小説 | ナノ
右腕が痛い。任務先でヘビモスにやられてしまった。一応4組の子にケアルはしてもらったけど足りなくて、魔導院に帰ったら治療をしてもらえと言われて帰って来たもののわたしが魔導院に帰宅したのは夜中だ。今起きてる候補生はそういない。わたしは候補生を起こすのはかわいそうだし面倒くさくてそのままフツーに自分で手当てしようと思い、自室へ向かった。右腕がずきずき痛い。一応水洗いはしたが、ほんとは縫合してからケアルをかけるかなにかしないと跡が残る。面倒くさいし痛いの嫌いだしいまさらそんなことしたってわたしはもう傷だらけ。いまさら傷ひとつ治したところで変わりはしない。部屋に戻ったら消毒して薬塗ってガーゼして包帯巻いて… 上着着ちゃえばわかんないだろうし、いっかもう治癒してもらわなくて。あ、服も破かれちゃったからまた新しいの買わなきゃ。明日はとりあえず古い上着でいいか。あれどこにやったっけ。考え事をしながら誰もいない廊下を歩いていると、ふと後ろに気配を感じてはっとして振り向いた。


「えっ…」


確かに気配がした通り後ろには人が立っていた。しかもその人はわたしのよく知っていて、わたしが一番会いたくなかった人物。わたしは目をひんむいた。その人物とは言わずもがな、クラサメである。しかもお怒りモード全開だ。眉間にシワが寄っているし、完全に顔が怒っている。わたしは固まった。


「あ、く、クラサメ。どうし―――」


たの、と聞く前に、いきなり右腕を掴まれた。「うあっ」案の定右腕中に痛みが走り、わたしは思わず声をあげた。それを見てクラサメはさらに眉間にシワを寄せた。怖い。わたしは慌てて弁解した。


「あ、あのさ、わたしホラ、任務成功したから。怪我はしちゃったけど、ちゃんと任務はこなしたし、こんな怪我もすぐ治っ」
「来い」


クラサメは怪我をしたわたしの腕とは別の腕を掴むと、ずんずん歩き始めた。もちろんわたしはそれについていく羽目になった。「わっ、ちょ、どこいくのっ?」わたしが聞いてもクラサメはなにも言わない。ただずんずん歩くだけ。どうやら相当怒っているらしい。わたしはなにも言わなかった(というかビビって何も言えなかった)。引っ張られて歩いているうちに、どうやらクラサメは自室に向かっていることに気づいた。クラサメの部屋はもう何度も行っているので方向でわかった。しばらく歩くとクラサメの自室に着いた。クラサメはわたしを部屋の中に引っ張るとぱっとわたしの腕を離し、座れ、とベッドを目で指した。わたしは素直に座る。クラサメは部屋の奥に行くと、棚の引き出しからなにか取り出してまた戻ってきた。取り出したのはどうやら救急箱のようで、クラサメはそれを持ってわたしの隣に座ると救急箱から消毒液を取り出してベッドの上に広げた。


「脱げ」
「え」
「上着だけでいい。脱げ」


どうやらクラサメは今からわたしの傷を治療するらしい。わたしはクラサメが怖かったので上着を脱いだ。厚着が嫌いなわたしは基本的に上着の下は下着と薄着だけなので上着を脱いだわたしは薄着だけになってしまう。上着を脱ぐと冷気が肌に染みた。わたしが薄着だけなのが意外だったのかクラサメは目を丸くしたようだったが、すぐに消毒液を手に取ると、わたしの傷にかけた。


「いっ…!」
「我慢しろ」


消毒液が染みるが我慢出来ないほどではない。堪えているとクラサメはティッシュで腕に垂れた消毒液を拭くと、今度は救急箱から針と糸を取り出した。わたしはそれを見てさーっと顔を青くした。ま、まさか…


「…縫合するの?」
「当たり前だ」


ばっと立ち上がったわたしの襟首をクラサメが掴んだ。ぐえっと声をあげてわたしはベッドに再び座らされた。クラサメが睨んできて怖かったがわたしはそれでも抵抗した。


「後でちゃんと治癒してもらえよ」
「いやいやいやわかったから縫合とか要らないから大丈夫だから痛い」
「子供じゃないんだ。我慢しろ」
「いや痛いから無理ホント勘弁。ていうかもういいよ大丈夫だから」
「傷が残るだろう!」


いきなりクラサメが大声を出したのでわたしは思わずびくっとした。クラサメも自分でも驚いたような顔をしている。わたしはぽかんとしてクラサメを見た。クラサメは照れたように明後日の方向を向いた。


