03 | ナノ
「…何で手前が居るんだよ」
「…その言葉そっくりそのままお返しするよ」
学園の設備の一環である、クソ馬鹿でかいホテルのレストラン顔負けのカフェテリア、俺と平和島静雄はそこで顔を合わせるなりそんなやり取りを交わしていた。
そりゃそうだ、何故なら俺はこの単純強引金髪男が昼食の場いると聞いていたら、まずこんな場違いな所に出向いたりはしていない。基本的に昼は弁当を広い庭の片隅にひっそりと佇むベンチで、ひとりのんびりと食すことが好きだった。
何故かうっかり平和島静雄の弟と非常階段で鉢合わせ、そしてそのまま更にうっかりランチに誘われカフェテリアに赴いたがために、できることなら一番顔を合わせたくない人物に遭遇してしまって、俺のテンションは下がり続ける一方だった。今日は朝からひたすらこうだ。厄日か、いや毎日そんなようなものだけれど。
「弟に連れて来られたんだっての」
「…幽が?」
そこでちらりと視線が俺から弟の方へと移動する。平和島幽は小さく頷いた。
「そう。さっき兄さんから電話あったとき、ちょうど折原さんが傍に居たから」
どうぞ、と平和島弟に椅子を引かれ着席を促されるが、俺はすんなりと座らずに平和島静雄をじとりと睨み付けた。
「いいよ、俺やっぱりいつもの場所で食べるから」
「座れ」
「…は?」
「座れって言ってんだよ」
俺に命令を与えて来たのは、言うまでもないが弟の方ではない。椅子を引いて静かに佇んだままの彼は、以前としてまるで人形のようにそのままの状態だ。だから、このわけのわからない強引さ丸出しの台詞を吐いたのは、必然的に平和島静雄だということになる。
カフェテリア内の一段と豪華絢爛な広いエリア、言わずと知れたこの学園内で特別扱いを受けている、たった四人専用のためのスペースだ。弟に連れられて広いカフェテリアに姿を見せただけでも辺りはざわめき、俺は色んな意味で馬鹿みたいに注目されてしまったわけだ。その上専用のスペースにまで案内されたときては、もう明日からの自分の未来は保障でき兼ねるところだ。平和に、穏やかに。ただひたすらに務め上げてきたその単語たちは、虚しくもがらがらと音を立て崩れ落ちて行く気がした。
「なんで俺があんたに指図されなきゃいけないわけ?」
「いいから座れって言ってんだろ!」
「い・や・だ」
「………上等じゃねぇかコラ。喧嘩売ってんのか?ああ?」
「最初っから喧嘩売ってんのは誰が!どう見ても!自分の方だろって言ってんの!」
がたんと勢いよく椅子から立ち上がった平和島静雄を見上げ、これでもかというほど目一杯睨み付けてやる。比例するように目の前の顔も、眉間の皺を更に濃くして、俺のことを見下ろして来た。
「はいはい、楽しいランチタイムに喧嘩しないの。久しぶりに幽くんも揃ったことだし。静雄も静雄で素直に嬉しいって言えばいいじゃないか」
どうどうと平和島静雄の肩をぽんぽんと叩き、宥めるような言葉を掛けたのは、特別な四人のうちの一人である岸谷新羅だった。丸いテーブルを囲んだ五つある椅子のひとつに、更にその中の一人である門田京平はそんな様子を眺めつつ、呆れ顔で溜息を吐いている。
「うっせぇな!誰が嬉しいなんて言った!」
「じゃあ嬉しくないの?彼女一人で食べるってどこかに行っちゃうかもよ?」
岸谷新羅がわけのわからない問いかけをしたところで、平和島静雄は何故かぐっとその言葉を詰まらせた。その後にちらりともう一度こちらを伺い見て、まるで自らに何かを言い聞かせるようにふーっと長い呼吸を繰り返す。そしてもう一度俺に向かって座れ、比較的静かな声で呟いて、先程まで腰を下ろしていた椅子に再度座り直した。
「どうぞ」
