小説 | ナノ
ひゅうと冷気を帯びた風がわたしのスカートの中を通った。わたしは思わず身震いし、盛大にくしゃみをした。


「さっむっ」
「そんな短いスカート履いてるからだろ」
「だってスカート長いと可愛くないじゃん」
「変わんねぇよ」


わたしは腹いせに日吉の背中を両手で叩いた。しかしさすがテニス部時期部長候補である。びくともしない。
このクソ寒い中、電車で帰るのが面倒に感じたわたしは鳳くんが今日は部活がないから遊ぶと言っていたことを思い出し、同じく部活がない日吉の家に押しかけることにした。学校が終わってすぐ日吉にたかると、断られると思っていたのにあっさり了承してくれた。意外に優しい奴である。日吉はチャリ通なので二人でチャリ置き場に行った。チャリを取り、学校から出たところでわたしは日吉が引いているチャリの荷台に飛び乗った。


「うわっいきなり飛び乗んなよ」
「いいじゃん2ケツしようよ2ケツ。歩くのだるい」
「お前重いんだよ」
「うるせぇ。あっそうだ、TSUTAYA寄ろうよ。なんか観よう。あとコンビニも行きたい」
「俺金ねぇ」
「わたしが出すからいいよ」


日吉はチャリに跨がると漕ぎ始めた。前から来る風が冷たかったけど、日吉の背中が盾になってくれたのでまだマシだった(その代わり日吉は冷たい風を顔面に受けているであろう。かわいそうに)。しかしわたしはスカートだ。寒くないわけがない。信号待ちになり、わたしがまたくしゃみをすると日吉が巻いていたマフラーを外して「ん」と差し出して来た。


「え いいの?」
「俺そんな寒くないし。貸してやるよ」
「わーっやったありがとう」


わたしは素直に喜んで日吉のマフラーを巻いた。彼のシンプルな黒のマフラーは日吉のぬくもりが若干残っていてとても温い。わたしはマフラーを口まで持ってきて防寒をした。信号が赤から青になり、再び日吉がチャリを漕ぎ始めた。目的のTSUTAYAまでもう少しだ。


「TSUTAYA行って何借りんだ?」
「ラブロマンス!忍足先輩に薦められたやつ観たい」
「あっそ。じゃあ俺はホラーで」
「えぇぇえ」
「いいだろ別に」
「日吉わたしがホラー苦手なの知ってるよね」
「知ってる」
「タチ悪!」


わたしはまた日吉の背中をばんばん叩いた。しかし案の定びくともしなかった。
数分後無事TSUTAYAに到着し、わたしは忍足に薦められたラブロマンス映画を、日吉は宣言通りホラー(しかも一番怖そうなやつ)を借りた。TSUTAYAの中があったかくてにこにこしてたら日吉に頭を叩かれた。ちょっと痛かった。会計の時、わたしがお金を出すと言ったのに日吉が出してくれた。お金ないんじゃなかったのかよとツッコミたかったがわざわざ出してくれたんだからと思いここは素直に親切に甘えておくことにしておいた。
TSUTAYAを出て隣のコンビニに入った。いらっしゃいませー、と店員さんの声とコンビニのドアの開く音が耳に入る。わたしは入口すぐ近くにあったカゴを取った。


「何買うんだ?」
「お菓子と飲み物とお菓子」
「菓子ばっかだな」
「いいのいいの。日吉はなんか食べたいのある?」
「ない。勝手に選んでろ」


日吉は雑誌を見てくると言って雑誌コーナーに行ってしまったのでわたしはひとりでお菓子を選ぶことにした。とりあえずポテチと、それとわたしの好きなソフトさきいか。あと飲み物。それらをカゴに入れて、それと何がいいかなと考えていると、ふとお菓子コーナーに飾られた看板が目に入った。もうすぐバレンタインと書かれたそれを見て、わたしは今日が2月14日、バレンタインデーだと気づいた。ああそういえばそうだったなと思い、ふと日吉のことを思い出した。そういやあいつ去年ものすごい量のチョコもらってなかったっけ。跡部ほとじゃないけど。今年はもらってないのかなと思ったが、日吉が昼休みに呼び出しされていたり、ロッカーに鍵を二重につけていたりしていたのを思い出した。あれ何かと思ったら全部バレンタインデーだからか。なるほろ、だから今日わたしの誘いをあっさり承諾したんだ。確かにわたしが去年見たような量のチョコを今年ももらうような気にはならないだろうな。ということは今年日吉はバレンタインチョコをもらってないのかな。日吉のことだ、自分のファンからなんてもらわないだろうな。もらったとしてもお母さんからとかだろう。かわいそうに。わたしはそんな日吉に同情し、板チョコをカゴの中に入れた。イケメンなのにチョコもらってないとかかわいそうだもの。飲み物を選んでカゴの中に入れてレジに行って会計を済ませた。店員さんに入れてもらった袋を手に提げて、ひとりで雑誌を読んでいる日吉に声をかけた。「日吉ー、行こー」日吉はわたしに気づき、雑誌を戻して一緒にコンビニを出た。再び日吉と二人乗りして日吉家に向かった。