「…ねぇ、もしかして」
「………」
「わたしに傷が残るの、嫌なの?」
「………」
「嫌なの?」
「…うるさい」
「ぎゃー!」


いきなり腕を突っ張られてわたしは叫んだ。不意打ちの痛みに悶えているとクラサメが針と糸を再び手に取るのが見え、逃げようとしたがすごい形相でまた襟首を掴まれて逃げられなかった。これはもう覚悟するしかないようだ。クラサメが消毒した針と糸をわたしの傷口に持ってきたので、わたしはもう覚悟するしかないとギュッと目を閉じた。数秒後、クラサメの部屋にわたしの悲鳴が響いたのは言うまでもない。















縫合が終わり、わたしはまだ身体に残る痛みに耐えていた。クラサメは縫合とその後の処置を終えると、よし、と満足げにしていた。クソ。結局治療されられてしまった。わたしはずきずきと痛む右腕を気にした。クラサメは着ろ、とわたしに上着を投げると救急箱をしまいにいった。わたしは上着を着ながら、棚に救急箱をしまうクラサメの背中を見つめた。わたしは右腕にそって手をやった。実のところ嬉しい。クラサメがわたしに傷をつけて欲しくないって思ってくれたこと(本人認めてはくれなかったが)、治療してくれたこと、どうやら心配してくれていたこと。(…あ)もしかして。わたしは少し顔の筋肉が緩むのを堪えながら、わたしはクラサメの背中に声をかけた。



「ねぇ、前にさ、クラサメわたしに言ったよね?戦場に出るなって」
「それがなんだ」
「もしかしてそれ、わたしに怪我させたくなくて言ったの?」


ぴたりとクラサメが救急箱をしまう手を止めた。なにか言ってくるかと思ってその背中を少しばかり期待しながら見つめたのだが、クラサメはなにも言わずに止まっていた手を動かして作業を再開した。クラサメがなにも言わない、ということは肯定だ。彼はわたしやカヅサたちの前で自分の都合が悪くなると黙ってしまうのを昔から知っている。わたしは笑った。クラサメが自分の都合を悪くすることはそうない。だからつまりクラサメが黙る時はほぼ照れている時なのだ。黙ってしまったクラサメにわたしはくすくすと笑うと、クラサメにもう一度声をかけた。


「そうなの?」
「…お前は女だ」
「うん」
「無駄に傷を作る必要はないだろう」
「無駄じゃないよ」
「無駄だ。任務は候補生たちにさせるものだ。お前が任務に出る必要はない」
「でも役に立ってるからいいじゃん」
「……」


クラサメは少し黙ると、くるっとこっちを振り向いた。ぱっちりと目が合ったと思うと、また背中を向けられてしまった。そしてたっぷり時間をかけて一言、


「………俺が嫌なんだ」


びっくりしてクラサメを見た。残念ながら背中しか見えず、表情はわからなかった(まあどっちにしろ顔もマスクで隠れてよくわからないけど)。あまりに驚いてわたしがなにも言わないでいると、クラサメのほうから口を開いた。


「だから、その、もう任務は出るな。嫁の貰い手もなくなるぞ」
「え、あ、う、うん」
「…名前」
「な、なに?」
「お前今恋人はいるか?」
「え?いないけど…」


わたしが答えると、クラサメはわたしのいるベッドの方に戻って来てわたしの横に座った。ちらっと表情を探ろうと横顔を覗き見てみたのだが横顔だとマスクでよく表情がわからなかった。


「その、いきなりで悪いんだが」
「なに?」
「……一緒に住んでくれないか?」
「…は?」


一瞬何を言っているのかよくわからなくて、理解してから口にしたのは疑問符だった。ばっとクラサメを見たが、彼は明後日の方向を向いていた(おそらく照れている)。一緒に住む?それから連想されるクラサメの言いたいことはひとつしかなかった。いやしかしそれが間違っていたら相当恥ずかしいし、なによりいきなりでそれに自信が持てない。わたしは自分自身頬が紅潮するのがわかった。


「え、なにどういうこと」
「……」
「…わたしと、結婚したいの?」


おそるおそる聞いてみると、クラサメは少し黙った。やっぱり勘違いだったのかとわたしが恥ずかしく思った瞬間、クラサメが口を開いた。



「…そう言ったつもりだったんだが」


間が空いてから、かっと体温が上昇した。それから体中を歓喜が支配した。頭が混乱した。嬉しくて恥ずかしくて、体が熱くなった。暴れ出したい気分だ。わたしはなにも言えなかった。なにも言いたくなかったわけじゃない。それどころかたくさんあった。でも強い感情がそうさせてはくれない。たくさんの言葉が喉につまって、わたしの目から、ぽろりと涙がこぼれた。嬉しすぎだ。わたしは両手を顔にくっつけて隠したが、クラサメには通用しなかったようだ。慌てたように声をかけてきた。


