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「俺、サッカーやめるよ」

少し遠くにある線路を、電車が走っている音がする。風が木々を揺らしている音がする。リフティングをしていた青砥は、いつものポーカーフェイスを崩して、珍しく目を見開いた。ボールが青砥の足から離れて、俺の足元に転がる。拾い上げて、素手でその感触を味わった。もう何年も掴んで、弾いて、叩いて、投げてきた。サッカーは楽しい、けれどそれと同じくらい難しかったり複雑だったりする。ルールもそうだし、練習だけでは補えない技術が沢山あるし、チームメイトとの関係によって出来たり出来なかったりするプレーもあるし、奥が深くて面倒くさい。ただ、俺のサッカーは、たぶん、普通のサッカーより少しだけ単純だったと思うよ。俺がやってきたサッカーを構成する要素はたった三つだけだ。そびえ立つ白い四角と、勢いよく飛び回る白い球体、そして、ずっとずっと前方を駆け回る小さい背中。それが、俺のサッカーの全てだ。

「ずっと考えてたんだ。たぶん、俺にはもう無理なんだよ」

サッカーを始めた頃は、右も左もわからなくておどおどするばかりだった。ちょっと出来るようになってからも、やっぱり思い通りにはいかなくて、周りより背が高いだけで何も出来ない自分に嫌気がさしたことだってあった。それでも続けて来れたのは、一様にチームの皆のおかげだったり、コーチのおかげだったり、家族のおかげだったりするのだろう。でも、やっぱりサッカーをやる意義と聞かれて、一番に思い浮かんでしまうのが、青砥なんだよな。青砥と一緒にやるのが、俺のサッカーなんだよな。そこまで考えて、別に楽しいわけでも嬉しいわけでもないのに、何故か笑顔を作ってしまった。苦笑というやつだ。

「…なんで」
「ごめんな」

青砥は天才だ。それに努力も惜しまない。こわいくらいだ。だから惹かれたんだ。ずっとずっと青砥と一緒に、勝ったときの喜びとか、負けたときの辛さとか、ずっとずっと共有していけたら、きっとそれが一番幸せなんだろう。でも、たぶん、青砥はもっともっと上に行く。俺には決して辿り着けないところに行ってしまう。青砥がそこに立つまでに、もし俺の限界が来てしまったら、青砥はきっと振り返って、立ち止まってしまうんだろう。俺は、青砥の重荷にはなりたくないんだ。だから、早いうちから身を引こうって。青砥が迷わないように、サッカーを手放すんだ。

「…なんで」
「れ、練習にはもう行かないけど、試合とかあるんなら応援行くし、たまになら自主練にもつき合うからさ、だから」
「タギー、なんで」

こういうときの、真っ直ぐ見てくる青砥の目は、ちょっと苦手だ。自分の中に、何かとてつもなく後ろめたい思いがあるときの。いくら心の中で色々呟いても、それを口には出せないんだ。だって全部嘘から。青砥のため、なんて、ただの言い訳なんだ。本当は、青砥と肩を並べられない弱い自分が嫌なだけだ。青砥が憧れのピッチに立っている姿は容易にイメージできるのに、どうしても、その隣に自分を見いだせない。それが苦しいんだ。受け止めたくなくて、逃げたいんだ。

「ごめん、青砥」

青砥は理由を聞きたがっていた。でも、言えるはずないじゃないか。こんな最低なこと考えてるんだ。青砥を素直に応援したい気持ちと、青砥の隣に立てない自分への憤りがごっちゃになって、泣きそうになる。俺は、走ってその場を離れた。青砥は追いかけてこなかった。

次の日、スクールのエントランスで青砥を見た。目があって、青砥は口を開いて何か言おうとしてたみたいだけど、俺はまた、走って青砥から逃げた。エントランスを通らないように遠回りして教室へと走り込む。心臓がバクバクと鳴って痛いけど、きっとこれは、走って疲れたってだけじゃないんだろう。その日一日、俺は青砥を避けていた。クラスの奴らが、いつも一緒にいるのにどうしたんだと心配してくれたが、俺は理由を言えるはずもなくて、曖昧に笑うだけだった。

