止めようとしていた。「お願い、やめて…」俺はぎりりと奥歯を噛み締めた。名前の肩を掴んだ。


「なんでだ!なんでお前がこんなっ…こんなことされて…!」
「…な、ナイン」
「キングはっ!お前を守ってんじゃ、なかったのかよ…!」


俺は感情をぶつけるように名前の肩を揺らした。俺はキングを信じていた。名前を守っていると。名前の傷のことは、キングなりにきっと解決しようとしているんだと。なのにキングは裏切ったんだ。俺を、名前を。俺はキングを信じたことが、名前を傷つけてしまったことが、悔しくて悔しくて仕方なかった。「ちくしょお…」自分でも情けない声が出た。泣きそうな、震えた声。実際悔しさに鼻がつんとしているぐらいだった。ただ名前にそれを悟られないようにうつむいてはいたが、きっと声でわかってしまったのだろう。名前がどんな顔をしているのかは目に見えていたし、見たくもなかった。


「…なあ、」
「……」
「名前はなんで、平気なんだよ。なんで逃げねぇんだよ、あいつから。こんなの、痛いに決まってんのに、なんで逃げねぇんだよ、なあ…!」
「……キングは」


一方的に感情をぶつけるだけだった俺に、初めて返事が返ってきた。名前の声は腹立たしいくらい冷静だった。


「わたしを愛してくれてるから」


冷静にそう言った名前に、俺は思わず名前の肩を掴む手に力を入れた。名前が顔をしかめたが、今だけは名前に気を遣っている暇はなかった。俺は顔を上げた。名前は少しだけ悲しそうな顔をしていた。そんな顔してそんなことを言っても、俺には通用しなかった。


「そんなわけねぇ。本当に愛してたらこんな、名前傷つけるようなことしねぇだろうが」
「で、でも」
「たとえ本当にあいつが名前が好きだろうが、俺は絶対認めねぇ。そんな、名前を傷つけるだけの"好き"なんて、それが愛だなんて、俺はぜってぇ認めねぇ!」
「でもわたしはっ」
「お前が認めようが許さねぇ。絶対許さねぇ。認めさせてなんか、たまるかよ…!」


俺は名前を抱きしめていた。考えはなかった。体が勝手に動いていた。名前が息を呑むのを感じたが、俺は強く抱きしめた。
たとえ本当にキングが名前を好きでも、認めたくなかった。理解もしたくなかった。たとえ名前がそんな形の愛情を認めようが、絶対に許さない。そんな名前が傷つくだけの愛を、愛とも呼びたくもなかった。嫌われたっていい。それで名前が救われるなら、傷つかずに済むのなら、責められたって、罵られたっていい。どんなことがあったって俺は名前を守りたい。心からそう思えた。


「好きだ」
「……!」
「好きだ。だから名前が傷つくとこなんて、見たくねぇんだ」


名前を抱きしめる力を強くすると、腕の中の名前が、震えた気がした。耳元で聞こえる嗚咽は、きっと気のせいではないはずだ。そんな名前の頭に手を置いて、口を開こうとした時、ふと名前が俺から離れて俺の胸に手を置いた。うつむいて表情は見えないが、悲しそうな顔をしているような気がした。


「ごめんね」


そう言って俺の胸を軽く押して名前走り去って行ってしまった。俺にはそれを止める術も、その後ろ姿にかける声も、なにも思い付かなかった。