「お、おい名前?大丈夫か?」
「あ、いや、ご、ごめん。ちょっとあの、嬉しくって…」


わたしが顔を隠しながら(声が泣いていたのでバレバレだつまたが)わたしは言った。ちらりとクラサメを見ると目を見開いてわたしを見ていた。わたしが涙を拭いていると、クラサメに名前を呼ばれた。乱暴に目をこすったせいで視界が若干ぼやけていたが、クラサメの方を向いた。するとクラサメが手になにかを持っているのが目に入った。一瞬また医療道具関係かと思ったが、どうやら違うようだった。それは藍色の箱で、ちょうど産まれたてのチョコボぐらいの大きさ。わたしはそこで少し感づいてしまった。まさかこれって…?ぼやけていた視界がだんだんクリアになってきて仮説が確信に近づいていった。わたしはつぶやくように言った。


「まさか、これ…」


クラサメが無言でその箱を開いた。そこには想像通りの物が入っていて、わたしはまた涙が止まらなくなった。藍色の箱の中、部屋の光りを受けて輝く翠色。銀色のリングに付けられたそれは、クラサメの瞳の色と一緒だった。わたしの好きな色、覚えていてくれたんだ。わたしは嬉しくて堪らなくなってボロボロ泣いた。


「本当はお前の瞳の色にしようとしたんだが…どうも黒は見つからなくてな。お前の好きな翠にしてみた」


ありがとう、と言おうとして言えなかった。言葉にならなかった。それでもなんとか言おうとしてとぎれとぎれにありがとうと言うとクラサメは嬉しそうに笑った。わたしはしばらく泣いていたがいつまでもそうしていちゃいけないと思って必死に泣き止んで息を整えた。


「大丈夫か?」
「うん、多分もう平気…」
「そうか… 名前」
「ん?」
「返事はどうだ?」


わたしはきょとんとしてクラサメを見た。まさかあれだけ号泣したというのに返事を聞かれるとは思わなかった。もう聞かなくてもわかっているだろうに。わたしはクラサメらしいなと笑いながら、ちょっと意地悪に言ってみた。


「わかってんでしょ。返事ぐらい」
「…む」
「あはは。嘘嘘。ちゃんと言ってあげるよ」


わたしはさんざん笑った後、「わたしもクラサメと結婚したい」と伝えた。クラサメは満足そうに俺もだ、と笑った。わたしもクラサメも好きだとはっきり言わないところがなんともわたしたちらしい。照れ臭いのが二人ともわかっているからあえて言わないのだ。一度も付き合っていないのに長年恋人をしていたみたいだとわたしは苦笑いした。
クラサメは指輪を箱から出すと、わたしの左手の薬指にはめてくれた。翠の石の指輪はわたしの指にぴったりと入った。よくサイズがわかったな。クラサメももうひとつ指輪を棚から取って来ると自分の指にはめようとしたので、わたしはクラサメの手首を掴んだ。眉をひそめてわたしを見るクラサメに、わたしは「わたしにやらせて」と言った。クラサメはわかったと一瞬わたしに指輪を渡してきた。わたしはクラサメの手を取った。昔から見てきた、わたしの大好きな手だ。わたしを守ってくれてきた大きな手。わたしはクラサメの左手の薬指に指輪をはめた。サイズはぴったりだった。綺麗だね、とわたしが言うとクラサメはありがとう、嬉しそうに言った。


「あ、そうだ」
「なんだ?」
「クラサメさ、準備良すぎじゃない?指輪とか。いつ買ったの?」
「…ああ、…確か一年前ぐらいに」
「えっ?」
「いや、本当はもっと前に言うつもりが… なかなか言えなくてな」
「…なにそれ」


わたしは笑った。ほんとにバカだ。元朱雀四天王のくせに女にプロポーズするのに一年もかかるなんて。ほんとバカ。でもそんなとこが可愛く思えてなんだかくすぐったい気分になった。わたしが笑っていると、クラサメがわたしの左手に手を重ねてきた。クラサメを見ると、いつの間にかマスクを外していて、何をされるか容易に予想出来た。案の定キスされて、わたしは思わず手に力が入った。するとクラサメが手を絡ませてきたのでわたしは自然にそれを受け止める。
唇が離れる。少し名残惜しい気もしたけど、手繋いでいたからそんなに嫌ではなかった。


「名前」
「ん?」
「愛してる」


まさかそんなこと言われるとは思わなかったのでびっくりしてクラサメを見ると、またキスされた。どうやら自分で言って照れ臭かったようだ。まあプロポーズに一年もかけるような奴だから当たり前か、とわたしは幸せを感じながらくすりと笑った。




An emerald green bride/クラサメ
20120119