「お前痩せた?」
「え?マジで?」
「軽くなった気がする」
「怖くて体重計乗ってなかったからわからな…うわっ!」


急に日吉がチャリを止めたのでわたしは慣性の法則に従い日吉の背中に鼻から体ごと激突した。慌ててダメージ軽減しようと日吉の腕を掴んだが案の定無駄だった。鼻がちょっと痛い。どうやら信号が赤だったようである。わたしは日吉の腕から手を離して鼻を押さえながら日吉に「ちょっと、急に止まんないでよ」と文句を言った。けど日吉がなんも言ってこないのでわたしは首を傾げた。


「日吉?」
「…いや、なんでもない」


日吉はわたしの方をちらっと振り向くとそう言ってまた前を向いた。なんだこいつ。信号が青になり再び日吉はチャリを発進させた。





















10分ほどで日吉の家に着いた。おじゃましまーすと言って中に入る。いつもわたしが挨拶すると返事をしてくれるのに今日は返事がなかったので日吉に今日家族いないの?と聞くと今日は誰もいないと返ってきた。そうか今日は日吉の美人なマミーには会えないのか。わたしは日吉の後に続いて2階に上がった。日吉の部屋は2階にあるのだ(しかもちょっと広い)。部屋に入ると相変わらず綺麗な景色が目に入った。わたしの部屋と比べると完全にわたしの部屋の方が汚い。「相変わらずキレーだね」とわたしが言うと「お前の部屋が汚いだけだろ」と言われた。確かにそれは言えてる。日吉がDVDプレイヤーをセットし始めたのを見てわたしは袋からDVDを取り出した。


「どっちから先に見る?」
「あー、どっちでもいい」
「じゃあホラーから」
「お前あんだけホラー苦手とか言ってたくせに先に見るのかよ」
「名字さんは嫌なものは先に片付けたい派なんですぅ。あ、マフラーありがと。ここ置いとくよ」
「ああ」


わたしはホラーのDVDを日吉に渡した。さてわたしはお菓子の準備をするか。わたしはテレビと向かい合わせになっているソファー(部屋にソファーあるとか羨ましい)に座るとさっさとコンビニの袋からお菓子と飲み物を出していると、板チョコが出てきた。あ、忘れてた。ちょうど日吉がDVDをセットし終えたようだったのでわたしは板チョコを差し出した。


「なんだこれ」
「今日バレンタインじゃん」
「板チョコかよ」
「気持ちはぎっしり詰まってるから安心して」
「嘘つけ。お前それさっき買ったやつだろ」
「うわバレた」
「バレるだろさすがに」


なんだかんだで日吉は板チョコを受けとった。日吉はまんざらでもなさそうなのでわたしはリモコンをいじって満足しながらDVDを見始めた。テレビにアップの外人の俳優とタイトルがでかでかと出てきて、わたしは思い出した。


「うわっこれ去年めっちゃ怖いとか言われてたやつじゃん」
「なんだよ、知らなかったのか?」
「知るわけないでしょわたしホラー苦手なんだから。ていうかわたしがこれ見てお風呂入れなくなったら日吉どうしてくれんの」
「知るか」
「ひどい」


わたしが泣きまねをすると日吉にわたしがあげた板チョコで頭を叩かれた。わたしは痛いと笑いながらリモコンで本編を再生させた。しばらく無言でお菓子を食べながら映画を観ていたが、飲み物を飲もうとした時あることに気づいて「あ」と思わず声を出した。


