水葬 | ナノ






30XX年―――…

世界は崩壊の危機に瀕していた。青く果てなかった空はどす黒い雲に覆われ、花や草木は既に死に絶えた。建物は腐敗し、住む場所もなくなった人間たちはそのまま路上で朽ち果てる。そんな目も当てられないような光景に、人間たちは皮肉にも馴れてしまっていた。空気中を毒のような有害物質が飛び交い、人々は防護マスクが無ければ生活すら出来なくなった。全てのものが、希望を失い絶望の淵を彷徨っていた。

しかし、そんな時代にも、まだ緑があった頃と同じような、愛と呼ぶものは存在していた。むしろ、それがあったから人々は生きながらえていたと言ってもいい。崩れかけた廃屋の中でも、2人の男女がいて、彼らの手と手は固く結ばれていた。

「…たぶんここも、もうすぐ堕ちる。その前に移動するぞ」
「うん、」

マスクのゴーグル越しに、不安そうな女の瞳が垣間見えた。男は困ったような素振りを見せる。こんなマスクをしていては、口付けはおろか頭を撫でることもできない。小さく笑った男は、そっと女を抱きしめた。ぬくもりが伝わることはない、だがしかし、そこには確かに優しい愛情が詰まっていた。腕の力を強めた男は女を安心させるように何度も何度もゆっくりと彼女の背中を叩いた。囁きかける仕草も、その声も、すべてが女を愛していた。

「大丈夫、ずっと一緒だ」
「うん、っ…ずっと、」

しばらく抱き合ったまま2人は動かない。まだ生きる希望は消えていなかった、人間たちは生きたいと願っていた。たとえその先の未来にどんな苦悩が待ち受けていようとも、ただ傍にあるぬくもりだけをひたすら握りしめてもがいていた。彼らも、毎日を懸命に過ごしていたのだ。この2人が出会い、どちらかが欠けることなくこれまで生き延びてくることが出来たのは正しく運命というものである。しかし運命とは時に残酷なもので、ただ生きたいと祈るだけの無垢な2人にも、着々と黒い陰は迫っていた。


―――――……


「るい…るい…」
「大丈夫…大丈夫よ、小さなかすり傷だから」
「死にたくない…いやだ…!」
「死なない!…死なない、から!ずっと一緒って約束したじゃない」

女を庇って怪我を負った男は、ひどく怯えながら女に縋った。たとえ小さなかすり傷であったとしても不衛生で薬さえない今、致命傷になるとも限らないからだ。男をこんなにも乱しているのは紛れもない死への恐怖。男も女も、泣いていた。人は窮地に追い込まれるとどうしても自己防衛を率先してしまうような弱い生き物、死の恐怖、孤独のまま死にゆく恐ろしさを前にして平静を保っていられる人間など存在しない、だんだんと弱ってゆく男もまた然り。その恐怖に飲み込まれた者は、ただ過ちを正義であると見なし、愛を失い虚無をつかむのだ。そして男は腕から滴る血などに構わず女に触れた。

「え…?」
「…るい」

戸惑い、そして恐怖。女は夢にも思わなかっただろう、そんな感情を男から与えられる時がくるなんて。男はただ、死の恐怖と孤独への悲哀に突き動かされているだけだった、しかしその瞳に光はなくただ女を見つめている。それは滑稽な自己愛なのか、それとも悲惨に歪んだ愛情なのか。女はそれを理解できないけれど、ひとつだけ確かなことと言えば、男の手は自分の首に回されていて、このままでは自分の生が終わりを告げてしまうと言うことである。

「や、…ぅ…」
「るい、俺を独りにしないでくれ…」

女はもがくが、所詮無意味な抵抗だった。意識が遠退いてゆく中で女の視界は歪む。頬を零れる雫が地面に落ちたとき、男は自らの指にさらなる力を込めてしまった。


「は、るや…」


女の小さく囁かれた言葉は、何よりも誰よりも愛しい男の名。男に届くことはなかったけれど。

水没する



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