2012短いおはなし | ナノ

太公望さま、と控えめに私を呼ぶ鈴のような声が耳に届く。振り返ると、そこには戦場の一角であるここには似つかわしくないと、この私ですら思えるような可憐な姿があった。それが誰か確認して、ため息をつきたくなる気持ちを押さえつけながら私は何時ものようにその人物へわざとらしく微笑んだ。


「こちらに顔を出せ…なんていう命令は君の父からはなかったと思うが?」


ありったけの皮肉をかき集めて発した私の言葉に、まだ戦場の生々しさ、汚さ、そして人の強欲さを書物の文字でしか知らぬ少女、なまえは黙って俯いた。その口は、何か言葉を発しようとしてわずかに開き、また結ぶという動作を何度か繰り返している。なまえの父は名だたる武将であり、仙人という立場の私と自分の大切な一人娘が近付くのを当然だが快く思っていないため、出来るだけ遠ざけているというのは同じ地に滞在している私の耳にも届いていた。なのに何故この少女は父の約束やら束縛やらを振りほどき私の元へと来たのか、仙人の私にとって人…もとい女人の想いなど考えるに至らない。


「此度の戦が終われば私は仙界に帰る。」
「っ…!」


私にはやらねばならぬことがたくさんある。きっとこの戦いが終わり仙界に帰れば、永久の時が流れるあの場所で、今このような時間など頭の片隅にも残っていないであろう。まあ、遠呂智などという存在が混沌を生み出したということくらいは覚えていようが。と、私が独り言のように淡々と語った言葉は、なまえが私の元へとゆこうと決意させたその源の核心に触れたらしい。なまえの美しいふたつの瞳から、これまた美しい大粒の透明な真珠が数える暇もなく落ちていく。


「わっわたしは…この戦が終わっても太公望さまの、お側にいたいのです…!」
「無理な相談だな。」


冷たく切り捨てると、爪先からじん、と痺れが広がる。今ここでこの女人の私への想いを断ち切らねばならぬ、そう思うのにそれ以上彼女を突き放す言葉が紡ぎ出せないでいた。初めて思い通りにいかない出来事にぶつかった稚児のように、私の心はもやもやと黒い霧がかかっているようでもある。こんなことは初めてで、どうしたら良いのか全能な私でも解りかねる。


「…仙人の貴方と人の子の私、想うことは赦されないことだと分かっています。」


それでも、貴方が愛しいのです。となまえは赤く染まった瞳をそらすことなく私に向けた。本当はとおの昔に気付いていたのだ。彼女の存在を私の方から遠ざけることが出来なくなっていることに。彼女の父が私から遠ざけるようにしていると聞いたとき、ああ、これでなまえにうつっていく気持ちがこれ以上大きくならずに済むなどと、安堵していた私の心に。しかし、それを認めてしまえば、今私が果たそうとしている使命は遂行することが出来なくなりそうで、恐ろしいのだった。一言「私もそなたを愛している」と伝え、体を抱き、幸せを得たところで私は仙界に帰らなければならぬ身。私がなまえの視線から逃れると、息を飲む音と体躯にかかる体温。


「っ……離れよ。少々無礼が過ぎるのではないか?」
「私のことが受け入れられぬのなら、振りほどいて下さい…!」
「………」


出来るわけがなかった。そして私は一番最悪の行動を取った。彼女の背に私の腕を回したのだ。いつか別れなければならない人の子を愛してしまうなど、無意味に等しい。そう頭では理解していても、今、この瞬間を心から愛おしいと感じてしまう私はどこか壊れてしまったのだろうか。繰り返すことになるが、こんなことは初めてで、どうしたら良いのか全能な私でも解りかねる。


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(無双OROCHI/太公望)
title僕の精


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