小説 | ナノ
帰りは一人だった。本当は今日キングと帰る気でいたから友達の一緒に帰ろうという誘いも断ってしまったから。結局あれからキングとはなにも話せなかった。話しかけられなかった。すれ違っても今までは話しかけられたのに、今は何も言えなかった。まるで入学当初のクラスメートの関係に戻ったみたいだった。キングがわたしにした事、言動の事を考えるとキリがない。だけど考えずにはいられない。キングはわたしのことが好きなんだろうか。でも今までのことを考えると、そんなふうにはとても思えなかった。わたしはむしろキングがわたしのことを女だと思っていないと思っていた。けれどまるでそんなことないとでも言うようにキングはわたしにキス未遂をしてきた。わたしは一体、なにをすれば良かった?なにをすれば良い?どうすれば良い?どうすれば良かった?考えれば考えるほど疑問はわたしの頭の中でぐるぐると回るだけで、疑問は深まるだけだった。ただ、あの時の事を思い出すとわたしの胸がどきりとする。それが何故そうなるのか、わたしが思い付く理由はただ一つだけあったが、わたしはそれを認める気が進まなかった。だっていまさらだ。いまさら気づいたところで、どうせわたしは…
図書室で本を読むふりしながらなんて事を考えていると、司書さんがやってきて閉館を告げた。もうそんな時間か。わたしはまだ残っていた生徒たちの最後尾に図書室を出た。廊下はところどころ電気がついてはいたが、ついていないところもあって薄暗くなっていた。薄暗い中、転ばないように気をつけながらわたしは階段を下りた。帰ったらどうしよう。今日だって帰ったらキングの家にゲームにしに行こうかと思ってたのに。考えてみればわたし、最近キングのところばっか行ってた。家が近いのもあるけど、何より気が合ったから。階段を下りて、わたしは足を止めた。なんか、ほんと、今になってだけど、


(悲しい…)


そう思ったらじわっと視界が歪んで、鼻がつんとなった。あっという間に目に涙が溜まって、ぽろりと水滴が床に落ちた。
キングと話せないのが、キングと関わらないのが、こんなにも悲しいことだったんだ。認めたくなかった気持ちが今はすんなりと認められた。馬鹿みたい。なんで今更、こんなふうになってから気づくの?スクールバックを握る手に力が入る。わたしがぽろぽろと泣いていると、ふと声をかけられた。


「名前ちゃん?」


聞き覚えのある声にびくりとした。振り向くと、やはり予想通りの人物が立っていた。皆川先輩だ。わたしは思わず一歩引いた。


「泣いてんの?」


皆川先輩が近づいて来た。今すぐ逃げたい。嫌、というキーワードがわたしの脳を駆け巡った。嫌な予感がする。


「あ、いえあの、大丈夫ですから」
「彼氏と喧嘩したの?」


わたしの話なんか聞いたこっちゃないのか。そうか。わたしは必死に逃げようとしたが先輩は当たり前のようにそうさせてくれない。いいから早く帰らせてくれ。わたしの願いは虚しく、先輩はぺらぺらと長そうな話を始めた。電話出れなかったのそのせい?ごめんね電話しちゃって。いやそう思ってんならもう電話してくんじゃねぇよ。そして先輩はわたしが最も今出して欲しくない話題・付き合わないかの話を出してきた。なにやらもっともらしい理由を述べると、結果的には俺の方が名前ちゃんを幸せに出来るよとナルシシズムにもほどかあることを言い始めた。しかもわたしの肩を掴んで。


「わたし彼氏いるんで、ほんとごめんなさい」
「待ってよ。俺だったら絶対名前ちゃん泣かせないって」


あんたみたいな迷惑かけられるぐらいなら泣かされた方がマシだ。馬鹿じゃないのこいつ。わたしがそろそろ本気で逃げようとした時だった。急に皆川先輩がわたしの手を掴んだのだ。先輩のボディタッチが激しいなんてもうわかりきっていることだからされたことは別に驚かなかったが、いきなりだったのでびっくりした。わたしが思わず先輩を見上げると、先輩の瞳と目が合った。友達がわたしを見る友達の目でも、キングのような男の目でもない。こいつのは、獣の目だ。獲物を狩る獣の目。わたしは恐怖を感じて無意識に逃げようと足を後ろに引いた。すると背中にどんと壁が当たった。いつのまにか壁まで追い詰められていたらしい。先輩に視線を戻すと、先輩が近づいて来ているのが視界に入った。何されるかわかった瞬間、わたしは反射的に口を手で覆った。こいつとキスなんか嫌だ。真っ平御免だ。行き場を失った先輩の唇がわたしの手に触れた。気持ち悪ぉ。わたしはもごもごしながら先輩に反論した。


