03 | ナノ





『いつものでお願いします』


「……………はぁ」




オーダーを取るために赴いた客席で目の前に差し出されたのは、俗に言う携帯端末と思わしき機器だった。

土曜の休日の昼下がり、ランチの客がこぞって押し掛けてからようやくひと段落ついた辺りで、その女性はそっと音もなく店を訪れた。ふわふわとした飴色の髪はゆるやかなウェーブを纏い、夏も間近いさわやかな風にゆらりと揺れていたことと、まるでビー玉のように透き通った綺麗なグリーンアイが酷く印象的だった。

席はいくつか空いていたし、一人ということもあって俺は「お好きなお席へどうぞ」と薦めたのだが、彼女は店内のぐんと奥、壁一面がガラス張りになっていて一番の日当たりがいい場所へと着席した。

メニューと水の入ったグラスを運んでしばらくしたころ、食器を運んでいる合間にふと視線があったのですぐに伺いますね、と残して急ぎ足でキッチンへと向かいまた客席へと舞い戻る。

中々声をかけられなかったものだから、視線が合ったタイミングで注文が決まったと判断できたけれど、これはこれで良かったような良くなかったような。ご注文はお決まりでしょうか、彼女にそう問いかけたところで話は冒頭に戻るのだった。


そうつまり、彼女の注文は「いつもの」という実にざっくばらんとしたものだ。と言うよりそんなものはもちろんメニュー一覧の中には存在しておらず、行きつけの飲み屋で告げるような台詞だったからこそ、俺は思わずほんの少しだけ悩んでしまった。いつもの、なんて単語を使うような常連が果たしてうちの客に居ただろうか。いや寧ろ「いつもの」と名付けられた裏メニューが存在するのかも知れない。

はたまた俺がシフトに入っていない間の常客なのだろうかと、短い時間の中でひとしきり考えてはみたものの、やはり自らに思い当たる節はない。しかし丁度そこで、再び彼女は俺に新たな文字の入力された携帯端末の画面を向けてきた。


『うしろに居る人に伝えて下さい、多分わかると思うから』


にこりとあんまり穏やかに笑うものだから、はぁ、という大して面白くもない相槌を返してしまった。彼女はそんな俺をさし置いて、端末を鞄の中に仕舞うなり店内をぐるりと見渡してまたひとつ微笑む。窓からさんさんと差し込む陽の光がやわらかそうな飴色に透けて、甘い香りさえしてきそうな光景だなと呑気なことを考えつつ、そのまま俺は言われるがままに後ろに引っ込んだのだった。







「シズちゃーん」

「ああ?何だよ。オーダー取ったのか」


金髪の長身がせっせと洗い物をこなすその横からひょっこり身を乗り出すと、視線も向けずにただつれない返事だけがかえってきた。しかしこんな事はいつものことであって、言わばよくある日常的な風景である。シズちゃんはとにかく愛想がない。なので俺も特別気に留めることもなく、そのまま続けてまた問い掛けた。かちゃかちゃとトレイやボールが賑やかにシズちゃんの手が触れる先で音を立てている。


「いつものって意味わかる?」

「…はぁ?」

「そう頼まれたんだけど。うしろの人に言えばわかるから伝えてくれって」


先程のやりとりのありのままを彼に伝えたつもりだったけれど、シズちゃんはしかめっ面のままただひたすら皿を洗い続けている。こっちは駄目かならば次はドタチンかなと、そう思い立ったところで不意に声を掛けられた。


「…おい」

「なに?」

「そいつ、いつものって言ったのか?」

「………そうですけど」


俺の言葉を聞くなりシズちゃんは弾かれたようにその顔を洗い物から上げて、足早にそこから離れて行ってしまった。一瞬なにが起こったのかわからないほどの突拍子のなさで、ろくに驚くことすらままならない。とりあえず出しっ放しになっていた水を止めてから慌ててその後ろ姿を追いかける。酷く急いた背中は既に、先程俺が謎めいた注文を受けた件のテーブルまで辿りついていた。

普段厨房に入りびたりのシズちゃんがホールにその姿を見せたとあって、偶然店内に居合わせた女性客は控えめにが色めきだった黄色い声を上げている。

男性スタッフオンリーというこのカフェ・トリールのスタッフの中では唯一俺だけが把握している事実だろうが、はっきり言って女性客が異様に多い原因がそれだった。俺は顔が特技だと一方的に決めつけられて雇われた身だから止むを得ないが、本人たちが全く自覚をしていないだけで厨房の2人組も影ではしょっちゅう会話のネタにされていたりする。それはこのホールを一人で捌いている俺が、誰よりも一番に知り得ている事実だった。

そう、だからこそ店内はざわりとそれでも密かに湧いたのだが、いつもの如くシズちゃんはそんなことには全く気が付いていない。無自覚さもここまで来るとご苦労なことだ。まぁきっとこれに関してはドタチンも似た様なものだろうけれど。

辿り着いた先のテーブルでぱちくりとグリーンの瞳を瞬かせる女性と、慌てて駆け付けたシズちゃんがしばしの間見つめあい向かい合う。俺は先程の会話の中で、シズちゃんに彼女の席を教えた覚えはない。と言う事は、つまり。


「…セルティ」


帰って来てたのか、と。シズちゃんがそう声を掛けた先で異国の女性は柔らかく笑みを浮かべている。そしてふたたび携帯端末を鞄の中から取り出すと、たんたんと画面を叩いて何らかの文面を綴り、そっとシズちゃんに向けて差し出した。俺は斜め後ろからそっとその会話の中身を盗み見る。


