小説 | ナノ

もう君を思い出せないの続き






さざ波の音がして、わたしは目を開けた。ぼんやりとした視界に最初に入ったのは青だった。その青がなんとなく懐かしい誰かを想像させたが、誰かは思い出せなかった。何度か瞬きをすると、意識がはっきりしてきた。なにしてたんだっけ、わたし。自分の置かれていた状況を思い出そうとまだぼーっとする脳を回転させた。


(わたし確か教室で皆と…)


思い出してばっと飛び起きた。辺りを慌てて見渡そうとして―――固まった。


(は…?)


わたしがいるのは教室ではなく、浜辺だった。視界に広がるのはめちゃくちゃになった教室や血まみれの死体ではなく、信じられないくらいに澄んだ青空と、眩しく輝く太陽、そして太陽の光をあびてキラキラと輝くコバルトブルーの海だった。わたしは今見ているものが信じられなかった。今までとは全く違う平和すぎる光景にひたすら目を丸くした。どこここ。しばらく固まってからとりあえず立ち上がろうと手をつくと、浜辺の砂が手についたのを感じてふと自らの手を見た。(…?)違和感を感じた。その違和感がなにかはすぐわかった。(怪我が…ない…)怪我がなかった。わたしは皆と一緒にシドと戦って、ボロボロになっていたはずなのに。わたしの右手は制服が破けてて、確か手の神経もイっちゃって全く動けなかったはず。なのに全然動く上に、怪我もないし痛くない。わたしは自らの体を確認した。怪我なんかどこにもしてないし、綺麗な制服のままだった。触ってみるが、痛みはない。全くの無傷だ。わたしは疑問に思いつつ、とにかく立つことにした。立とうとしてようやくわたしがなにかに寄り掛かっていたことに気づいた。立って体についた砂を掃ってから、振り向く。すると今度は緑が視界に飛び込んできた。「おお…」視界一面に広がるのはカラフルな花畑だった。澄んだ青空に美しく映える色取り取りな花が、緑の草が、視界一面に広がっていた。ところどころに蝶々が飛び交い、わたしが生まれて初めて見る美しい景色だった。(綺麗…)無意識に一歩踏み出した時、ふと声がした。


「…名前?」


びっくりして声の方を向くと、あと数歩の場所に知らないマスクの男の人が立っていた。なんでわたしの名前知ってんの?わたしは思わず一歩引いた。


「だ、誰…?」
「誰…?ああそうか、そうだったな。俺は…」


意味のわからないことをぶつぶつとつぶやくマスク男(以下マスク)にわたしは逃げ出したい気分になったが、周りに他の人は見当たらないし、ここがどこなのか知る貴重な情報源だと思ったのでわたしは逃げ出したいのを踏み止まった。


「あ、あの…ここ、どこですか?」
「…私にもわからない」


マスクは首を振ってそう言った。え、なにそれここどこだよ。あんた地元じゃないの?わたしは首をかしげる。するとマスクが口を開いた。


「お前、もしかして死んだのか?」
「え…?」


死んだ?わたしが?いやいやいや確かにわたしは大怪我してたし死にかけてたけど今現在何故か無傷でこうして生きてますけど。あなたの目の前で。わたしはマスクを頭おかしいんじゃねぇかコイツと怪訝な目で見ていたが、マスクは至って真面目な顔をしていてわたしは悩まされた。


「いや、質問の仕方が悪かったな… 死んだ覚えはあるか?」
「え、ないですけど」
「よく考えてくれ。ここに来る前、お前は何をしていた?」
「何って、ええと…」


確か0組の皆でシドと戦って大怪我して、でも教室には戻って来れて、これからどうなるのかって皆で話して、それから―――














思い出されるのは痛み。特に右手が酷く痛んだ。絶えずぽたぽたと血が流れ落ちていて、指が変な方向に曲がっていた。わたしは見たくなくてずっと目を逸らしていたのを覚えている。
積み上げられた瓦礫の上に、皆で座ることにした。最期まで皆でいたい気持ちが強かった。シンク達が座って手を繋いでいるのを見て、わたしは間に入っちゃおうかな〜と思ったけど、キングが下にひとりぼっちで座っているのを見てわたしはキングに話し掛けた。



