小説 | ナノ
名前とは僕が魔導院にきた時から仲が良かった。
魔導院に初めてやってきた時、僕たち0組は訓練生にもならずにいきなりやってきたものだから、なにかと魔導院の人達に怪訝な目で見られた。嫌味もまったく言われなかったとはいえず、そりゃまあ僕にだって嫌味のひとつやふたつ、言われたさ。魔導院のみんながみんな、そんな感じな中、ひとりだけ僕ら0組に普通に接してきた子がいた。それが名前だった。
いつだったか僕がテラスで教科書を落としてばらまいてしまった時、まわりの候補生や訓練生は訝しげな目で僕を見ているだけで、ばらまいてしまった教科書を拾おうともしてくれない。僕がひとりでさみしく教科書を拾っていたら、拾おうとした教科書を誰かに拾われた。びっくりして前を見ると、僕とそう変わらない歳の、黒髪の女の子が僕の教科書を何冊か渡してきた。


「はい。教科書」


にこりと笑ったその子に、僕が面食らったのは言うまでもない。













それが名前との出会いだった。わりと気も合うし、それからはお互いちょくちょく会うようになっていった。僕と付き合っているという噂が立ったが、名前はまったく気にしてないようだったので僕だけ意識するのもどうかと思ってあえてなにも言わなかった。僕たちは変わらなかった。
ただ変化といえば、たまに名前がちょっと変なことを言いはじめたくらいだ。


「ジャックー、ケイト知らない?」
「知らないよー。COMMで連絡とれば?」
「えーだめたよ。この前私用で使うなって言われたばっかじゃん。次使ったら補修とレポートの量倍にするって言われたし。わたしは勘弁だよ」
「え?」
「ほらあ、この前シンクと三人でリフレ言った時だよ。ナインをCOMMで呼ぼうとしたら怒られたじゃん」
「え?、ちょ、ちょっと待って。三人でいたのは覚えてるけど、怒られたっていったい誰に…?」
「誰ってクラサ―――」


すると名前ははっとして言葉を遮った。下を向いて、「…ごめん、なんでもない」と言うと、シンク探してくると教室を出ていってしまった。
こんなことが名前にはたびたびあった。僕はそのたびに首を傾げていたが、しばらくすると慣れてきてしまい僕はなにも言わなくなった。むしろ物忘れと笑い飛ばすほどだった。
だけど最近たびたび量が増えてきて、僕はまた首をかしげることになったいくらなんでもちょっとおかしいんじゃないかと心配した。だけど名前はなにも言ってくれなかった。
ある日名前とたまたま近くにいたトレイと三人で話してると、また名前が変なことを言った。名前はまたはっとして、僕の隣の席に広げておいた教科書やノートを持って行ってしまった。次の授業はサボりらしい。
僕はまたかと思い、特に気にしはしなかった。だけど授業中、トレイにつんつんと腕を突かれ、名前のことについて聞いてきた。


「名前って最近ああいうの多くないですか?」
「んー、確かにねぇ。でも別にたいしたことないしさあ、そんな気にすることじゃないんじゃない?」
「…まあ、そうですね」
















気がつくと授業は終わっていた。頬杖をついていたのにいつの間にか机に突っ伏して寝てしまっていたようで、教科書に涎のシミがついてしまっていた。まあどうせそんな使わないしいいっか。隣にトレイは既にいなかった。僕はあくびをひとつすると教科書を適当に片付ける。リフレにでも行こうかなと思っていると、見慣れないものが目に入った。


(あ… これ、名前のだ)


名前は書いてないが、その見慣れない緑のノートが名前のだとすぐにわかった。何度か名前がなにか書き込んでいたのを見たことがある。いつ紛れこんだんだろう――― 考えてから、おそらく名前が授業が始まる前に教科書とノートを持って行き忘れたのだとわかった。僕が名前のノートを手に取ると、ちょっと興味がわいてきた。ちょっとだけ、ちょっとだけなら大丈夫だよね。と、僕は表紙をめくった。一ページ目。

『サンダガパーリナイ。イコールサイスの日。なんたって今日はサンダガを使いまくりの日だから。わたしこれから日記書きます。わたしはわたしを忘れたくないから。今日はこれだけ』


