日直というのは大変面倒な仕事だと思う。なぜ先生が書き殴った文字を生徒がいちいち消さねばならないのだろうか、自分で消していけばいいじゃないか。まあここで愚痴をいっても仕方がないわけではあるので、早く終わらせてとっとと帰ろうと私は誰もいない夕方の教室に残り1人で黒板消しを手にとった。
(あれ…)
そういえば確か日直は2人1組ではなかっただろうか。そう思って後ろの連絡用のボードを見に行くと、そこには案の定自分の名前とその隣にもう1人、仲がいいというわけでもないが多少会話は交わす程度のクラスメイトの名前があった。
(涼野か。確か…サッカー部だっけ、絶対日直ってこと忘れてるよなあ)
もとより面倒事を嫌うタイプの奴だ。もしかしたら或いは知らんふりをしているという可能性もないとはいえない。全く、とんだ奴と日直になってしまったものだ。つくづく今日はついてない。
窓の外からグラウンドを見渡すと、正にサッカー部が練習をしているところのようでその中に涼野のあの目立つ銀髪も見つけた。日直のことなんて全く頭にないかのような清々しい表情でボールを追いかけている。否、確実に忘れているのだろう。全くいい気なものだ。
「最悪…」
ぽそりと呟いた悪態は誰もいない教室に予想外のトーンで響いた。この続きは明日、思いっきりアイツの耳元で叫んでやろうと誓って黒板を消す作業を再開する。そして私はホイッスルが鳴り響いたと同時にその作業を終え、教室を出た。
「あ、」
帰路に就こうと足早に歩いていた私は、グラウンドのすぐ脇にある水道に差し掛かった。偶然か必然か、そこにいたのはさっきまでグラウンドを走っていた涼野だ。顔を洗っていたようで、前髪に少しだけ滴を残してタオルを首にかけ直している。まさか会うとは思っていなかったので素っ頓狂な声が出てしまった、それに気づいた涼野は特に気にする様子もなく目をぱちぱちさせている。
「なんだ、夢野か」
「なんだって何よ」
「別に…とゆうか、まだ残っていたのか?」
「ええ、今日は大事な日直の仕事がありましたからね。誰かさんは忘れてたみたいだけど!」
ムカついた、大いにムカついた。てめえが忘れてなきゃもっと早くに帰れたんだよ!と言わなかっただけ自分を誉めたい。涼野は私の吐き捨てるような台詞を聞いて一瞬だけ訳の分からない顔をした後、気の抜けたように、あ、とだけ言った。
「忘れてた」
「別にいいよ、じゃ」
ああもう、本当イライラする。どうしてこう、素直に謝罪の言葉が出ないんだ。全くもって失礼ではないだろうか。そしてあろうことか涼野は早く帰りたくて再び歩き出した私の腕を掴んできた。
「な、何…」
「動くな、」
「っえ、え?」
「…頭に粉が乗ってる」
粉、というとさっき黒板を消したときにでもついてしまったのだろうか。涼野の手のひらが私の頭の上で撫でるように行き来する。握られたままの腕と撫でられた頭が少し熱い。予想外にその手つきが優しかったので、何となく照れくさかった。
「…ありがと」
「…いや」
やっと離れた手が、少しだけ寂しいなんて思ったのはきっと気のせいだろう。当の涼野はというと若干気まずそうに銀色の髪の毛を撫でつけて、グラウンドの方を顧みた。そして考えるそぶりを見せた後また私に向き直ってこう言ったのだ。
「もう部活終わるから、ちょっと待ってろ」
「は?」
「…家まで送るから」
「え、」
「その…悪かったな」
一言だけ小さくそう言った涼野は、首にかけていたタオルを私の顔に投げつけて、そのままグラウンドへと走っていった。ちらついた涼野の顔が少しだけ赤かったように見えたのは、きっと赤い夕日のせいなのだろう。
そんな馬鹿な! / 20100202