青砥 | ナノ




縁側に腰掛けて、まるで老人のようにお茶をすする。昨日色んな事がありすぎたせいで疲れていたのだろう、気を使った母親が起こすのを止めたせいで昼近くまで寝こけてしまった。今日はゆっくりしてなさいと念を押され、こうして何をするでもなく外の景色を眺めている。長い船旅で同じく疲れのたまっていた三兄弟も今日は随分のんびりと起床したらしい。書店へ出かけた竜持くんを除き、今は凰壮くんと虎太くんが両脇で同時に欠伸をした。ちなみに、おそらく一番疲労の激しい子供は未だ目覚める気配がない。

「流石の竜持でも、異国語で完璧に話すのは無理だよなぁ。…いや、あいつならいつかは使いこなしそうだけど、でもやっぱりすぐには無茶だ」
「うん…でもこのままじゃあの子も混乱したままだよね」

今話すことと言えば、やっぱり子供のことだ。昨日、眉をひそめながら何か言葉を発していた子供は、面白がってちょっかいをかけてくる虎太くんに抗議でもしているようだったが、やっぱり言葉の意味はわからなかった。そして同時に、やっぱりこちらの言うことも子供は理解出来ないのだ。これから共に生活することになるというのに、私たちはあの子のことを何も知らない。屋敷内で同じく“子供”という部類に属しているのは私と三兄弟だけだから、必然的に多くの時間を共有することになる。それなのに、私たちはお互いの名前すら知らないのだ。意志疎通以前の問題だ。せめて竜持くんが購入してくる語学書に、名前の訪ね方のひとつやふたつ載っていれば良いのだが、付け焼き刃でどこまで通用するのだろう。いつまでも、呼び方が子供とかあの子とかのままではやっていけない。いっそ自分たちで名付けるか、と凰壮くんが投げやりなことを言い出した。

「それだとあの子がびっくりしちゃうんじゃない?急に知らない名前で呼ばれることになるわけだし…」
「そこはほら、身振り手振りで何とかさ…しかも本当の名前がわかったとしても異国語だぜ?まいけるとかあれっくすとか呼びにくくねえ?」
「そりゃあ…違和感はあるかもしれないけど…」

私の知り合いには、異国系の人間が少数名いる。この地について色々な研究をするためだったり、政府に異国の技術を伝授するためだったり、移住している理由は様々だが、その人たちはほぼ全員が本来の名を捨て和風の名前を名乗っている。中には最初から和風の名前がついている人までいる。確かに異国の名前というのは、大半が私たちにとっては聞き慣れず発音も難しいのだ。毎日のように繰り返される名前だから、尚更それは障害になりうるのだろう。ある人は、その地に住む人々と少しでも距離を縮めるために、名を変えるのが第一歩だったと言っていた。自分や家族が本来の名を忘れなければ、それで良いのだと笑っていた。万人がその考えを持っているかはわからないが、子供が承諾するのであれば、確かに和風の名前の方が呼びやすいかもしれないと思う。ひとり悶々と考えていると、凰壮くんが黙ったままの虎太くんに、子供の名前は何がいいか尋ねた。何だか楽しそうだ。数拍の間をおいて、虎太くんはゆっくりと口を開いた。


「青砥」


あおと。それは鍛冶人が刀などを研ぐときに使われる砥石の一種で、青色の美しい石を指す言葉だ。鍛冶屋の息子ならではの発想である。きっと、子供の瞳が青いからという理由なのだろうが、その名前は妙にしっくりきた。名前というのが、親から子に与えられる最初の贈り物だというのはよく聞く話だけど、この場合はどうなるのだろう。名前を呼ぶということは、その人が確かにそこにいることを認知している証だ。言わば、名前は存在の証明と同義なのだと思う。そんな重大なものを、赤の他人である私たちが彼に押し付けてしまうのは忍びないようにも感じる。でも、子供が目を覚ましたら、一度身振り手振りで出来る限り伝えてみようか。私たちの新しい家族となる君に、大切な贈り物をあげたいんだって。新しい生活を始める彼に、少しでも歩み寄りたいと思う。名前は青砥でほぼ決まりだなんて話してる凰壮くんと虎太くんを見ながら笑っていると、竜持くんが帰ってきた。

「へえ、青砥ですか。良いんじゃないですか。聞き慣れない異国語より断然しっくりきます」

竜持くんも考えは同じみたいで、早速旦那様たちに伝えようとまで言い出している。それからもうひとつ。いくつか語学書を漁ってきたものの、うまく操れるようになるのはやはり時間がかかりそうだと言う。広げられたら異国語の本は、最近見よう見まねで読み書きが出来るようになった私には到底理解できそうもなかった。そもそも三兄弟とは頭の出来も教養環境も違うのだから当たり前だけれど、これではどうしようもないと眼を伏せる。すると、眉間にしわが寄っていたらしい、竜持くんに人差し指で額をつつかれた。僕にもお手上げです、と言いつつも、顔は笑っている。

「内輪事なので遠慮しようと思ってたんですけど、仕方ないので手助けしてもらいましょう」


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