小説 | ナノ
いつも通り朝起きて、いつも通り制服を着て、いつも通り登校した。2年生になったし、もう慣れっこだ。けど寒さにはどうにも慣れなくて、家を出た瞬間に吹いた風が冷たくてわたしは思わずくしゃみをした。いつもつけている誕生日にエースに貰った銀色のネックレスがわたしの鎖骨の上でひんやりしていた。駅まで行って、いつもの時間の満員電車に乗って、10分くらいしてようやく目的の駅に着いて降りた。駅のホームを歩いていると、見知った後ろ姿が視界に入った。エイトだ。「エイトー、おはよー!」ちょっと大きな声をあげてエイトを呼んだのだが、エイトはわたしに気づかなかったようで歩いて行ってしまった。なんだか同じ大声を出したわたしが恥ずかしいじゃないか。わたしは白い目で見られてるんじゃないかと周りを気にしたが、周りの社会人たちはわたしなんかより仕事に遅刻しないかという心配の方が上らしく、わたしには目もくれずにそれぞれさっさと歩いていた。どうやらわたしの心配は杞憂だったようである。さて、わたしもさっさと学校に行くか。

















教室は暖房が効いていて温かかった。わたしは自分の机にスクールバックを置くと、自分の席に着いた。1時間目なんだっけ。あ、英語だ。やだなあ。ふと横を向くと、窓側の席でサイスとセブンが話をしているのが視界に入った。窓から入った日の光が二人の銀髪をキラキラ輝かせてて、綺麗だなあ、なんて思った。ここからじゃ会話は聞き取れないが、表情からしてなにやら二人は真剣な話をしているらしい。ただ少し、二人の表情がどこか悲しそうなのが気になった。話し掛けようかと悩んだが、真剣な話をしているのにわたしが割り込むのもあれだなあと思ったところで担任のクラサメ先生がやってきたから話に入るのを諦めた。朝のHRのクラサメ先生の話は退屈である。わたしは寝ることにした。

















起きたらもう1時間目は始まっていて、教室には先生の声だけが響いていた。1時間目なんだっけ。英語か。わたしは気だるかったが一応ふりだけはしようと使う気のない教科書とノートを取り出した。あ、辞書ロッカーだ。まあいいか。わたしはさっき寝たせいか眠気はもうすでになかったが真面目に授業を受ける気にもならずまた寝ることにした。机に突っ伏そうとしたところでふと英語の教師が生徒を一人一人名指しして単語を答えさせていることに気づいた。しまった辞書がない。ロッカーだ。イコール普段まったく勉強していないわたしが単語の意味なんか答えられるわけがない。助けを求めるように隣の席であるジャックの方を向いたらジャックは机に突っ伏して爆睡していた。こ、こいつ…! しかしジャックの枕代わりに辞書が使われていることに気づき、わたしはなんとしてもジャックを起こすことにした(左側の隣はあまり面識のない男子なので話し掛けたくはない)。わたしはそっと手を伸ばすとジャックを揺らした。


「(ジャックー、おーい起きろー…)」
「……」
「(起きろ〜)」


ゆさゆさとしばらく揺らしてみたがどうやら真面目に爆睡しているようでまったく起きる気配がない。わたしがさらに力を入れようとしたところでジャックがうぅんとうめき声をあげた。お、起きるか?わたしがじっとジャックを観察しているとジャックはなにやらぶつぶつと寝言を言っていることに気づいた。ええい良く聞こえんわ。わたしは耳を研ぎ澄ました。すると意外な言葉が耳に入ってきた。


「…名前」
「…え?」


なにかと思ったらわたしの名前かよ。わたしの夢でも見てんのか。わたしは後でからかってやろうとジャックの寝顔をもう一度見て、ぎょっとした。ジャックが、泣いていたのだ。え、なにわたしに殴られる夢でも見てんの?すると先生がわたしの前の席の子を当てたことに気づいた。しまった次はわたしだ。今から辞書を引いたところで間に合わない。わたしはジャックのことも気になったが寝たふりをすることにした。今は先生の名指し回避が最優先事項だ。わたしは邪魔な教科書とノートを机のはじに寄せると机に突っ伏した。よしこれでやり過ごそう。しばらく寝たふりをしていると先生はわたしを飛ばしてわたしの後ろの席の子を当てた。どうやら作戦は成功したらしい。ラッキーだ。わたしはまた起き上がる気もしなかったのでこのまま机に突っ伏すことにした。














