sheep loop | ナノ



※何か変な電波が出てます




彼は右から現れ、そして順に左へと消えて行った。

彼と言うのは、切りたくとも切れぬ妙な縁を維持し続けてしまっている、池袋の喧嘩人形の平和島静雄。もといシズちゃんのことを指している。そう、俺はその有り得ない光景がちゃんと夢だということを心のどこかでわかっていた。大まかなその基準は、彼が俺の姿をその瞳で捉えても、いつものように皮肉めいた低音で名前を呼ぶことがないという、ただそれだけ。但し俺には十分過ぎるほどだった。

背景に何もない特殊そのものな夢の空間内で、ただシズちゃんが右からゆっくりと現れ左へすうっと消えて行くのを眺め続ける。目の前を通り過ぎるのは間違いなくシズちゃん一人だけだったが、それでもその一人一人の見た目は少しばかり違っていた。

一番初めに俺の前に現れたのは、現在のシズちゃんだった。つまりバーテン服に身を包み、借金の取り立てを生業としている今の俺の時間軸に沿った彼のことだ。そしてその次に現れたのは、ややその表情に幼さが残り、高校時代のブレザーを身に纏ったシズちゃん。俺が知らない金髪に染め上げる前の中学生時代のシズちゃんも居た。ああほら、今度やって来たのは小学生くらいの頃だろうか。背丈も小さくて、今にはない可愛らしさが伺える。

巡るシズちゃんの無限ループは延々と、大人や高校時代、子どもの頃、それらを何度も何度も馬鹿みたいに繰り返す。余りに次から次へと現れては消えて行くものだから、俺は無意識に指を折りシズちゃんが通り過ぎるその数をひとりひとり数えていた。

俺が見る限り全てのシズちゃんは、同じようでその容姿がほんの少しずつ異なっている。要するに今現在のシズちゃんが一度現れて、また同じバーテン服の装いの彼が現れるとする。しかしそのふたつはきっと同じシズちゃんではない。頬に傷があったり、サングラスをしていなかったり、些細なことではあるが、それでも必ず何かしらどこかが違っていた。

シズちゃんがひとり、シズちゃんがふたり。そこから始まったカウントは、やがて九十すら超えてしまおうとしている。
眠れない時に羊を数えるという話はよく耳にするが、眠った夢の中でましてやこの俺が、シズちゃんの数を数えるだなんて奇特な遊びで、ここまで大それた記録を叩き出すとは思わなかった。後にも先にもこんな不名誉な記録の保持者は、きっと俺一人だけだろうけれど。


「ねぇ」


九十七人目のシズちゃんが現れたとき、気付くと俺はその虚像に声を掛けていた。意外なことに次から次へと消えては現れるだけだったシズちゃんが、俺の声に反応してその足をぴたりと止める。いつものバーテン服を着込んだ、所謂そう遠くない記憶のシズちゃんだった。


「俺のことが嫌いかい?」


問い掛けた言葉に思わず笑いそうになってしまったが、夢なのでそれは結局上手くできなかった。だからと言っては何だが、俺の口から出た質問さえ勝手に飛び出したものに近い。

目の前の九十七人目のシズちゃんは、無表情のままじっと俺を見据えた。余りこういう表情で見つめられる機会などそうないものだから、心の端で新鮮だなぁと思いつつ視線は逸らせないままだ。そのまま薄く開いた口元から、聞き慣れた音が俺に告げる。


「俺は手前のことが大っ嫌いだ」


夢だというのにこれでもかというほど、その響きはクリアで酷くうつくしかった。そのたった一言を最後に、また目の前のシズちゃんは口を真横に引き結び黙り込んでしまう。


「そう」


そつのない答えを聞くと、先程までと同じようにシズちゃんはまた左へと向かいそのまますうっと姿が消えて行く。
次は高校時代のシズちゃんが右からやって来て、俺は同じようにねぇと声を掛けて呼び止める。また大人しく止まった彼に同じ問い掛けを繰り返した。俺のことが嫌いかい?そして答えはやっぱり変わらなかった。俺はお前が大嫌いだ。そしてまたその姿を見送り、九十八人目のシズちゃんはまたゆっくりと左へ居なくなる。ああ、次でいよいよ九十九人目だ。

静かに現れたのは俺の予想を裏切らず、小学生くらいの容姿の俺より小さなシズちゃんだった。夢を見始めてからは何度も何度も小さな彼も俺の前を巡ったけれど、やはり接触が無かった頃の姿とあってその見た目は中々に新鮮だ。
色素の薄い髪に、赤いTシャツを着込んだ虚像の前に俺は座り込み、その視線を合わせてから声を掛けて呼び止めた。また同じように足を止めた、幼いシズちゃんが俺を見る。


