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「…この間さ、あのバダップ・スリードに負かされたんだってね」
「は?」
「ディベート」

この女は、人が気にしていることを抜け抜けと言ってくれる。チェスの駒が幾つか床に散らばった。動揺しすぎ、と悪戯に笑う顔がひどく勘に障ったが今更怒る気にもなれなかった。季結の言う噂通り、確かに完敗だったのだから返す言葉もない。いっそ悔しいとさえ思わなかった。思いたくもなかった。悔しがったところで所詮負け犬の遠吠え、適うはずのない相手に喧嘩を売っても惨めになるのは目に見えているのだから。

「…なによ、あんた」

特に反応しない俺が面白くなかったのか、妙に荒い駒の使い方をしてきた季結はふてくされたように悪態をついた。あくまで冷静を保つ俺は、しびれを切らした季結の隙をついて相手の陣内へ斬り込んで行く。

「チェックメイト、お前の負けだ」
「……」
「勝てない奴を相手に自棄起こすなんて、戦場じゃ命取りになるだけだぜ」
「……」

黙り込んだ季結にため息を1つ落として、さっさとチェス盤を片づけ始めることにする。別に苛めた訳じゃない。俺と季結は、どこか似てるから、忠告したんだ、傷つかないように。俺と季結は性別の差がある分、実力的にも天と地ほど違うから、季結自身が、バダップのような化物並みの奴を相手にすることはまずないだろう。だがそれでも、屈辱なんてコイツには似合わないから、俺の二の舞になって欲しくないんだ。

「…じゃない」
「あ?」

小さな呟きに目を向けると、季結は瞳いっぱいに涙を溜めていた。ぎょっとして駒を落としそうになる。俺がどうしたと問えば、必死にこらえていたであろう涙は溢れ出て止まらなくなるけれど、それを拭おうとする俺の手は動こうとしなかった。代わりに、季結の声が、俺の中の色んなものを揺さぶった。

「それでも、悔しいじゃない!」

別に季結が負けた訳じゃないのに、泣きたいのは俺の方であるはずなのに、悔しいと叫ぶ季結を見ると、何だか可笑しくて、気が抜けてしまった。何でお前が泣くんだよとか、ディベート参加権もないくせにとか、悪口を全部全部呑み込んで、俺は季結を抱きしめた。チェスが床に散らばる。泣きじゃくる季結には悪いが、俺のために泣いてくれるのが、素直に嬉しかった。愛しかった。

「ありがとな」

いつかきっと、バダップにだって勝ってやるよ、と、季結にしか聞こえないようにそっと囁いた。

アテナの涙 / 20110307


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