そこでまた更に弟の方に促され、俺も一旦静けさを取り戻したその場で、更にぎゃあぎゃあ一人騒ぎ立てることは流石に気が引けた。決して快くではないが、大人しく引かれた椅子に腰を下ろす。絶妙なタイミングで椅子を戻され、続けてその隣の空いた席に平和島弟が着席する。左側には未だに俺のことをじとりと睨み続ける兄の姿があって、何というか、普通に居た堪れない。帰りたい。そんなことばかりを考えつつ、ひとまず持ってきた手提げから弁当箱を取り出すことにした。
「いやあ、幽くんが学校に来るのも久々だねぇ。とは言えテレビ越しには毎日のように会ってるけど…静雄もすっかり寂しがっちゃってさぁ。学校に来てるって噂聞いて慌てて電話かけたみたいだよ」
「べ、別に寂しがってねぇ!」
「またまたぁ。ま、何にせよ皆が揃うのはやっぱりいい事だね。食事も一段と美味しい」
お高そうなシェフ特製のランチをナイフとフォークで器用に食べ進めながら、主に会話を繰り出すのはどうやら岸谷新羅の役目らしい。時折平和島静雄が突っかかるものの、それらを器用にかわしたり適度に周りの人間にも話題を振りながら、割合穏やかに昼食の時間が流れて行く。俺はとっとと弁当を食べ終えてここから去ろうと思いつつ、だんまりを決め込んで一人小さな箱を箸で突いていた。
どうせ会話も蚊帳の外なのだから、できることなら一人で穏やかな昼食を摂りたい。何がどうと言うよりまず、ここの連中は気付いていないようだったが、俺は周りの視線がひたすら痛い。カフェテリア中の視線が今、このエリア、そして尚且つ俺一人に集中しているかのような突き刺さる痛みを与えて来る。
ひそひそと時折耳に入る会話の内容まで、事細かに聞こえてくることはないが、俺には連中の話している内容がまるで手に取るようにわかる。これは断じて俺がエスパーだったりだとか、テレパシーが使えるだとかそういうセンスのない話ではなく、今まで受けた仕打ちから導き出した結果としての見解だ。
そしてその予想はきっと、百パーセントの割合で的中にするに違いない。そう、何であの女はあそこに居るんだ身の程知らずめ。これでファイナルアンサー、間違いない。
何せ俺はそれが原因で机を隠されるような身分なのだから、まぁ致し方ないと言えばそうなのだが、そもそものその原因が矛盾だ。何故なら俺は居たくてこんなところに居るわけじゃない。できることならば今すぐ走って逃げてしまいたいくらいだと言うのに、勘違いされて更に苛がらせはエスカレートする。悪循環は面白いほど悪い方向にしか回らない。そう、この学園ではお家柄と資産が全てに置いてのルールだ。俺には文句ひとつ言う権利すら与えて貰えない。
「で?幽くんと折原くんはどうして一緒に?」
「へ、」
「ああ、それは俺も気になってた。珍しい組み合わせだな」
ひたすら弁当の中身を噛み締めていたところで、不意に岸谷新羅の声が降ってきて我に返る。思わず声が裏返ってしまったところで、続いて物静かに食事を進めていた門田京平までもが会話に興味を示し始めてしまった。
人を巻き込みやがって。できることなら放っておいて貰いたかっただけに、俺は空気を読めない岸谷新羅を心の中でやんわり罵倒しておく。
「探しものをしてたんですよ。ね?」
「え、ああ、………うん」
俺が答えるより先に平和島幽がそう答え、そう間違ってもいない返答に俺は適当な相槌を打つ。
「折原臨也さんだって知ったのは声を掛けた後でしたけどね。有名人だけど、顔は見たことなかったから」
「………有名人」
どうして有名人なのかは、ここで食事を摂っている俺以外の四人を含め、学園中の生徒はおろか、教師ですらも知らない人間は居ないだろう。耳に痛い話だ。そう、そうだった。あの時点で多分何もかもが狂い始めたと言ってもいい、俺の愛する平穏という言葉がその姿を消してしまったことも。
