小説 | ナノ
※ヒロイン病弱設定
※バッドエンド














吐いた息が白かった。それを見て俺は、ああもうそんな時期になったんだなとぼんやり思った。ダウンジャケットのポケットの中に入れた左手は温かいけれど少し汗ばんでいて、外の空気に触れようなら凍りつきそうだった。右手にはお見舞い用のさっきコンビニで買った飲み物。ホットにすれば良かったか。あ、でも病院なんだから暖房くらいついてるよな。いっか。ていうか患者に飲み物とか勝手に飲ませていいのか?まあトレイはただの骨折だし平気か。それにしても手袋してくれば良かったな。マフラーはしてきたけどそれでも少し寒い。冬っていうのは厚着しなきゃいけないし、動きにくいし面倒であまり好きではなかった。そういえば雪降るとか言ってたっけ。まためんどくさいなあ。そう思いながら見上げた空はどんよりとした灰色で、一雨降りそうな気がした。俺は足を急がせた。早いとこいかないと。信号を渡り、左に曲がると大きな病院が視界に入った。お見舞いなんて初めてだから少し戸惑ったが、受付に行ったら名前書いて胸にバッジをつけられるだけでわりとすんなり通った。さてと、たしか病室の番号は307だったはず。俺はエレベーターを探しはじめた。











トレイが骨折したのはつい昨日。転んだついでに足を折ってしまったらしい。しばらく入院らしいですと電話ごしに苦笑いの混じった声で言われた時は、やれやれとこちらも苦笑いしてしまった。普段真面目なトレイが骨折したというのは少し意外だったのだが、トレイと付き合いの長そうなサイスに聞くと小学生と中学生の頃に既に5回折ったことがあると聞いた時には驚いた。あいつは意外と抜けてるとこあるんだよとサイスは笑いながら言ったのをよく覚えている。なので今回で6回目らしいのだ。災難だな、と俺が言うとサイスが「じゃあお見舞い行ってやってくれ。あたしが言ったらまたながーいウンチク聞かされるんだから」それはサイスに限ったことではなく俺も例外ではないのだが、確かにお見舞いくらいは行ってやらないとな、と思った。それはこの前の期末に提出するノートを写させてもらった時のお礼というかなんというか。罪滅ぼしだなとサイスに言われて、わりとしっくりきてそれもそうだと思った俺はすこし笑った。
歩いているとエレベーターを見つけたので乗り込んだ。3階のボタンを押してから、3階くらい階段でもよかったかもしれないと思ったが乗ってしまったしいいかとエレベーターの壁に寄り掛かった。しばらく乗っているとドアが開いたので出ていく。どちらに曲がればいいかわからなかったので適当に左に曲がった。と、病室の番号を見ていると301、302と書いてあった。そのまま番号をたどって歩いていると、ようやく307の数字を確認でき、ドアノブに手をかけて横に引いた。失礼します、と口にしながら病室に足を踏み入れた。が、すぐに病室にトレイの姿がないことに気づいた。(…?)トレイの姿を探すが、やはり見当たらない。そのうち俺は病室の様子がおかしいことに気づいた。俺が入った病室は一人部屋で、部屋のベッドがあるのであろう場所はカーテンがひいてあり、見えないようになっていた。おそらく窓があるのだろう。光が若干漏れて床が光っていた。
カーテンのひいてない前半部分には誰かの私物であろうものが病院用のワゴンに乗せてあり、他にも病院で使うような道具がいくつか置いてあった。他にも机だったり椅子だったり、私物らしきものがたくさんあった。俺はそこでようやく病室を間違えたんじゃないかということに気づいて慌てて携帯を開いた。急いでトレイから来たメールを確認すると、301と書かれていた。しまった間違えた。番号にだけ執着していたから名前のかかれたプレートを見ていなかった。だが幸にもこの病室には誰もいないようだったのでエイトは安心した。病室を出ようと振り返った時、静かな病室に若い女の声が響いた。


「誰かいるの?」


エイトは驚いて再びカーテンのある方を振り返った。するとカーテンに人の影が映っている。どうやらベッドで寝ていた患者が起きてしまったようだった。エイトは焦燥感に襲われた。


「あ、いえ、病室を間違えてしまって… すいません」


エイトは羞恥心と焦燥感に襲われながら慌てて振り返りドアノブに手をかけた。


「あっ、待って!」


エイトは驚いてドアノブから手を放した。カーテンの方を見るとさっきと変わらずカーテンに人の影が映っている。患者がカーテンに触れたのかカーテンと影がゆらりと揺れた。


「…あ、あの、わたし、お見舞い来てくれる人、少なくて… あの、看護婦さんしか来ないから、良かったらその…少し話さない?」


たどたどしい言い方だったが、意味は伝わった。俺は面食らったが、声や言い方からして歳は俺とそう変わらない気がしたのでそんなに不審な気はしなかった。「ああ、ええと」ただ俺はそんなに女の子と話したことがなくてあまり話し慣れない。嫌ではないがどうも話すのは苦手だ。トレイのところに行くにしても別に少しくらい遅れたって構わないだろうし… 俺は頭をかきながら、とりあえずその子がいるであろうカーテンに向き直った。


