恋枯らし | ナノ
ありえない、と、私は瞬間的に思った。だけどそう思っていても、現実では"有り得て"いた。私は沸き上がる気持ちを隠せずにいた。ただこの気持ちが何なのかはわからない。嫉妬か、焦燥か。ただこの感情を色に例えればそれは真っ黒だ。希望なんて簡単に塗り潰せる、真っ黒な感情。そう、例えば、絶望、みたいな。


「っ…てっ…てめぇええええええええ!!」


気がついたらすぐ隣にいた不動が叫んで駆け出していた。「まっ、不動…っ」不動は私の制止の声なんて無視して幸次郎に殴りかかった。鈍い音と共に、幸次郎の身体は地面に倒れた。いきなりのことに理解できず、殴られた頬をおさえて唖然とする幸次郎の顔。私が何も出来ずにいると、幸次郎と目があった。幸次郎の目が、さらに大きく開かれる。驚愕の表情。私はただ怖くて、立ち尽くすことしか出来ないでいた。すると、不動がさらに殴ろうと幸次郎に近づいた。私は何も出来なかった。


「駄目ーっ!!」


小さな身体が、不動に飛び掛かった。小柄で非力な女の子。振り払うのは簡単なのだろうが、さすがの不動も振り払うのに躊躇したようだ。不動が隙を見せた瞬間に彼女は幸次郎を庇うように抱き着いた。私はどうしようも出来ない。ただ目の前で繰り広げられていくものを、見ているしか出来なかった。


「どけ!そいつを殴らせろ!」
「いや!源田くんは悪くない!悪いのは私だもん!」
「ふざけんな!そんな奴守る価値もない!離れろ!」


不動は無理矢理彼女を幸次郎から引きはがすと、幸次郎に跨がって服を乱暴に掴んだ。「やめて!殴らないで!」「うるせえ!てめぇは黙ってろ!」彼女は必死に不動を幸次郎から引きはがそうとしたが、不動はびくともしない。不動は怒りに満ちた顔で幸次郎を睨んでいる。幸次郎は、情けない顔で下を向いていた。


「おい。あいつは誰だ」
「……」
「答えろよ」
「……」
「てめぇが桃原を守るっつったんだろ!てめぇが桃原を、大切にするって言ったから、俺は…!」


不動は殴ろうと拳を挙げた。「だめ!」彼女が必死に止めようとする。だが、不動は拳を中途半端に宙に浮かしたまま止まっていた。すると、殴ろうとした拳を下げた。不動は何も言わずに何かを堪えているようだった。


「こんな奴…殴る価値もない…」
「……」
「桃原」


急に名前を呼ばれて、私はびくっとした。不動は怒鳴りつけるように言った。


「お前はいいのかよ!」
「……」
「こんなんでいいのかよ!お前は、これでいいのかよ!」
「……」
「なんとか言えよ…馬鹿野郎…!」


私はすぐには返事が出来なかった。急に涙が出てきたから。今更、幸次郎が何をしていたのかが理解出来たみたいだ。ショックが私を襲った。私は急に悲しくなって、泣き始めてしまった。泣きながら、私は口を開いた。


「もう…いい」
「…桃原」
「もう知らない……もう、いい…」


顔も見たくない。私がそう呟くと、不動は乱暴に幸次郎の服から手を離して立ち上がった。そして泣いている私の手を掴むと、「…行くぞ」私の手をひいて歩き始めた。私はただ泣いて不動についていくことしか出来なくて、泣きながら歩いた。繋いでくれた不動の手が、とても温かく、頼もしく感じた。
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