「どうした?」
「あーいや、コップ忘れたと思って」
「別にいいだろ回し飲みで」
「うんいっかそれで」


問題を解決し再び映画観賞に戻る。そこからはまたしばらく無言だった。しかしホラーは無言で観ていると怖い。話が進んで画面にいきなり女の人が出てきた時はびっくりして奇声をあげて思わずのけ反った。


「のわあぁああ」
「うるせぇな」
「だだだってびっくりした」
「ったく、黙って観てろ」


そう言われても怖いものは怖い。日吉に言われてわたしは頑張って黙っていたが、またいきなり画面に幽霊が出てきて奇声をあげて今度は隣の日吉に飛びついてしまった。


「おっ、お前なあっ…」
「うわあごめんごめん。あーびっくりした。死ぬかと思ったわ。よく落ち着いてられるね日吉」
「はー…お前と一緒にするな」


日吉は呆れているようだ。その後わたしは何回も日吉に飛びついたりしたが完全に呆れたようで何も言ってこなかった(思わず抱き着いてしまった時はさすがに怒られたが)。
なんやかんやで2時間が過ぎてホラー映画は終わった。日吉がトイレに行ってしまったので真面目に今日お風呂入れるかなと怖かったシーンを考えながら今度はわたしが次のDVDをセッティングした。忍足先輩推しのラブロマンス映画である。ちなみに洋画。忍足先輩が言うには結構泣けるらしいのでわたしとしては楽しみである。セッティングしてリモコンを手にソファーで日吉を待っていると、しばらくしてから日吉は戻ってきた。ドアを開けて入ってきた日吉の姿を確認して「始めるよーん」とわたしは本編を再生した。日吉はああと私の隣に座った。


「ていうか日吉板チョコ溶けるよ」
「食えってのか」
「それ以外何があんの」
「甘えんだよ板チョコ」
「じゃあわたしが半分食べてあげるから半分食べてよ」
「あーわかったわかった」


日吉はおとなしく板チョコをかじり始めた。よしよし。わたしは満足して映画に集中した。が、一時間ほどした後で日吉がギブアップしたようで板チョコをわたしにパスしてきた。しかも半分も食べてない。


「もう無理だ。甘すぎ」
「おいしいのに」
「甘すぎだろ。お前よく食えるな」
「女の子は甘いものが好きなんですー」
「へえ。お前も女だったんだな」
「うざ!」


わたしが日吉の膝をバンバン叩くと日吉は「わりぃわりぃ」とちょっと笑っていた。「許さん」わたしは映画の方に視線を戻して板チョコをかじり始めた。日吉の食べかけだったその板チョコは少し日吉の唾液で濡れていて、わたしはちょっとドキッとしたが気にしないことにしてチョコをかじった。


「この映画のタイトルなんだ?」
「えーと、50回目のファーストキス」
「ああ、記憶が一日しかもたないからか」
「そうそう」


忍足先輩推しのこの映画はヒロインの記憶が一日しかもたないという設定で、そんなヒロインに恋した男の話だ。いやしかし面白い。さすが忍足先輩推しの映画ではある。


「そういえばさ、ファーストキスってレモン味とかいうけどあれってホント?」
「…なんで俺に聞く」
「え、だって日吉ちゅーしたことあるんでしょ」
「ない」
「ええええ嘘だ」
「なんでだよ。嘘ついてどーする」
「だってめっちゃモテんじゃん日吉。今日とかめっちゃ呼び出しされてたし。もしや彼女いたことないの?」
「ない。今日も呼び出しにも応じてないし」
「うっわマジか。すごいねぇわたし呼び出しとかされたことないわ」
「で、お前はどうなんだよ」
「え?」
「ファーストキス。したことあるのか?」
「いやあるわけないじゃん。ていうかそんなんあったら日吉に聞かないよ」
「ていうことはお前も彼氏いたことないんだな」
「ないよ。まあいつかは作りたいけど」
「ふーん、お前でも彼氏作りたいとか思うんだな」
「失礼な。わたしだって年頃なんだよ彼氏欲しいしファーストキスくらいしたいわ」
「レモン味のか?」
「いや別にレモン味に限ったことじゃないけど」
「まあ普通に考えたら無味だろうけどな」
「まあそう言っちゃえばそうなんだけどさ。でもほんとにどうなんだろうね、ファーストキスって」