「キング、ひとりぼっちで座ってないでこっちおいでよ」
「いいんだ。俺は…これで」
「しょうがないな〜 わたしが隣座ってあげるよ」
「まったく…余計なお世話だ」
「いいの。皆一緒がいいでしょ」


キングの隣にちょこんと座った。キングは余計なお世話って言ったけど、そんなに嫌な顔はしてなくて、むしろ嬉しそうだったからわたしも嬉しかった。


「キング、やり残したことってある?」
「そうだな…あるっちゃある」
「へえ。なに?教えてよ」
「嫌だ」
「うわあひどい。あ、わたしはね、たくさんあるんだよ。エッチもしてないし、デートもしてないし、ていうかまだ彼氏作ってない!」
「くだらないな」
「くだらなくないし。あ、キング彼氏にならない?」
「断る」
「ひど!あ、そうだキング」
「なんだ」
「わたし死んだらクラサメ隊長に会えるかな」
「……」
「会ってみたいな。わたし、その人のこと、好きなんだあ…」
「……わからないが、会えるんじゃないのか、たぶん」
「そうかな?会えるかな?」
「さあな」
「……ねぇねぇキング」
「…なんだ」
「ありがとう。今まで。楽しかった」
「なんだ急に」
「ん、最期なんだなと思って」
「…俺も、お前との時間は悪くなかったと思ってる」
「そっか。さんきゅ」


話しているうちに、だんだんと意識がぼんやりしてきて、痛みも感じなくなっていった。本能的にヤバいというのが感じられたが、迫り来る死に抵抗する気はなかった。視界が白いかすみがかかったようにぼやけてきて、すぐになんにも見えなくなった。皆で勉強した教室、最期まで見たかったな。視界は見えないけどまだなんとか声は出た。


「ねえみんな、0組、すごい楽しかったよね…?」


返事は返って来なかった。ただしんとした静寂が聞こえた。皆の息の音すら聞こえない。


「あれ…?みんな…どうしたの…?」


頬になにかが伝った。温かくて冷たい。涙だとわかるのに少しだけ時間がかかった。わたし、なんで泣いてるの?みんなに馬鹿にされるよ。なに泣いてんだって、馬鹿に……


「……エース、シンク、ケイト」


返事はない。


「エイト、サイス、ジャック、デュース、」


静寂。


「クイーン、セブン、ナイン、 トレイ……キング」


誰も返事はくれなかった。キングに触れようと手を動かしたけど、右手は神経が切れていて上手く動かせなくて虚空を掴むだけだった。


「…ねえ、みんなぁ…」


怖い。真っ暗だ。なんにも見えない。誰も返事をくれない。死にたくない。でももうみんなはいない。きっと先に逝ってしまった。


「なんだよ、もう、ずるいよ…」


先に逝くなんて。置いてくなんてひどいじゃないか。きっとわたしの声はもう届かない。でも怖いのをまぎわらすために、わたしは口を開く。


「…わたしで最期、かぁ…」


もうなんの感覚もない。なにも聞こえない、なにも見えない、なにも感じられない。
怖かった。でも、みんなが待ってる。きっと。クラサメ隊長だってきっといるはずだ。そう思ったら気が軽くなった気がした。笑いたかったけど、感覚がなくて、笑い方がわからなかった。


「待ってて、みんな…わたしもすぐそっちに…」


意識が遠くなる。わたしもこれで終わりだ。あんまり恵まれた人生じゃなかったけど、楽しかった気はする。せめて残された人達はわたしの代わりに、幸せに生きて欲しいな。


「クラサメ隊長…」


意識がすっと消えるのを感じる。ああ、ようやくわたしは、クラサメ隊長に―――――













「…あ」思い出した。そうだ、確かにわたしは教室で、みんなで――――
思い出したらぽろぽろと涙が溢れ出してきた。あの時の死が目前に迫る恐怖が思い出された。涙が止まらない。真っ暗で、なにもみえなくて、なにも感じなくて、怖くて…
するとぽんと頭に軽い衝撃が。びっくりして前を向くと、マスクが優しい顔でわたしの頭を撫でていた。


