徒花 | ナノ





木野秋が夕食が出来たと部屋に俺を呼びにきたのは、夜が訪れて、少し肌寒さを感じ始めていたときだった。通された部屋に並んだ夕食は、どことなく品のある美味しそうな料理ばかりである。部屋には既に雷門夏未と円堂守、染岡竜吾。それと、初めて見る男が1人端の方に座っていた。此奴は一体誰だろうか。雷門家の養子は3人、そして雷門夏未に実の兄弟はいないはず。親戚か何かだろうか。このような食事の席に、雇われている人間が座るはずもないし、まるで見当がつかなかった。色々と考えを巡らせながらも当然のごとく円堂守の隣に腰を下ろすと、木野秋はその向かい側に座った。
「ゆっくり休めたか?」
慣れないところは疲れも溜まりやすいからなと心配そうに聞いてくる円堂守は、寛大で優しい、噂通りの人物だ。大丈夫だという旨の返事をすると、人懐っこい笑みを浮かべる。
「ああ、そういえばまだ彼を紹介していなかったわよね」
不意に雷門夏未から話を振られ、反射的に例の男の方を見ると目があった。精悍な顔立ちと逆立った白銀の髪を持つその男は、少しだけ目を細めると簡単な挨拶を口にした。豪炎寺修也、雷門家の人間の護衛を任されている人物で、円堂守や染岡竜吾の友人だそうだ。大方円堂守辺りに一緒に食事をしようと言われたのだろう。成る程、不自然でない程度に端の方へ身を寄せているのは、立場をわきまえているということか。丁寧に挨拶を仕返して愛想笑いをしておいた。そして、始まった夕食は何だか賑やかで、懐かしい気持ちがした。
「そういえば円堂くん、結び名はもう考えついたの?」
「えっ」
何の前触れもなく木野秋が言い放った言葉に、大きく動揺した円堂守は手にしていた箸を落としそうになった。ああそういえば、そのようなものを授かるのだったなと特に興味も湧かない俺に対し、円堂守は思い悩んだ顔をして頭をかいた。つまり、まだ考えついていないのだろう。気だての良い奴だから、配偶者となる俺が生涯使い続けることになる名前を自分が与えるということに責任を感じているのだろう。真摯に考えてくれるのは素直にありがたいと思うが、やはり決まらないままでは此方としても困ると言うものである。
「どんな名でも構いませんよ。円堂さんが呼びやすいものをいただければ、私はそれだけで嬉しいです」
俺は出来る限り柔らかい口調を意識して、事務的に教えられた例文をさらりと朗読した。どうせ今の自分自身でさえも偽りなのだ。今更呼び名が変わったところで何ら不便ない。むしろこのまま名を思いつかず、生来の名を結び名にしたいとでも言われた方が厄介だ。本来実名を結び名とすることはあまり良くないとされているが、強制というわけでもない。俺の名前は風丸一郎太。男としてつけられた俺の名を名乗ることなど出来るはずもない。しかし、そんな俺の危惧を、悉くこの男は当ててくれるのだった。
「俺は、本名を結び名にしたいんだ」
「え?円堂くん、それは…」
「良くないって言うのはわかってる。でもやっぱり、御両親からもらった名前って大事だと思うんだ。死ぬまで大切にしなきゃいけないものだと思うから、出来ればと思ってさ」
その場にいた全員の視線が俺に集まった。円堂守の意見には、きっと以前の俺なら深く共感していたことだろう。けれど今は状況も心境も違う。例え自分の意志を違えてでも、俺は円堂守の考えを否定しなければならない。自分の一族の繁栄ために、己の命を守るために。
「…私は、この家に生涯尽くすために、新しい自分となるために、全てを棄てました。お心遣いには感謝します、けれど、出来れば以前の名は使いたくありません」
本心だった。もう引き返すことなど出来ない、それなのに、昔の幸せな記憶など思い出したくもない。そっと封印して、使命を全うすることだけを考えていたかった。そうだよなと苦笑した円堂守に倣うように他も気まずそうに食事を再開する。ただ、豪炎寺修也だけはそっと目を伏せた俺を暫くじっと見つめていた。

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