『ただいま、思ったより早く帰れたから驚かせようと思って』

「…ったく、そういう所は相変わらずだな。来るなら来るで連絡くらいしろよ、水臭いじゃねぇか」

『悪い。偵察も兼ねてこっそり来たら面白いかなと』

「何だよそれ、自分の店だろーが」


そこでふっとシズちゃんの口元が綻び、見たことのない笑顔が視界に映るものだから俺は普通に驚いてしまった。いやいや笑わないわけないだろ有り得ない、世間的な意見はそんなところだろうけれど、この人はびっくりするぐらい笑うことがない。

俺が休みの時は時折ホールに出て皿を運んだりもするらしいけれど、はっきり言ってびっくりするほど無愛想だ。無表情で皿を置いてメニュー名をぼそりと呟き、そのまま立ち去るのが常らしい。女性客は無口なところがいいよねだなんて、そんな事をきゃあきゃあ騒いでいるからとりあえず問題なく収まってはいるが。

そうだから、有り得ないことだった。しかもその笑顔は想像(したこともないが)よりもずっと穏やかに微笑むといったものに近い。まるで別人と見紛うほどだ。


『そっちの彼は?もしかしてバイトか?』

「あー…おう。一応」


シズちゃんの相槌を聞くなり、彼女はまた柔らかく微笑む。シズちゃんはそういや初対面か、みたいな酷く今更な反応をして一人頷いている。会話の中でどう考えても俺だけが置いてけぼりの状況だった。


「あのー…水を差すようで悪いんだけど失礼。もしかしてお客さんじゃなくてシズちゃんの知り合い?」

「知り合いっつーか…まぁ、そうなんだけど。こいつ、セルティな。因みにここのオーナー」

「オーナー?え、俺てっきりドタチンが店仕切ってるんだと思ってた」

「実質はな。門田は雇われ店長みたいなもんだ」

「雇われ店長…」


なんだかやたらとリアルな響きだ。詳しい事情はまだわからないものの、取り敢えずこの店がこの人のものだということは把握することはできた。そして尚且つ友人のような間柄であるというのなら、先程の「いつもの」だとか「言えばわかる」とかいう気心の知れた言い回しも納得することは容易い。


『初めまして。セルティ・ストゥルルソンです。よろしく』

「あ、はぁ、どうも」


変わった客だなと思いきや、まさかの展開を迎えて結果俺の反応は素っ気ないばかりのものになってしまったが、この場合は致し方ないだろう。


「そうだ、いま門田も呼んで」

『いや、いいよ。仕事中だろう?それよりいつもの頼めるかな』

「…と、そうだったな。ちょっと待ってろ」


上機嫌さをそのままに、シズちゃんは俺と彼女をその場に残してまた厨房の方へと引っ込んで行ってしまった。客と店員ならばまだしもオーナーとバイトという立場を踏まえてしまうと些か気まずい、気がする。それでもそんな微妙な空気は、また彼女がその画面越しに紡いだ言葉によって事なきを得た。




『アイスティーひとつ、お願いします』




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「どういう関係?」


がらがらと細かい氷をグラスに突っ込みながら、横で皿の盛り付けに勤しむシズちゃんに問い掛けてみる。別にそう凄く気になったというわけでもないが、それなりには興味を擽るネタだ。気性の荒いシズちゃんと穏やかな女性。なんかそんなのあったな、ああそうかあれだ、まさに例えるならば美女と野獣そのものだった。


「セルティが店やりたいっつーから、門田に声掛けて最初は三人で始めた店なんだよ。ここ。ただあいつ見ての通り日本人じゃねぇから、オープンしてすぐに仕事の都合で帰らなきゃならなくなった」

「国ってどこ」

「アイルランド」

「…へぇー…」


アイスティーを勢いよくグラスに注ぎ込んで、色とりどりの中から赤色のストローをチョイスし、ミントの葉もセットでその上にちょこんと浮かべる。トレイの上にコースターと一緒に準備を終えると、その横にシズちゃんがせっせと盛り付けていたデザートのプレートが置かれた。


「アップルパイのアイスクリーム添え。あいつの好物」


ふっとまた穏やかに微笑むその表情に、何やら酷く珍しいものを立て続けに拝んでいるなぁというそわそわした気持ちに襲われる。普段からそうしていれば誤解を招くことも少なかろうに、そうは思ったが薄々気づき始めていた。普段があからさまにただ冷たく非情なわけではない、ただ彼女が特別なだけなのだろう。
こんがりと焼き目がついたアップルパイは、普段料理を担当しているシズちゃんが気が向いた時にだけ焼き上げるというトリールのレアメニューだ。元々ケーキやマフィンの類の焼き菓子を含め、パフェやドルチェはドタチンの専門分野なのだが、アップルパイだけはどうしても彼のものには敵わないらしい。何か違うんだよなぁとほんのちょっと悔しげにドタチンがぼやいていたのを思い出す。


「ねぇ、ひとつ聞いていい?」

「何だよ」

「元々あのひと、シズちゃんの知り合いだったんでしょ?何でドタチンが店仕切ってるわけ?」

「あー…面倒臭ぇから。料理出す方が好きだし、細かいこととかそういうのは全体的に無理」

「……なにその全体的って。いやなんとなくわかるけどね。左様でございますか」


あんまり頭使うの向いてねぇんだよ、いーからそれさっさと持って行け。しれっとそう言い放たれおまけにしっしっとまるで猫にするようにそうされて、はいはいと二つ返事をしながら俺は言われた通りアップルパイとアイスティーの乗ったトレイを手に、店内へと足を向けたのだった。



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