それから約3時間ほど時間が経ち、皆が楽しみな昼休みになった。わたしはいつもお昼を食べているシンク達の元へと足を運んだ。が、いつもいるはずの教室にシンク達の姿がない。わたしはいったいどこへ行ったのだろうと首を傾げた。いつもここにいるはずなのに。するとわたしの後ろにいる生徒達の声がふと耳に留まった。


「シンクはやっぱり休みですか?」
「ああ、レムもだよ。それにデュースも」
「そうですか… 私のクラスもケイトと、あと何人か女子が休みです。クイーンは来てましたけど、やはり無理をしているようでした」
「…やっぱり、三日前のこととはいえ相当ショックなんだろうな。レムも昨日泣いてたよ」
「でも一番ショックなのエースですよ。彼、あの子と仲良かったじゃないですか」



エース?なんでエースが出てくるの?あの子って?シンク達が休みってどういうこと?わたしは思わず振り向いた。そこには他のクラスの男子が二人いた。わたしはどちらにも見覚えがあった。青みのかかった黒髪の方がわたしの友達のレムの彼氏で、名前は確かマキナ、だったはず。彼はエースと仲が良くてわたしも何回か話したことがある。優しい人だ。もう片方の柔らかい雰囲気のある金髪の男子は名前は知らないが校内で何回か見かけたことがある。何故か同い年なのに敬語で、前にこの人にサイスが長そうな話を聞かされていたっけ。わたしがその人たちをじっと見ていると、彼らはどこかに歩き始めてしまい会話は途中で聞こえなくなった。話し掛けるチャンスを失ったが、どちらにせよあまり話したことのない人に話しかける気は起きないのでまあいいかとわたしは教室を後にした。仕方ないから屋上にでも行くか。











わたしが屋上に行くと既に先客がいた。屋上のベンチに座る、きらきらと輝く色素の薄い金髪。一目で誰かわかった。エースだ。


「エース!」


わたしが声をかけるとエースはくるりと振り返った。手にはおにぎりがあって、どうやら屋上でお昼を食べていたようだ。エースはわたしをみると柔らかく微笑んだ。わたしはエースの隣に座ると、「今日は屋上なんだ?」と声をかけた。


「今日は風が弱いからな」
「あー、風あると寒いもんね」
「そうだな。冬の風は冷たい」
「あ、ねぇ、一緒にご飯食べてもいい?」「ああ、構わない。…名前は今日もツナサンドか?」
「ん?まあそうだけど…今日"も"って、わたしツナサンド学校で食べるのは今日初めてだよ?」
「あ、ああ、そうか、そうだよな…」
「? どしたの?」
「いや、なんでもない」


エースは一瞬視線をおよがせたが、またわたしを見て柔らかく微笑んだ。なんだろうとわたしは首を傾げたものの、特に気にせずに食事を始めた。今日はレモンティー(オマケのキーホルダーが可愛かったのだ!)と、ツナサンドとバニラヨーグルト。今日は朝ごはん多めに食べてきたからこれぐらいでちょうどいい。わたしはツナサンドを食べ始めた。ツナサンドは地味においしい。わたしはツナサンドについてエースに聞くことにした。


「ツナサンドおいしーよね。エースツナサンド好き?」
「まあ嫌いじゃない、かな」
「好きではないの?」
「普通だな」
「フツーかあ…」


わたしはツナサンドを噛み締めながらエースの食べるおにぎりを見た。梅干しか。妥当だなあ。わたしは会話が欲しくてエースにおにぎりの具について話し始めた。おにぎりでもツナはうまいとか、梅干しは妥当だの。くだらない会話だったがわたしには楽しく感じた。エースもそう思ってくれていればいいのだけど。わたしは話しついでにエースに今日一緒に帰る約束を取り付けた。今日はシンク達が休みだから一緒に帰る人がいなかったから。それとさっき聞いたマキナくん達の会話の話もした。なにか知らないか聞いたのだけれど、エースは少しだけ悲しそうな顔をした後、いつもの優しい顔で知らないと口にした。なにか知っているふうにわたしは一瞬思えたけれど、エースが言いたくないならとわたしはエースになにも聞かなかった。
それから放課後になって、わたしは教室までエースを迎えに行った。エースは掃除当番でしかも一番手間と時間のかかるめんどくさいゴミ捨て役だ。聞くとエースは率先して自分でやると言ったらしい。わたしはエースは優しいと思うしそれはいいことだとは思うのだけど、優し過ぎるのもどうかと思う。まあ本人に言ったところでどうせなにも変わらないだろうから、あえて言わないけど。
わたしは誰もいない教室でエースを待った。本当は一緒に行くと言ったのだけれど、エースは一人でいいと聞かなかった。優しいというかお人よしなんだ、エースは。そんなことを考えているとがらりと教室のドアが開いた。見るとエースがドアの前に立っていてわたしは座っていた机から飛び降りた。


