天河原中の二年生の教室は、何故か三階に存在している。朝から階段を上らなくては自分の教室にたどり着けないことをひとつの試練とするなら、年功序列に従うと、二年生は二階でいいだろ、と思ってしまう。たかが階段の上り下りに試練は言い過ぎだろう、と喜多にはもっともなことを真面目な顔で言われたが、そんなことは俺だって百も承知だ。何が言いたいかというと、もし俺が二階の二年生で、彼女が三階の一年生だったとしたら、こんな事故は起こらなかっただろうということである。
三時間目の体育を終えたあと、朝練をしたときに部室に午後の授業に必要なものを忘れたことに気付いた俺は、一人、サッカー部の部室へ立ち寄った。目的のものを見つけるまでに思ったよりも時間を食ってしまい、時計に目を向ければ、次の授業開始三分前。全力で走ればなんとかなるか、とため息をついて、部室を後にした。もう授業開始の直前だからか、階段にも人の姿が見えなかった。それをいいことに、あまり前も見ずに駆け上っていたら…ぶつかった。人に、思い切り。ちょうど、二階から三階に上がっていく途中の場所だった。俺にも多少の衝撃は伝わったが、相手は俺よりもかなり小柄な女だったから、そっちの方が大きくよろめき、そして階段に倒れ込んだ。そいつの持っていたファイルやプリントが散らばる音が静かな階段に響きわたる。
「うっわ、悪い!大丈夫か!?」
慌てて駆け寄ると女は、小さなうめき声をあげながら、ふらふらと立ち上がった。どうやら大事には至らなかったらしい。ひとまず、胸を撫で下ろす。そして「大丈夫です…」と言いながらしゃがみこんで散らばったプリントを集め始める女。俺も黙ってそれを手伝い、立ち上がって集めたそれらを手渡した。俺は自分以外には優しくしない主義だし、ましてや女にそんなことをして、めんどくさい感情を抱かれ、ちょっとしたトラブルに巻き込まれる…なんてことを以前何回か経験したことがある俺にとって、女に優しくするなんてかなり久しぶりなことだった。ぶつかってしまった相手が落とした荷物を拾うことが女に優しくすることなのか?と喜多には言われてしまいそうだが。俺にとってはそういう扱いをされるべき行為なのだ。つまり、それはほんのちょっとした罪滅ぼしのつもりだった。
「ありがとう、ございます。」
しかし、ほんのちょっとした罪滅ぼしとしての俺の行動に返ってきたその言葉と笑顔が、彼女が階段から消えて見えなくなってしまっても、結局間に合わなかった次の古典の授業の最中も、目に焼き付いて離れなかった。
――☆・☆・☆――
「星降が一目惚れだと、!?」
同じクラスの喜多に古典の授業のあとその話をすると、喜多はそう言って目を見開いた。まぁ確かに俗に言う一目惚れってやつなんだろうけど、真面目で堅物な喜多が口にする『一目惚れ』は呪文のようにも感じる。俺がまぁねぇ…と曖昧に答えれば、喜多は眉をひそめた。何を言うのかと思えば、その子に怪我なんかさせていないよな、と事故の当事者でもないのにその女を気遣ったのだ。喜多はやっぱり正真正銘のいいやつだと確信した。
「なんで喜多ってモテないんだか俺には理解できないな。」
「…お前にそれを言われると心から腹が立つな。」
そんな冗談を言っておきながら、本当は喜多がそれなりにモテるということを俺は知っている。俺ほどじゃないけど、バレンタインのチョコだって、呼び出しての告白だって経験している男だ。ちなみに、俺はどちらかといえば積極的なタイプの女にモテるが、喜多は逆に大人しそうな大和撫子に好かれる方である。あの女は雰囲気的には喜多に惚れそうなタイプだったな、とぼんやりと考えた。名前さえ知らないっていうのに、好きな男のタイプをあれこれ考えるなんて、思ったよりも本格的に気になってしまっているようだ。俺らしくない思考回路に自然と小さなため息がもれた。
「ふぅん、星降さんがねぇ…」
その聞き覚えのある声に振り返ると、一年のくせに態度がでかい隼総が、いつの間にか俺たちの教室のドアに偉そうに寄りかかっていて、俺たちは顔を見合わせる。相変わらず気配を消すのか上手いやつだ。
「いつからいたんだよ。」
「部室に忘れ物するなんて、星降さんらしくないですね。」
どうやら話は大方聞かれてしまったらしい。盗み聞きなんてよくないぞ、と後輩を諭す喜多に、隼総は、盗み聞きじゃなく聞こえてきたのだと主張した。その主張が真実にしろ、嘘にしろ、今日のことを隠すつもりなんか毛頭なかったから、隼総に知られてしまったことは大した問題じゃないのだが、「怪我させてないか、とか確認すると見せかけてその女に近づけばいいだろ」という隼総らしい提案に「やり方が汚いな…」とぼやく喜多には、思わず笑ってしまった。流石隼総、狡猾な手を思い付く。しかし隼総、その案はありがたくいただこう。
×
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -