短いおはなし 2013 | ナノ

 街の誰もが歩きたがらないような、ひどく汚い路地裏を歩いていると、何かにぶつかり、足を止める。職業柄、普段から人や物の気配に漠然とではあるが、気を配りながら歩くような癖がついてしまった自分が、何かにぶつかるなど、歳をとって鈍ったのだろうかと訝しみながら足元に目をやる。

 そこには、ゴミや、枯葉と一緒に、生きているのか、死んでいるのか、その判断さえ一瞬では下せないような人間が倒れていた。辺りに他の気配があるかを探ってみるが、どうやら追い剥ぎの罠などの類ではないらしい。屈み込んで、生死を確認するために半ばうつ伏せのように倒れている身体をひっくり返した。


「っ……」


 一瞬にして、目の前が真っ黒に染まる。その人間は、いつか俺の目の前で、理不尽に、そして無残に轢き殺されたあいつに似ていた。すすや生ゴミで汚れ灰色になった皮膚も、何週間洗わなければ出せないであろう臭いも、この年齢に見合った栄養が摂れていないからなのであろう手足の細さも、何もかもあいつとは別物だというのに、何故か面影が重なり、脳裏に焼き付いて離れない。

 首に指を宛てがい、脈を確認すると、かすかに、何故死なないのかと問いかけたくなるほど微弱な脈が確認出来た。以前は服であったのだろうと推測できる布をそいつの身体に巻きつけ、俺は片手で身体を持ち上げる。外出するために、コートを手にかけるような感覚にしかならないような軽さに、一瞬だけ、戸惑った。



 アジトには、どうやら一人もいないらしく、静まり返ったリビングに一人、いや二人でたどり着く。まったく…タイミングいいのか悪いのか分からないな、と思いながらソファに横たわらせようとして、少し考え、床に変更した。帰ってきた仲間が汚れて臭いのついたソファに気付いて、イラつき始める顔が目に浮かんだからだ。

 そこで、はたと気づく。


「何をすればいいんだ…?」


 死にかけの人間にとどめを刺してやることは回数を思い出せないほど何度もあるが、死にかけの人間を生かす方法なんて試したことも学んだこともない。とりあえず飯を食わせるか、と冷蔵庫に向かって、中身を確認する。十分な材料とは言えないが、とりあえず形にはなりそうだ。ぴくりとも動かない物体に、もしかして死んだか?と疑問を持ちながらも、とりあえずコンロに火をつけ、材料を放り込む。



「おい、」
「おい、聴こえているなら顔を上げろ」
「生きたいなら食え、死にたいならここから放り出すから勝手に死ね」


 何度か呼びかけると、数センチだけ頭を床から上げたそいつは、湯気のたった皿を見つけると、すごい勢いで這いずって皿の中身にがっついた。みるみるうちに減っていくのを眺めながら、俺はなんとも言えない気持ちになっていた。なぜ、助けてしまったのか、と後悔のような感情が胸に渦巻く。


「パ、ドローネ、ご、ごめんなさ」


 いつの間にか食べ終わっていたのか、そいつは、俺の前で膝をついて頭を何度も何度も下げ始めた。パドローネ、『主人』という言葉とこの態度にこいつがこうなった経緯を頭の中で垣間見る。


「…俺はおまえのパドローネではない、名前はなんだ」
「あ、………名前………名前は…ストロンツォ……?」
「…………それは多分おまえの名ではないだろう、まぁいい、風呂に入れ臭くてかなわない」


 今の会話の流れからするに、こいつは奴隷のようにこき使われていたようだ。こいつも、まだ状況がひとつも掴めていないのだろうが、このままではこいつの名前を知る前に、俺の鼻が曲がってしまうだろう。干してあったお世辞にも綺麗とは言えないバスタオルを掴んで風呂場へと向かう。よろよろと立ち上がって俺のあとをついてくるのをみるに、どうやら言葉がまったく通じない馬鹿というわけではないらしい。


「ここを捻ると、水が出る、全身洗ったらこれで身体を拭け」


 俺の言葉に二回頷いて、そいつはシャワーにゆっくり近づいていく。あとは自分にやらせようと、俺はその場をあとにした。


 しばらくして、バスタオルを身体に羽織ったそいつがおずおずと帰ってくる。俺に体を見られるのを恥じらうような姿をみて、初めて気付いたのだが、そいつは、女だったらしい。俺は黙って用意していた服を投げ渡す。


「おまえには帰る場所があるのか」
「パドローネのお店しか、知らない。でも、どこにあるのかわから、ない」
「そこに帰りたいか」
「……………」

 
 俺の問いかけに、顔を上げたまま(といっても、伸びきった髪の毛に、表情は隠れているのだが)口を閉ざしてしばらく時が流れる。


「帰りたくない、ここに、置かせてください、」
「……だが俺、いやここには仲間と住んでいるんだが、俺たちがそのパドローネよりマシだという保証はないぞ。むしろ、………いや、なんでもない」
「……でも、あなたは、わたしを助けてくれた、わたし、何かをしてもらったこと、ないから、わたし、あなたに、感謝、してる」


 片方の手で小さな拳をつくり、片方の手でそれを包み込んだそいつは、片膝をついて、俺に忠誠を誓うポーズをとる。

 
「それに、あなたの瞳には、嘘がない……わたし、あなたの傍にいたい」


*---*---*


「リーダー?どうかしましたか?」
「……いや、なんでもない」
「珍しいですね、リーダーが報告の途中で上の空になるなんて」

 俺を見ながらくすくすと笑うなまえを睨みつけると、すみません、とあっさり頭を下げられる。そして、途中だった任務の報告が続けられる。内容は、俺が指示したどうりの首尾で、文句のつけようがないものだった。誰にも気づかれずにターゲットに近付き、息の根を止める。ただ、それだけのもの。しかし、真っ当な人間なら絶対にしないことだ。

 『すまない…』そう言ってしまいたくなるのを抑えて、今日も俺は『よくやった、なまえ』と言って、頭をひとつ撫でてやる。なまえが嬉しそうに言った、リーダーの役に立ててよかったですという台詞が心に突き刺さった。

 人間として死ねたはずのなまえを救った気になって、本当に殺してしまったのは俺なのではないのかといつも考える。助けたのは俺のエゴで、そして、
なまえの笑顔はもっと、


「リーダー、もう一度だけ、わたしの名前を呼んでくれませんか?」


 なまえの言葉に顔をあげると、まっすぐに俺をみつめた瞳にぶつかる。「リーダーがつけてくれたわたしの名前、リーダーに呼んでもらうの大好きだから、」少し恥ずかしそうになまえは笑った。

 やはり、なまえの笑顔はきっと、本当はもっと、今の何十倍も美しかったのだろうと俺は思った。


title.僕の精


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -