徒花 | ナノ





「部屋はここを使ってくれ。俺の部屋はすぐ隣だし廊下の向こう側は秋の部屋だから、何かあったら気軽に訪ねてくれていいからな」
挨拶も済ませ、軽く雑談をした後で円堂守に屋敷内を案内しもらった。一応は夫婦なのだから自室が別々というのも可笑しな話だが、そこはまだ馴れないだろうと気を使ってくれたらしい。今は丁度正午を過ぎた頃、夕方になれば円堂守や木野秋と同じく雷門家の養子である長兄が奥方と共に帰宅するそうだ。それまでは部屋で寛いでいることになった。思えば、ここまでは本当に危なげもなく狐女としての役割を果たせている。男であるということがばれた様子は見受けられないし、疑われてもいないはずだ。自分はそんなに男に見えないのかと若干空しく思うものの、今更この容姿を呪ったところで親不孝にしかならない気がした。俺は昔から諦めるということがあまり好きではなかったが、今となっては致し方ない。何か、俺が男であるということがばれても追い出されないように、この家の弱みに成りうる事柄を探さなければならない。焦るのはよくないが、急がなければ情などが湧いてきそうで恐ろしいのだ。とはいったものの嫁いできて早々に不振な動きをするわけにもいかず、いつのまにか日は傾いていた。そろそろ外に出ていた長兄夫婦が帰宅する頃である。そう思っていると案の定、すぐに広間まで手を引かれた。
「長男の染岡竜吾だ」
「はじめまして、よろしくお願いいたします」
染岡竜吾という人物は若干華奢な円堂守とは違って体の大きな男で、まだ若いにもかかわらず長男と呼ぶにふさわしい貫禄があるような気がした。話によると彼の奥方は出かけた際に少し疲れてしまったとのことで先に自室で休まんでいるそうだ。
「本当に申し訳ない、後ほど挨拶に向かわせよう」
「いえお構いなく。大事なお体です、しっかりお休みになって下さい」
「…そうか、ありがとう」
僅かに微笑んだその顔が何だか優しくて、心地よかった。
部屋に戻り一息つくと無性に泣きたくなった。俺のこの運命に、俺のこの容姿に、俺の未来に、一筋の光さえもないこの暗闇はきっとこれからもずっとずっとこのままで、逃げ出せば二度とまともな人生は歩めないだろう。もっとも、今のこの状況もあらかじめ敷かれた道でしかないわけだが、こちらの方が幾分か人間らしい気がした。策略に失敗し追放されて家流しになった狐女は自家に帰ることも許されず路頭に迷うことになる、稀に心優しい誰かに助けられることもあるらしいがその多くは身売りや悪徳の道に進んだり、華のあるものは遊郭などに売り飛ばされる。そして死ぬまで奴隷のように、あるいは犬として扱われて死んでゆくのだ。自分はそのような人生など甚だ御免だし、恐ろしい。しかしまだ出会って間もないというのに笑顔で接してくれる雷門の連中を欺かねばならない自分の使命に、心が、ひどく痛んだ。情を移すな、これは狐女の教養として最初に教えられたことだ、だが、初めから欺くことに対して抵抗のあった俺にはそんな教えなどあってないもので、もう既に遅いような気さえした。
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