一ページ目はそれだけ書いてあった。サンダガパーリナイ云々は置いといて、わたしを忘れたくないから?意味がわからない。死んだらみんなに忘れられるから?でも、名前はわたしはわたしを忘れたくないからと言ってるし、自分が死んだら忘れるもなにもないじゃないか。
首を傾げながら次のページをめくると、2ページ目からはフツーの日記だった。ただ名前らしい箇条書で、つらつらと今日あったことが書いてある。僕はページをめくっていった。最初はちょっとだけと思っていたのに僕は面白くて次々とページをめくっていった。
すると、ふとあるページが目に止まった。明らかにそこだけ他のページと違っていて、その文面を読んだ瞬間、僕はぞっとした。


(なんだ、これ…)




わたしはいきいていていいにんげんでしょうか

こわい わたしはホントウはここにいないはずの人間


そもそも私はにんげんなんでしょうかわたしはにんげんわたしはにんげんこのせかいと同じちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがう……



わたしがいなくてもこの せかいは まわっていく

このせかいのうんめいにはわたしははいっていない



異質を知りました。わたしはみんなとはちがうから、いなくなったみんなをしってる どうしても

くちにだしてしまう たいちょうはいいひとなのに

クリスタルはずるい みんなをけしさってしまう いいひとなのにみんなはわすれる


くるしい

このせかい のぞんできたはず わたしは

わたしのせいでしんでいく
わたしがこのせかいにきたせいでしんでいく
しななくてよかったひとがしんでいく わたしのせい
わたしをかばってしんでいく


せかいはかわってしまった

わたしがかえた




とりっぷ… なん…しなきゃ…かった
じゃく……なんて……わたしの……で…


いきるのが


つらいつらいつらいつらいつらいしにたいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいしぬつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらい…… … …



2ページにまでおよぶその文は、他の文は黒なのにそこだけ赤で書かれていてかなり目立っていて、大きさも形も配列もめちゃくちゃにで書かれていた。最初普通の大きさだった文字が、だんだん大きくなっていって、さらに文字が乱雑になっていた。途中からは解読不可になるほど歪んだ文字もあって読めない部分もあり、『つらい』とひたすらに書かれたところなどは、筆圧が強すぎて紙に破れ穴が空いてしまっていた。最後になにか書いてあるが、それも歪んでいて解読不可だった。
――――狂ってる。それが第一印象だった。僕は一瞬それを食い入るように見ていたが、はっとして日記を閉じた。
いったいなんなんだ?名前がこの世界にいることで、人が死ぬ?名前がいなくともここでは人は死んでいく。というかこの世界にきたっていったいなに?名前は他の世界からきたってこと?そんなばかな。わからないことばかりだ。かといって名前に直接意味を聞くのも気まずいような気がした。というか勇気が出ない。
僕は少し考えてから日記を机の下の端に隠した。これなら探さないと見つからないだろう。明日名前に会ってもなにも見てなかったことにして普通に接しよう。これでいい。僕は教科書を持つと教室を出た。0組の廊下は使う人が少ない。今も廊下を歩いているのは僕だけだった。すると、ふと耳元でピーッと音がなった。COMMだ。僕は出ようとして、思い止まった。任務以外の私用で連絡するようなやつは僕の知り合いに一人しかいない――― 僕は一瞬迷ったが、出ることにした。耳元に手をやってスイッチを入れる。サーッというノイズの後にプチッと軽く音がした。COMMが繋がった音だ。


「名前?」
『………』
「…名前?」
『………ジャック、わたしもう駄目だ…』
「へ?何言ってるの?」
『わ、わたし、知っちゃったの。びびビッグブリッジで、わたしを支援しようって、部隊、死んじゃったのみんな…!』
「ちょ、名前!?どうしたの?」


かなり錯乱してるようだ。言ってることもとぎれとぎれでよく聞き取れない。必死に声をかけても名前は聞こうとしないでひたすら泣きながらしゃべっている。


「ねぇ、どうしたの?なにがあったの?」
『わたしの、わたしのせい、わたしがいるから、こんなっ…!わたしがジャックに会いたかったせいで、ジャック、ジャック、会いたいよ……』
「名前いまどこ!?部屋?いま行くから、大丈夫だから」
『………』
「名前?」
『…ジャック、会えて嬉しかった。……ごめんなさい』