映画に目をやりながら話すが完全に映画から会話に集中力は移動していた。再び映画に集中しようとするがもう話が若干わからなくなって、巻き戻ししようかなとリモコンを取って日吉にいいか聞こうとしたら「名字」ちょうど日吉に名前を呼ばれてなんだよと返事しようとしたらいきなり頬を掴まれて日吉の方を向かされた。何すんの、とわたしが聞く前に目の前が日吉の顔でいっぱいになって、唇に温かくて柔らかい感触が。
キス、されたんだと気づくまでそんなに時間はかからなかった。「っ!?」わたしはそれに気づいた瞬間、心臓が3メートルほど飛び出たんじゃないかと思うくらい跳ね上がり、同時にぼんと体温が上昇した。かっと顔に熱が集まる。自分でも顔が赤くなるのがわかった。あまりのことに唖然としていると開けっ放しだったわたしの口に、ふぅ、と日吉の吐息が入り込んできた。生暖かい吐息がなんだかすごくリアルで、わたしは初めて心臓が爆発しそうなのを感じた。
2秒か3秒くらいだろうか。それくらい経ったあと、日吉の唇はわたしの唇から少しだけ離れた。


「甘え。チョコの味しかしないじゃないかよ」


と言ってまたキスしようとして来たので「ちょ、まっ」肩を押して反論しようとしたがやはり無駄で今度はちゅっと唇を吸われた。音が生々しくて恥ずかしくてわたしは混乱した。


「うっ、なっ、なななな…!」
「なんだよ、ちゃんと日本語話せ」
「なっ、なななな何すんのっ…」
「何って、キスだろ。ファーストキス」
「だからなんっ、なんでっ、キス、してんのっ」
「お前がファーストキスってどうなんだろうとか言うからだろ」
「べっ別にしたいとかいいい言ってないっ…!」


あわてふためくわたしに日吉は冷静で、あたかも何もなかったかのようなその態度にわたしの方が落ち着いてきてしまって、わたしは熱が下がったように反論しなくなった。わたしたちの会話がなくなって、映画の音声だけが部屋に響く。わたしは両手で唇を守るように包んで考えた。わたし今キスされたよね日吉に。間違いとかじゃなくキスされたよね今。いやうんされたよだって唇日吉の唾液で濡れ… うわああああ恥ずかしい!舐めるわけにもいかないしどうしようこれどうしよう。ていうかなんでわたしにキスなんかしたんだ日吉。ファーストキスって言ったってわたし別にしたいとか言ってないしいやいやいや言ったかもしれないけどそれは未来の彼氏とだってことで別に日吉としたいとかそういうことじゃないしわたしちゃんと彼氏としたい的なこと言ったしけど別に嫌じゃなかったしむしろ嬉しかったというかなんというか…うわああああなに言ってんのわたし。いやでも、わたしキスされて正直嬉しかったし、めっちゃ心臓ドキドキしてるし、ええええていうかわたしどうしようこれどうしよう本当どうしようていうか心臓がやばい死にそうどうしようどうしよう。
わたしがひとり悶えていると日吉が口を開いた。


「…悪い」
「えっあっはいっ」
「………」


考え事をしていたので素っ頓狂な返事をしてしまった。いやだって考え事してたし。わたしの返事が気にくわなかったのか日吉は言い直してきた。


「悪かった。…その、キス、して」
「あっ、いや、別に、嫌じゃなかったし、わたし」
「え…」


日吉が目を見開いてわたしを見てきたのでわたしは慌てて話を変えようとした。いや嘘は言ってないけど恥ずかしくて。


「あああえっとあのっ、てっていうかなんでしたのキスっ」


日吉が何も言わないのでわたしはまた慌てた。言ってから、無理矢理会話変えようとしたせいで直球過ぎたかもしれないと焦った。わたしの質問に日吉珍しく少し顔を赤らめて明後日の方向を向いた。わたしが黙って日吉の返事を待っていると、日吉が口を開いた。


「…好きだから。お前が」


照れ臭そうに言った日吉の言葉がわたしの胸から体中にじんわりと染み込んでいくようだった。嬉しい。素直に嬉しい。わたしは日吉の言葉を聞いて、わたしはそう思った。キスされた時、嫌じゃなかったし、むしろ嬉しかったし。わたしはあの時、すごく驚いて、すごく恥ずかしくて、すごく、嬉しかった。そう思ったらなんだか胸が熱くなって高まった。今も日吉に好きと言ってもらえて、すごく嬉しくて、胸が熱くて高まっている。わたし、もしかして、日吉が。そう思ったら鼻がつんとして視界がゆらりと歪んできて、わたしは泣き出してしまった。それに気づいた日吉が驚いた顔で慌てて近づいてきてわたしの涙を指で拭ってきた。