「お疲れ様。ちょっと遅かったね」
「ごめん、先生に捕まっちゃってさ」
「また頼まれ事?」
「いや、違うよ」
「そっか。でもエース優しいからってなんでも引き受けちゃ駄目だよ。ゴミ捨てだって、別にエースがやらなくたって…」
「はいはい、わかってる」


エースはわたしの頭に手をのせてぽんぽんと叩いた。絶対わかってない。わたしがエースの手を払いのけるとエースははっと楽しそうに笑った。つられてわたしも少し笑う。エースはじゃあ帰ろうか、とスクールバッグを自分の机から手に取った。わたしはうんと頷き自分のバッグを取ると教室を出た。廊下には人の気配はあまりなかった。みんな部活か帰宅かどちらかだろうからなあ。わたしとエースが階段を降りようとしたところでわたしがつまづいてずっこけてしまった。「うわっ」思わず前にいたエースに抱き着いてしまい、わたしは慌てて離れた。


「ご、ごめん!」
「いいよ、気にするな」


エースはいつものように柔らかく微笑んだ。エースは優しい。この柔らかい笑顔で微笑みかけてなんでも許してしまう。わたしは再度ごめんねとありがとうを言おうと口を開こうとした。とその時、手に温かい感触が。不思議に思って見てみると、わたしの手をエースが握っていて心臓が跳ね上がった。「え、ええええエース?」わたしがびっくりしてエースを見ると、


「こうすれば転ばないだろ?」


とかなんとか言って歩き始めてしまった。手を繋がられているわたしは必然的に歩き出すはめになり、わたしは慌てて歩き出した。
エースってほんとに不思議な人だ。わたしの話を親身になって聞いてくれたと思ったらはぐらかしたり、挙げ句の果てには手を繋ぐなんて。わたしに気があるのかないのかよくわからない。でもただ、エースと手を繋いでわたしの胸が高鳴っているのは事実だ。誰にも見られていないかな?階段を降り終わりわたしがきょろきょろと辺りを見回した時、ふとエースが足を止めた。なにかと思って前を見ると驚いたことにエースの前にクラサメ先生が立っていた。なんでいるのか。いや先生は教員だし別に学校にいることはフツーなんだろうけど何故このタイミングで出てくるかなこの人は。わたしとエースは今現在手を繋いでいる。こんな目の前にいるんだからクラサメ先生は完全に気づいているはずだ。なにか言われるんじゃないかと身構えていると先生はわたしに目をくれずにエースに話し掛けた。


「遅いな帰りだな。お前は部活に入っていないだろう」
「ちょっと掃除当番でゴミ捨てをしてて。今から帰ります」
「…気をつけて帰れ」


どうやらなにも言わないでおいてくれるようだった。クラサメ先生は意外に青春を応援してくれる人なのかな。わたしはじっとクラサメ先生を見つめたが先生はわたしの視線に気づかずエースの横を通り過ぎていった。「…なにも言われなかったね」わたしがエースとわたしにしか聞こえないくらい小さくつぶやいた時だった。


「エース」


一瞬聞こえたんじゃないかと体が固まった。振り向くとクラサメ先生がこっちを見ていて思わずエースの背に隠れた。


「…もう引きずってはいないのか、あいつのこと」


あいつ?わたしが首を傾げてエースを見ると、エースは釈然とした態度で、でも少し悲しそうな顔をして答えた。


「いえ、引きずってますよ。…当分、忘れられそうにはないみたいです」


エースはそれだけ言うと行こう、とわたしにだけ聞こえるような小さい声でわたしに言うと歩きだした。わたしも慌ててそれに続く。歩きながら、わたしは少し気になってクラサメ先生の方を振り向くと先生はもう廊下を歩いていて、背中しか見えず顔は見れなかった。























エースとわたしはわたしの家の近くの公園で少しだべることにした。わたしがエースを引きずったようなものだが、エースは嫌な顔はしなかった。夕方過ぎの公園は子供ももう帰ってしまったようでわたしたち以外は誰もいなかった。人のいない公園というのは少し寂しい気がした。