ブチッ。回線が切れた音がした。僕は嫌な予感がして走り出した。エントランスを出て、一目散に名前の部屋に行く。まわりにいた候補生たちが全速力で走る僕を見てギョッとしていたが、まったく僕は気にせず走った。名前、名前、どこだ…!名前の部屋に着いたが、名前はいなかった。「くそっ!」思わず開けたドアを殴って八つ当たりした。僕は脳をフル回転させて思い付くところを必死に探した。どこか、名前の行きそうなところ、どこだ、どこだ、どこだ…… 必死に探すけどまったく思い付かない。じゃあ名前は、名前はなにか言ってなかったか、思い出せ、思い出せ…

“わたしのせい、わたしがいるから、こんなっ…!”
“部隊が死んじゃったみんな!”
“ジャックに、会えてよかった”
“ジャックに会いたいよ…”

僕に会いたい…?
僕ははっとした。あってるかどうかわからない。だけど僕にはそれしか思い付かなかった。僕はまた走り出す。待ってて名前、もうすぐ行くよ…














夜空が綺麗だった。戦争中とはとても思えない。…泣き声がする。僕は名前の後ろ姿にほっと息をつきながら、そっと名前のところへと足を運んでいった。


「…やっぱり、ここだった」


名前は振り向いた。夜空の見えるテラスで、名前は泣いていた。
テラスは、僕と名前が初めて会ったところだ。皆が僕らを煙たがる中、唯一普通に接してくれた名前が、僕の教科書を拾ってくれた場所。僕が名前に近づくと、名前はびくっと震えて僕に怒鳴った。


「来ないで!」


思わず足を止めた。名前はテラスの手かけに登っていた。僕は冷や汗をかいた。一歩でも足をずらしたら、名前は下に真っ逆さまだ――!


「ま、待って名前、待って、それ以上――」
「来ないでってば!もうわたしダメなのっ!もう…だめなの…」
「…な、なにがダメなの?」
「だって、わたし、わたしっ…!ここにいちゃだめなの、ここにほんとはいない人なの!」
「なにがだめなの?名前はここにいるよ!いま僕の目の前にいるよ!」


名前はびくりとした。足が震えていて、今すぐにも落ちそうだ。僕はひやひやしたが、足を一歩踏み出した。


「僕、名前がなに思ってるのかも、どっから来たのかも知らない」
「……っ」
「でも、でも名前は、ここにいるよ。名前はここにいて、今僕と話してる。名前は、ほんとうはここにいない人なのかもしれないけど、でも、名前は今ここにいるじゃないか!僕は名前を知ってる!僕の目の前で息して、しゃべってる!」


一歩一歩、ゆっくりっ名前に近づく。名前は震えていて今にも落ちてしまいそうだ。


「名前、知ってた?」


名前は僕ら0組に分け隔てなく接してくれた。僕は名前に初めて会った時のことを忘れない。名前は、優しくて、楽しくて、僕は名前が大好きで。
たとえ他の世界の人間だって良い。名前は名前だ。それ以上でもそれ以下でもない。名前は本当はいない人間だったとしても、名前は今僕の目の前で存在して、生きて、泣いている。


「僕には名前が必要なんだよ…」


いつの間にか僕は名前の前に立っていた。僕が名前を見上げると、大きく見開かれた黒の瞳と目があった。名前の震えていた足がガクリと力が抜けた。その瞬間に、僕の方へ倒れ込んできた。僕は両手を開いて名前を受け止めた。倒れそうになるのを必死に堪えて、名前をぎゅっと抱きしめた。すると耳元で、囁くように名前が言った。


「…わたし、生きててもいいの…?」
「生きててよ」
「…でもわたしがいるから、死ぬ人が…」
「名前、知らなかったみたいだけど……名前を支援しようとしてたあの部隊、みんな致命傷を負ってたんだ」
「え…?」
「だからどうせ死ぬなら朱雀のために死ぬって、名前や僕たちの盾になってくれたんだよ。名前のCOMM、あの時壊れてたから聞こえなかったんだ」
「……そ、それじゃあ…わたし…」
「うん。名前のせいじゃないよ。…もしあの部隊が致命傷を負っていなくて死んだって、名前のせいなんかじゃない」
「でも、わたし、本当はいない人間だから…」
「名前はここにいるじゃん。本当はいなくても、名前は今、本当にここにいる」
「………うん」


名前は僕の腕の中でまた泣きはじめた。耳元で名前の嗚咽が響く。僕は名前を強く抱きしめて、そっと言った。


「おかえり、名前」
「…ただいま」





アナザーワールド/ジャック
20111124