「俺は別に、構わないが…」
「ほんと?良かった。わたし名前っていうんだけど、君は?」
「エイトだ」
「そっか。エイトくんか。歳はいくつ?」
「ええと、確か今年で16、だったな」
「へぇー、近いね。わたしはねー…」


明るい声で名前と名乗った少女は、カーテン越しながらも会話を途切れさせることなく喋り続けた。と、当たり前ながら俺はカーテン越しに話すのに違和感を覚えた。俺はカーテンに歩み寄るとカーテンを掴んだ。


「なあ、話すならカーテン越しじゃなくて直接―――」
「だめっ!!」


いきなりの大きな声に思わず掴んだカーテンからびくりとして俺は手を放した。俺が驚いていると、名前が慌てた声で謝ってきた。


「ごっ、ごめんね。わたし顔にちょっとその、怪我、してて。あんまり見られたくなくて…」
「…あ、いやこっちこそ、悪い…」


俺は気を遣って数歩下がった。名前が「その辺に椅子あると思うから座って」という言葉に甘えて椅子に座った。すると名前がまた話しはじめた。


「あのね、それで今日――――」


たわいもない話だった。彼女は窓から見えた景色をただ楽しそうに語り、俺はそれに頷きと返事を返す。それだけだったが、名前は楽しそうだった。カーテンに映る影は俺の方をしっかり見ていて、表情だけわからなかったが、声の調子で表情はだいたいわかるので普通の会話とそう変わらない気がした。窓から見えた景色を話し終えると今度は俺に質問攻め。どこの学校に通ってるのとか、学校は楽しいかだとか。俺はこういうのはあまり得意じゃないのだが、俺が少し答えるだけでも名前は嬉しそうに反応するから、やりにくいとは思わなかった。むしろ名前の本当に嬉しそうな声が、微笑ましく感じて俺はふと笑うほどだった。しばらく話していると、ふと壁にかけられた時計が目に入った。そろそろ行かないとまずいか。俺は腰を上げた。


「悪い、そろそろ行かないと…」
「あ、そっか。ごめんね引き止めて」
「いや、いいよ」


椅子を元の場所に戻して「じゃあ」と名前に声をかけてドアに向かうと、「あっ、ちょっと待って」名前にまた止められたので足を止めて振り向いた。カーテン揺れ、それに映る影もつられるように揺れた。


「今度で良いから、また来てくれない?楽しかったし、また話したいな」
「…別に、構わないけど… いつ来ればいい?」
「いつでも。わたしずっとここにいるから、好きな時に来て」


目では見えなかったが、名前が微笑んだ気がして一瞬ドキリとしたが、何も言わずに名前に背を向けた。ドアノブを掴んで「じゃあ。多分また来る」と声をかけて俺は名前の病室を出た。















「遅かったですね」
「悪い、ちょっとあってな」
「なにかあったんですか?」
「…さっき部屋を間違えて開けてしまって、そこにいた人とちょっと話してたんだ」
「はは、なんですかそれ」
「それがその子すごいしゃべるんだ。窓から見える景色とか、あと俺に質問攻めしたりとか。聞く方も疲れたよ」
「へぇ… もしかして、女の子ですか?」
「えっ… ま、まあ、そうだけど…」
「ふ〜ん…そうなんですか」
「な、なんだよ」
「いいえ別に。ただ、あなたが楽しそうに見えたので」
「楽しそう…?」
















結局次に名前に会ったのは三日後のことだった。またトレイをお見舞いしたついでにいったりのだが、ものすごく喜ばれた。


「エイトくん?また来てくれたんだ!」
「まあついでだけどな」
「ついででもいーの!座って座って」


名前は(おそらく)にこにこしながら俺に座るように言った。相変わらずカーテン越しで顔も見えないが、やはり声のトーンで表情はわかった。俺が座ると、名前はまたぺらぺらとしゃべり始めた。俺は楽しそうな明るい声にただ頷いて返事をしていた。


「あ、エイトくん今笑ったでしょ」
「えっ、あ、ああ」
「顔見なくてもわかるよ。なんとなくだけど」
「…すごいな、名前は」
「へへへへ。あ、そうそう今日はね、外でお祭りしてたみたいなんだ。すごい騒がしくて、でもみんな楽しそうで、わたしも参加したかったなあ… エイトくんは?お祭りとか行ったことある?」
「あー、確か去年に一回行ったよ。友達に連れて行かれてさ、まあ楽しかったけど」
「いいなあ… わたし行ったことないから羨ましいよ」


名前は変わらず窓の外の景色を話してきた。俺はそれに答える。そこからまた話は広がっていく。最初は遠慮がちだったが、むしろ俺から話したり、話題を出したり変えたりして会話は途切れなかった。名前とは気が合った。俺は彼女との会話が楽しく感じて、ほぼ毎日名前のところへ足を運ぶようになっていった。