「そういや幽、お前夜来れるんだろ?」
「うん。今日は一日オフだから」
そうか、と答える平和島静雄の表情は、見た事もないくらいに酷く穏やかなものだった。俺が記憶する限り、大抵何かに苛立ったように眉間に皺を寄せているか、もしくは人を睨み付けてくるかのどちらかが多いので、酷く新鮮に思える反面、ああやっぱり本当の兄弟なんだなぁと再認識するばかりだ。そういや、どことなく似ていると言われてみればそうなのかも知れない。性格は正反対みたいだけれど。
「あ、そうだ!良かったら折原くんも来ない?」
「…は、え?どこに?」
「夜に僕の婚約者が帰国するんだ。それで今夜僕の自宅で軽いパーティをするんだけど、そんな形式ばったものじゃないからラフな格好で構わないし。招待するから是非おいでよ」
「はぁ………いや、あの、俺結構なんで。バイトあるし」
顔の前で箸を持つ手と反対の手を左右に振ると、岸谷新羅はその身を乗り出して机越しに詰め寄ってくる。
「一日くらい休んだって大したことないだろ?どうせ時給も安いんだし」
「…安い時給で悪うございましたね」
それでも働かないよりマシなのだから、金持ちは庶民の俺のことなど放っておいてくれ。低い声で言葉を返しまた弁当を箸で突き食事を再開する。早起きして作ったおかずの味がわからない、こんな食事は初めてだった。一人で食べた方が絶対に美味しいに決まっている。
「おい」
すると今度は平和島静雄が隣から声を掛けてくる。何なんだ、確かに美味しくないけれどそろそろ食べ終えて早くここから出たいんだよ。頼むから協力しろよお前ら。決して口には出さないけれど、見返す視線にはきっとそんな感情が篭ってしまっていることだろう。
「…なんですか」
「お前も夜来いよ」
「はぁ?なんで?だから俺バイトだって言ってんじゃん。無理」
「いいから来い。いいな」
こいつ人の話聞いてんのか。できることならその頭を勢いよく引っ叩いてやりたいが、俺の本能にはもう既に、こいつに手を出すとろくなことがないという、そのプログラミングが施されているためにそれができない。現に今の状況がこうだ。更なる悪化を招くのはもう御免だった。
何だよ、男の癖にたかが一発殴られたくらい延々と根に持つなんて、金持ちの癖に心はどこまでも狭いな。そりゃあ女に殴られて屈辱を味わうことになってしまったのはちょっとあれかも知れないが、ならば自分の非を反省して、尚且つ俺に関わらずいつも通りに過ごしていればいいだけの話だろう。
そもそもこの学園で平和島静雄に、その事をからかう輩なんてここにいる数人を除いてしまえばきっと存在しない。だからこそ俺は、やたらと絡んでくる平和島静雄の考えていることが何一つとしてわからないままだった。
「兄さんもああ言ってることなんで」
「…いや。俺、だから…バイト」
「ね」
物腰自体は兄よりも大分柔らかいものの、弟の強引さはやはり兄譲りなのだろうか。しかし有無を言わせぬといった様子の物静かな表情は、テレビのコマーシャルなんかで見る羽島幽平そのものだ。いつもなら平面越しに拝んでいるため、妹たちの騒ぎ立てる声に紛れてそう意識したこともなかったが、やはり売れっ子というだけあって酷く綺麗な造りをした顔立ちだと思った。
はいじゃあ決定ね、と岸谷新羅がぱんと手をひとつ叩いたところではっと我に返ったが、時既に遅し。俺は別に通いたくもない学園に通うための学費を捻出しているバイトを、酷く理不尽な理由でドタキャンすることとなってしまった。ああやっぱりほら、ろくなことがない。