「怖かったな」
「………」
「お前は頑張ったよ」


わたしはまた泣きそうになったが必死に堪えた。なぜこの人は、わたしにこんな優しくしてくれるのだろう。優しさに甘えたくなる。初対面なのに、何故かひどく甘えたくなった。この人に抱き着いて、泣きじゃくれたらどんなに楽だろう。マスクの手がわたしの頭から離れた。わたしは涙を拭うと、「あの、」まだ鼻声だったがマスクに話し掛けた。


「あの、クラサメたいちょ――」


…わたし今、なんて言った? 自分の発した言葉に思わず絶句した。クラサメ、隊長?それって確かわたしが日記に書いてた人で、わたしの好きな人、だったはず。そういえばこの人マスクだ。日記にもクラサメ隊長マスク云々書いてたような気がする。わたしはマスクの顔をもう一度見た。深いグリーンの瞳がわたしの黒い瞳を捕らえる。わたし知ってる。この強かで、優しい眼差しを、わたしは過去に経験したことがあった。わたし知ってる。この強く優しい眼差しを、この人を。込み上げてきた愛しさが、わたしの口元を小さく緩ます。そしてそれは彼がわたしの愛しい人なのだと主張していた。うるさいくらいにバクバクと音をたてる心臓が、きゅうと締め付けられる。


「……クラサメ隊長、ですか?」


心臓がバクバクとうるさい。周りが静かだから、余計にうるさく感じた。マスクは口を閉ざしていたが、そのうち、たっぷりと時間を経てて答えを出してきた。


「…………そうだ」


全身になにか熱いものが込み上げて一瞬息が詰まった。そうか。この人が、クラサメ隊長。記憶はないけれど、わたしの身体が、心が、この人を愛しいと全力で主張している。わたしはまた目尻が熱くなって、鼻がつんとしたのを感じた。それを堪えて、わたしはつぶやくように言った。


「会いたかった、です…ずっと」
「…私を覚えているのか?」
「記憶はないです。でも、わかるよ。クラサメ隊長だってことは」


話しているうちに自然に敬語は外れていった。きっとわたしはクラサメには敬語を使っていなかったからだろう。
クラサメはふと目を細めてから、小さく笑った。


「まるで覚えているようだな。俺のことを」
「記憶はないけどね。でも何となく心でわかるっていうか…です」
「敬語はいい。前のようにしてくれ」
「あ、そう?よかったーこっちの方がチョー楽だわ」
「そうか… お前、よく俺の存在を知ってたな」
「え?」
「記憶がないのにどうやって俺を知ったんだ?」
「あー、なんか墓地行ったらクラサメ隊長の墓あったし、日記も読んだから」
「日記?ああ、そういえば書かせていたな」
「あれ読んだ時わたし泣いちゃってさ、大変だったなー」
「…ありがとう」
「え?なにが?」
「俺のこと、覚えていてくれて」
「ん、どうもいたしまして。ていうかここどこよ?マジで」


すっかり気を抜いて敬語もなくしたわたしは気軽にクラサメに問い掛けた。するとクラサメは真面目な表情に戻り、真面目に考え始めた。


「ここがどこかはわからないが…… 確実ではないが、恐らく俺達は死んだのではないかと思う」「…やっぱり、わたしたち死んだんだ」


いつもだったら嘘やん!と笑い飛ばしているわたしも、今回ばかりは笑い飛ばせない。わたしは実際にさっき死んだ覚えがあるんだから。



「ああ。多分な」
「ってことはここって天国的な?地獄には見えないし」
「その類だろうな」
「人殺しまくったのに天国でいいのかなわたし」
「…だったら俺も一緒だ」
「はは、そうだね。あ、てかさ、死んだならほかの人は?わたしキングとか0組全員で死んだんだけど」
「全員死んだのか?」
「うん。みんなでかたまってさ。わたしが最後だったんだけどね」
「そうか…」
「みんなどこだろ。もしやここにいるのってわたしたちだけな感じ?」
「どうだろうな… だが人の気配がしない。近くにはいないだろう」
「かな〜。ちょっとその辺歩いてみる?」