「おっおい、大丈夫か」
「ご、ごめ…」
「悪い、無理矢理して、悪かった。だから泣き止め、ほら」


日吉はポケットティッシュをポケットから取り出してわたしの涙を拭きはじめた。わたしが違う違うと首を振ると、日吉は首を傾げた。わたしは泣きながら必死に説明する。


「あっ、あの、嫌じゃなかったし、違うの、」
「…じゃあなんで泣いてるんだ?」
「う、嬉しかったから。日吉が、言ってくれて。ズビー」


…最悪だ。なにがズビーだ。なんでこのタイミングで鼻啜ったんだろうわたし。もう終わった。しかしありがたいことに日吉は気にしてないようで、彼はぽかんとしていた。


「日吉…?」
「あ、いや、」


日吉はうつむいた。見ると耳が真っ赤だ。どうやら照れているようだ。日吉が照れるなんて珍しくてなんだか可愛く思えてくすっと笑ってしまった。すると日吉が「な、なに笑ってんだよ」とうつむいたまま言うもんだからさらに笑えてきた。


「ううん、なんでもないよ」
「…名字」
「なに?」
「お前、俺にキスされて嫌じゃなかったって言ったよな?」
「う…うん」
「お前、俺のことどう思ってる?」
「ど、どうって、ええと…」


言われて思い浮かんだのは日吉にキスされた時だった。どう思ってるって、そりゃあ… うわ、なんかまた恥ずかしくなってきた。わたしは柄にもなく赤くなってうつむいた。だってこんなこと言うの恥ずかしい。すると「どう思ってるんだ?」と上から日吉の催促の声が降ってきた。わたしはぎゅっと拳を握りしめると、口を開いた。


「ええと、わ、わたしは、ね」
「……」
「日吉のことどう思ってるとかは、まだちょっとよくわかんない、かな」
「…そうか」
「で、でもね!」


日吉が落ち込んだのがわかってわたしは顔を上げて慌てて大声をあげてしまった。日吉と目ががっちりと合ってしまい、わたしはまた慌てて下を向いた。


「あ、あの、わたし、日吉のことが好きかどうかはまだわからないんだけど、でも、」
「……」「でも、あの、わたし日吉にキスされて、嫌じゃなかったしむしろ、う、嬉しかった…と思う」


日吉がわたしを凝視しているのが気配でわかった。わたしは知らないフリをしてさらにうつむいた。


「だからわたし、今はわからないけど、これから、もうちょっとずつ時間かけてったら、多分わたし、日吉のこと、」


好きになれるかも、と言うつもりが言えなかった。日吉にいきなり抱きしめられたから。「ひゃっ」驚いて離れようとしたが、日吉の力がびっくりするほど強くて離れられなかった。日吉ってこんなに力強かったっけ。わたしが「ひっ日吉っ」と日吉の背中のシャツを引っ張ったら日吉がぎゅうとあんまり強く抱きしめるもんだから少し痛かった。


「い、痛いよ」
「あっ、わ、悪い」


日吉はわたしを抱きしめる力を緩めた。だけど緩めるだけで離そうとはしなかった。嫌じゃない、むしろ嬉しいから別に良かった。わたしはさりげなく日吉の背中に手を回した。心臓がすごくドキドキしてて、日吉に聞こえてるんじゃないかと思った。すると耳元で日吉がわたしの名前を呼んで「好きだ」と囁いた。日吉には珍しい甘い言葉。その言葉と一緒に吐き出された吐息が耳元にかかってくすぐったかった。心臓がどきんどきんうるさい。胸がひどく熱い。
わたしはきっと、すぐこの人に溺れてしまうだろう。




「…名字」
「ん、なに?」
「バレンタインチョコ、美味かったぜ。来年も同じのよろしくな」
「え?板チョコ?」
「お前の唇」
「なっ、ば、ばっかじゃないのっ!」








バレンタイン・キッス/日吉
20120206
0207文字の色が見にくいということなので修正させていただきました。ご迷惑かけて申し訳ないです。