「多義、青砥が来てるぞ」

クラスの友人がそう言ってきたのは、ホームルームも終わった放課後のことだった。早く帰ろうと手早く荷物をまとめていた俺よりも、青砥の方が一歩早かったらしい。教室の入り口に突っ立って、じっとこちらを見ている。俺がたじろいだら、ゆっくりとこちらに歩いてきた。逃げようと思った、朝みたいに逆方向へ、遠回りして。青砥はきっと追いかけてこない。俺が本気で拒めば、青砥は身を引くだろう。そういう奴だ。そういう奴だと思っていた。

「タギー、待って」

バックを持って踵を返そうとした俺の腕を、青砥が掴んだ。身体の小さい青砥が、サッカー以外で俺より速いなんて初めてじゃないだろうか。思ったより力強く引っ張られてビックリする。また、あの瞳が俺を射抜いた。きれいだ。だけど今は、その真っ直ぐな視線が苦しい。俺は何を言えばいいのかわからなくて、今すごく変な顔してるんじゃないかな。いつも一緒にいる俺たちが、こんな風にギスギスしているから、クラスの皆も何事かとざわつき始めた。ああもう、どうしよう。そんなことを思いながら俯くと、黙っていた青砥が口を開いた。

「タギー、自主練」
「え?」
「自主練なら付き合うって、昨日」

確かに言ったなとぼんやり考える。でも青砥、怒ってるんじゃないのか。俺が理由も言わずにサッカーを止めるなんて言い出したから、問いただしに来たんじゃないのか。わけがわからなくてしどろもどろになっていると、青砥は俺の腕を掴んだままズンズン歩き出した。半ば強引にスクールから連れ出されて、無言のまま青砥の少し後ろをついて行く。向かった先は、昨日と同じ河川敷の練習場だ。グローブは、バックから出し忘れていてそのまま入っていた。青砥が、昨日のこと何て忘れてしまったとでも言うようにシュートをし出すから、俺もつられてゴールに立った。いつも通りの自主練だ。青砥が蹴ったボールに合わせて、右へ左へ、上にも斜めにも飛び込んで食らいつく。いつも通りだ。だけど、いつもより青砥の蹴るボールが重い気がした。

「青砥、怒ってるか」
「なんで」
「俺が、理由も言わないでサッカー止めるなんて言ったから」

最後のボールを蹴って、いつものように青砥が仰向けに倒れる。今日は俺も、青砥の隣に寝ころんでみた。何だかそんな気分だ。体を動かしたからか、もやもやと悩んでいたのがスッキリした。気になっていたことを率直に聞いてみると、別に言いたくないならいい、との返事。ちょっと拗ねてるみたいだ。一瞬話そうかと迷ったけど、やっぱり止めた。話したって青砥を困らせるだけだし、青砥は青砥なりに俺の決断を受け入れてくれたんだと思う。だから自主練に誘ったんだ。チームとして一緒にプレーすることは出来なくても、こうやって一緒にサッカーをすることはいつだって出来るんだから。オレンジとグレーに染まっている空を眺めながら、ぼんやりしていると、俺が思っていたのと同じことを青砥が言った。チームを抜けても、一緒にサッカーするのはいつでも出来る。俺も同じこと思ってた。そう言って笑うと、珍しく青砥も笑った。俺のサッカーは、たった三つの要素で構成されている。ゴールがあって、ボールがあって、青砥がいる。青砥がシュートして、俺がボールを受ける。今は、それだけで十分だと思うんだ。

守る正義が欲しい / 20120517

安定の不完全燃焼であります…何の解決にもなってないけどタギーと一緒だと青砥よく喋るね。



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