「エース、ベンチ座ろう」
「ああ」


エースの手を引いて公園のベンチに座った。昔からあって色がはげてしまった水色のベンチは、わたしが小さい頃からのお気に入りだ。もう色がはげてしまったから、水色というより茶色に近いのだけれど。わたしたちはなにをするでもなくそこに座っていた。ただ手は繋いだままで。
とても不思議な気分だった。普段は賑やかなのに今は誰もいない公園で、ふたりきり。ただ座っているだけ。それだけでそこがまるで別世界のように感じた。他からは切り離された、わたしたちだけのアナザーワールド。ずっとそんなふうに思っていると今度は自分の存在が薄まってくるような気がした。頭がぼーっとするような、そんな感覚。ただエースと繋いだ手だけが温かくて、わたしの存在を証明しているようだった。思わずエースの手をギュッと握り締めた。
するとその不思議な空間を切るかのようにエースが口を開いた。


「あのさ」
「うん」
「名前に、言わなきゃいけないことがあるんだ」


エースの声はいつになく真剣で、わたしは思わずエースの顔を見た。エースの顔はいつもの優しい顔ではなく、なにかを決意したような厳しい顔をしていた。こんなエースを見るのは初めてでわたしは戸惑った。


「え、エース…?」
「聞いてくれ」


エースの言葉に思わず口をつぐんだ。見つめ合って数秒。わたしが話し掛けていいのか戸惑っていると、エースが口を開いた。


「名前、…本当は、お前、」


「エース!」



わたしでもエースでもない誰かの声が公園に響いた。声の方を見ると、背の高い金髪の男がふたり立っていた。彼らが着ている制服で同じ学校というのはわかったが、ひとりはよく知っているがもうひとりはあまり知らない人だった。ハネ髪の方がナイン。同じクラスの男子だ。男子の中ではわりかし仲の良い方に入る。エースの名前を呼んだのはこのナインの方だったようだ。もうひとりは金髪にツーブロとかなりいかつい見た目をしている男子だった。誰だよ。正直怖い。若干身構えてしまう。
すると、ナインがおかしなことを言った。


「よおエース、1人でなにやってんだ?」
「…え?」


声をあげたのはわたしだった。だっておかしい。エースの隣にはわたしがいるのに、一人でって、なに?どういうこと。エースもわたしもなにも言わなかった(わたしの場合絶句してなにも言えなかったのだけれど、エースはどうなんだろうか?)。ナインは少し不思議そうに首を傾げたが、特に気にした様子もなくポケットからなにかを出した。


「あぁそうだ。これ、一応渡しておこうと思ってよ」


ナインがポケットから出したのは、見覚えのある銀のネックレスだった。あれって、まさか。
わたしが目を見開いていると、ナインは少し悲しそうに目を伏せた。


「あいつがさ、前に体育の時預かっててくれって渡してきたんだけどよ… あんなことがあったろ?だからすっかり忘れちまっててよ。これ、お前があげたんだろ?俺が持ってるより、お前が持ってた方がいいような気がしてよ、一応渡しておこうかと思って」
「…ああ、そうか。ありがとう」


エースはその銀のネックレスを受けとった。わたしはエースの顔を見ようとしたが、ナインの方を向いていて顔は見えなかった。
ナインはまだなにか言おうとしたが、ツーブロの人に肩を掴まれて「もうやめておけ」と言われて、諦めたかのように帰っていった。ナインが最後に言った「じゃあな」が悲しく感じたのはわたしだけだろうか?
わたしは震える手で自分の鎖骨あたりに手を伸ばした。あるはずだ。わたしは朝、ちゃんとしてきたんだから――― しかしそこにあるのはわたしの肌と制服の襟だけで、金属製のものなんてなかった。わたしは混乱する頭でエースの名前を呼んだ。エースの名前を呼ぶ唇すら震えていて、呼ぶのに苦労した。
エースはわたしの声に反応して、こっちを向いた。
その時のエースの顔は―――わたしが今まで生きてきた中で、どんな人間よりも悲しい顔をしていた。普段から優しい顔をしていたせいだろうか。何に例えることすら出来ない。それくらい悲しい顔をしていた。
エースはそんなひどく悲しい顔で、まるで命を削るかのように、必死に絞り出したかのように、とても苦しそうに、切なそうに、その言葉を口にした。


「お前はもう、死んでるんだ」




天国にはいけない/エース
20120329