青砥 | ナノ




これはちょっと不味いかもしれない。そう思ったのは、最後の洗濯物を干し終えた後だった。さっきまでそうでもなかったのに、いつの間にか雲行きが怪しい。今までの苦労を自ら水の泡にするのかとため息をつきたくなったが、そう言えば朝食の用意を手伝うようにとも言われていたのを思い出す。今から取り込んでいたら確実に間に合わないだろう。悩んだものの、幸い今日の洗濯物は直ぐに必要になるものではないし、干してしまったものは仕方がないのでそのまま放置することにした。いよいよ降り出したら取り込めば良いだろう。

「遅いぞ、るり」

廊下で膳を運んでいる父さんに会った。忙しそうだ。小走りで厨房に向かうと母さんがお椀を運ぼうとしていたのでそれに倣う。降矢の家では、大勢で食卓を囲むと飯が美味くなるというのは本当なのか、という旦那様の探求心に伴い昔から雇われている身分の者たちも揃って朝食をとることになっている。それが本当なのかどうかはさて置き、実際最近の朝食はどこか味気ない。それが何故かと聞かれると、きっと答えはひとつだ。

「旦那様たちが帰ってこられるのは今日で間違いないわよね?」
「うん。待ち遠しいね」

数月前から、旦那様と息子の三兄弟が家を空けているのである。異国の地へ最新の鉄砲という武具について視察に赴いているのだ。本業は刀鍛冶であるものの、同じ鉄から作る武器に興味もあるし、近年需要も増えているため詳しく学んでおくのも良いだろうという考えらしいが、息子を連れ立っていくのはひとりじゃ寂しいからだと旦那様は笑っていた。旦那様の人柄を家の者は好いているし、私もそんな旦那様にお仕え出来るのをうれしく思う。たが、幼い頃から共に過ごしてきた歳の近い兄弟分を連れて行くと言い出したときには自分の身分を呪ったものだ。しかしそれも今日で終わり。昼には到着するらしい船を待てば、また以前と同じ賑やかさが戻ってくるのだから。

きっと皆同じ気持ちなのだろう。今日の朝食は最近では一番笑いが溢れたし、奥様なんか終始頬が緩んでいらっしゃる。早く早くと日が天上に登るを待ってから、早々と店仕舞いを済ませ港へ向かう。

「あ、いけない!」
「どうしたの?」
「甘味処のハルちゃんに渡そうと思ってた簪を忘れてしまったわ…」

港へ向かうその途中、不意に母さんが慌てた声を出した。甘味処というと港の近くの割と人気の老舗で、そこの女将さんと母さんは仲が良い。簪と言うのは、少し前に母さんが市場で買ってきて、部屋の箪笥の引き出しに丁寧に仕舞っていたあの飴細工の美しい簪のことだろう。私はよくその甘味処に足を運ぶものの、母さんは仕事が忙しくてめったに行くことが出来ない。必ずしも今日でなければいけないと言うこともないが今引き返しても十分出迎えには間に合うということで、若くてそれなりに足も速い私が引き返すことをかって出た。実はその簪を触ってみたかったというのが本当の理由だが、口には出さず足早に来た道を戻る。



「おい、見つかったか?」
「いや…どこに行きやがったんだ」
「向こうも探すぞ。不法入国なんて、上にばれたら大変だ…早めに見つけ出して手を打たないと…」

途中、鬼のような形相の役人たちの野太い声が耳に入る、不穏な空気に少しだけ寒気を覚えた。こういうときは、さっさとこの場を離れた方が良い。下手に気にしていたら目を付けられてしまうかもしれない。私は足早に、近道の細い路地へと走った。狭いけれど、昼間ならばそれなりに人通りもある便利な路地だ。そのまま家屋の角を右へ曲がる。

「きゃっ」

急いで走り抜けようとしたのがいけなかったのか。否、相手もそれなりに急いでいたのだろう。角を曲がった瞬間、誰かと勢いよくぶつかった。尻餅をついたまま顔をあげると、そこにいたのは私より幾らか幼く見える子供。

思わず息をのむ。同じように尻餅をついたまま固まっている子供の瞳は、美しい青色だった。薄汚れた茶色の麻布を纏っているが、その手や肌は雪のように白い。髪の毛も金色だ。小さく震えているその子供は、十中八九、異国の血。

「この辺りにいるのは確かだ、もっとよく探せ!」

近くで先程の役人の声が聞こえた。子供はその声に合わせて、おそらく異国語だろう、何か言葉を発している。頭が動揺しているが、確信した。役人たちが探していたのは、きっとこの子なのだ。

私は咄嗟に、その子の手を引いて走り出していた。


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