わたしの提案が採用されて、わたしたちは海沿いに歩いていくことになった。無計画に終わりが見えない花畑の中を歩くよりも海沿いに歩く方がなにか見つかる気がしたし、綺麗な花畑を歩くのは罪のない花を踏んでしまいそうで怖かったのでそう主張したらクラサメは優しく笑ってそうだなと言ってくれた。
砂浜を歩きながら、わたしは何となく、デートっぽいなあと思った。わたしが魔導院で考えてた初デートは、手を繋いで中庭を歩くことだったのだけれど。でもまあ砂浜は少し歩きにいけれど、クラサメと一緒なのが嬉しかったから全然気にならなかった。


「はー、それにしてもキレーなところだね。一回くらい来てみたかったんだよねこういうところ」
「…フッ」
「なに笑ってんの」「いや、前にお前が同じことを言ってたのを思い出してな」
「えっ、ほんと?」
「ああ」
「へー…わたしそんなこと言ってたんだねぇ。全然覚えてないや」
「…記憶は戻らないのか」
「え?」
「俺達が死んだなら、もうクリスタルの加護はないはずだ。記憶が戻ってきてもいいはずなんだが」
「あー確かに。なんでだろうね。もう根本的に記憶消されちゃって戻って来ないとか?」
「ああ…そうかもな」
「でもそれじゃちょいと寂しいなあ」


しばらく話しながらふたりで海沿いに歩いていった。無言の時もあったけれど、大抵なにか話していた。クラサメ隊長が死んだあとの朱雀とか、カヅサがクラサメ隊長が死んだのに気にして思いだそうと頑張ってたこととか、エミナ先生や0組の話とか。カヅサの話をしたらクラサメは少し驚いたようだったけど、笑っていたからきっと嬉しかったんだろうと思う。
歩き始めてどれくらい経っただろうか。時計がないから正確な時間はわからないけど、確実に数時間は歩いていると思う。そろそろ足が痛い。座れるとこないかな、と思って花畑の方に目を向けると、花畑の中になにか白いものがあるのに気づいて足を止めた。


「どうした?」
「いや、あれなにかなって思って」


わたしが指を指すとクラサメもそっちを向いた。遠くてはっきり断言は出来ないけど、わたしには白いベンチに見えた。


「なんかベンチっぽいね」
「行ってみるか」


クラサメ隊長が花畑に足を踏み入れたのでわたしも花を踏まないように気をつけながらそれに続いた。近づくと、それはやはりベンチなのだとわかった。白いベンチ。今まで花畑と海しかなかったから、新しく現れたそれがなんだか目にしみた。


「なんでベンチ?」
「さあな… 座るか?」
「え」
「足、痛いんだろう?」


わたしはぱちぱちと瞬きをしてから、へへっと笑ってお言葉に甘えた。よくわかったなあ。わたしは隊長も隣に座るように促して座らせた。ベンチに座ると、視界一面に花畑が写った。終わりのないそれにわたしは思わず感嘆の声をあげた。


「わー…すご。マジ花畑って感じ」
「終わりが見えないな」
「うん。びっくり」


わたしはうーんと体を伸ばした。ずっと歩いてたからふくらはぎとか特に痛い。今度は座ったせいか眠くなってきた。ふああとあくびをすると、隊長が眠いのか、と聞いてきた。


「んー、ちょっとだけ」
「眠いなら寝ろ」
「いや、大丈夫大丈夫。だってまた歩くんでしょ?」
「別に急いでるわけじゃないからな。寝てもいい。俺が見ててやる」
「ん、そっか。じゃあちょっと肩貸してくれると嬉しい」


と言ってわたしがクラサメ隊長の肩に寄り掛かると少し身じろいだが、何も言わなかった。それを良いことにわたしは目をつむった。


「おやすみ。隊長」
「…ああ。おやすみ」


ゆっくりと意識が薄らいでいく。眠るのにそんなに時間はかからなかった。