「わっ、わたし彼氏いるんですよ」
「いいじゃん別に」
「良くない!」


わたしの必死の反論も虚しく、皆川先輩はわたしの手首を掴むと口から引き剥がした。男女間の力とはやはり大きいものだ。もう片方の手も引き剥がそうとしてきた先輩にもうなりふり構ってられないと大暴れしようと手に力を込めた時。


「やめろ」


聞き慣れたバストーンが聞こえたかと思うと誰かがわたしと先輩の間に入り込んで来た。言わずもがなキングである。キングが先輩の手からわたしの手首を解放してくれたのでわたしは横にさっと逸れた。いつまでも壁に寄り添いたくない。見ると、キングと先輩が言い合いをしていた。わたしが内容を聞く前に、キングが先輩の胸倉を掴み上げたので目をかっ開いた。わたしが慌てて止めさせようとすると、キングの声が耳に入ったのでわたしはかなりビビった。


「ふざけんじゃねぇ…」


もう少しで申し訳ありませんでしたと叫ぶところだった。なんとか喉の奥でそれを寸止めする。キングが怖かったので少しの間何も言えずにいた。しかしキングに胸倉を掴み上げられた先輩は今にも泣きそうな顔でヒィヒィ言ってるしもう許してやっても良いんじゃないかとわたしは改めて思い、今だに怖いこと言ってるキングの服を掴んだ。


「き、キング、もういいよ。もういいよ」
「けどこいつ…」
「いいってばもう。わたしは平気だから」


キングは眉間にシワをいっぱい浮かばせた後、舌打ちをして先輩をようやく解放した。先輩は悲鳴をあげながら走り去って言った。あれだけ強気なこと言っていたわりには全く情けない。先輩が去り、とりあえずお礼を言おうととキングの方を見ると般若のような顔をしていた。恐ろしい。するとキングがいきなりわたしの顔を両手で掴んできたのでびっくりした。


「!?キング…?」
「お前、されたのか?」
「へ?」
「されたのか?」


されたって何がと尋ねる前にわたしははっと気づいた。キングが言ってるのは多分キスのことだ。主語を言え主語を。わたしは首を横に振りながら(キングに顔を押さえられているせいであまり上手く振れなかったが)「されてないされてない」とキスは未遂だということを伝えた。するとキングはわたしの顔をようやく解放した。


「それなら良い。良かった」
「うんわたしもびっくりした。キングのおかげで未遂で済んだよ。ありがとう」
「…名字」
「ん?なに?」
「その、昼休みは悪かった」


言われてから気づいた。そうだわたしたち気まずかったんだった。思い出してわたしは「い、いやこちらこそ」と慌てて首を横に振って話を続けた。


「あっ、あのですね」
「なんだ?」
「わたし、別にキングのこと、男だって思ってないわけじゃ、ない…よ…」


言ってたらなんだか恥ずかしくなってきて後半が小声になってしまった。恥ずかしい。わたしは今、とんでもないカミングアウトをしたんじゃないか。ていうかもうこれ若干言いたいことばれたんじゃね。かっと顔に熱が集まった。わたしはまともにキングの顔が見れなかったのでずっとうつむきながらわたしは言い訳をした。


「いやっあのっ、い、今言ったのあんまり深い意味とか…あるっちゃある…けど、いやでもっ、別にあんまり考えなくってもいいからとにかくその気にしないでっていうか」
「名前」

下の名前を呼ばれて、少し驚いてキングを見上げてしまった。キングの茶褐色の瞳がわたしの視線を捕られた。


「ちょっと頼みがあるんだが」
「な、なに?」


今わたしを見ているキングの目は間違いなく男だった。
そしてキングは、揺らがないその茶褐色の瞳でわたしを見つめ、わたしをキングにとって間違いなく、女にしたのだ。





「俺の彼女をやらないか」












予期せぬ愛に自由を奪われたいね/キング
20120201

Title by 宇多田ヒカル