「君は、」


知っている彼は、それでも俺の知らない彼だ。問い掛ける内容は同じだから、問い方を変えたことに深い意味はないと信じたい。夢の中の自分の行動が上手く操れないからだと、そういうことにしておく必要があった。


「俺のことが嫌い?」


わかっていることをどうして俺はこんな風に、見掛けの歳は違えど、全く同じ人物であるシズちゃんに執拗に問い質したりしてしまっているのだろうか。彼が俺のことを嫌っているなんてことは、俺とシズちゃんの間だけではなく言わば池袋全体で周知の事実だ。成るべくしてそうなった間柄を、夢の中で確かめる必要なんて当たり前だがどこにもない。そうちゃんと判っている筈なのに、どうしてか俺は様々な容姿の彼に同じ質問することを止めることができなかった。

幼いシズちゃんはまだあどけなさの残る表情で、また俺のことをじっと見る。その表情はやはり無表情のままで、感情らしい感情すら伺うことができない。いつもの俺が対峙する彼とは全くの真逆だった。


「当たり前だろ?」


それでも、視線はやはり幼くとも変わらずシズちゃんのそれに変わりない。二十歳を過ぎた今と同じ色をした瞳は、その奥にきっと嫌悪の念を滲ませているに違いないことだろう。


「俺はお前のことが大っ嫌いなんだよ、臨也」


俺のことを知らないシズちゃんですら、現実に逆らうことはしない。マニュアル通りの答えが綺麗に返ってきたところで、俺もその言葉を静かに受け止める。やはり信じた答えは変わらなかった。だからこそ思うわけだ、どうして自分はわざわざこんな下らない真似を働いているのかと。

小さなシズちゃんがしゃがみ込んだ俺の前を横切る手前で、背後がぐっと何かに圧し掛かられたような重みを感じで途端に視界が暗闇に覆われる。何だどうしたと思う余地も無く、次に瞳を開いて視界に映り込んできた光景は、何だかやたらと白く明るく感じられた。眩しい、俺が目を覚ましたのはどうやら眠りに落ちた自室のベッドの上だった。



背中に当たる感触の原因を確かめようと、無理矢理に近い形でぐいと寝返りを打つ。するとその正体は、ベッドの端に腰を下ろして煙草を燻らせているシズちゃんだった。白いシャツを羽織り、寝起きでその髪はいつも以上にやや乱れてしまっている。やがてもぞもぞと不自然に身じろぐ俺に気付き、そのまま不思議そうな瞳で見下ろして来た。


「何だよ」

「……………あと一人だったのに」

「はぁ?……夢で完全試合でもやってたのか?」


すっとぼけた見当違いの発言に、律儀に付き合ってあげられる余裕は残念ながら今の俺にはない。俺が言うあと一人は、百人目のシズちゃんを数えるまでという意味だったから彼にわかるわけもなくて当然だ。


「シズちゃん」


名前を呼んだらまたひとつ、なんだよという素っ気ない返事が戻って来る。多分今俺の思考回路は夢と現実の狭間をゆらゆらと彷徨っていて、何が本当に正しいのかがぐらりと揺らぎつつあった。


「…俺のこと好きですか」


一度吐き出しかけた言葉を飲み込みかけて、そして次に口から出してみたら何だかとんでもないものになってしまった。しかし何もかもが原因不明だった。けれどその言葉はあっさりと説明できるような安さでもないし、かと言え真面目なものだと思われても、ただの恥ずかしい頭の湧いた人間だと解釈され兼ねない。あれ、なんか色々矛盾してないかこれ。

きょとんとした表情で煙草を片手に、ベッドに寝転がったままの俺をシズちゃんが見下ろして来る。一度口から出てしまった以上返して下さいとは言えないところが実に悲しいところだ。どうしようもないついでに、俺もぼんやりと起き抜けのうつろな頭で、そんな彼の姿をひたすらに見返す。やがて視線がほんの少し気まずそうに逸らされてしまったところで、その口がそっと開かれた。シズちゃんの答えを聞くより先に俺は夢の中の彼の声を反芻し、予防線を張り巡らせる。おれは、おまえのことが。


「………だったら何だよ」


彼と俺の嫌悪と敵対の関係は絶対で、今こうして俺の部屋のベッドの上でふたつが同時に存在していることがまず異質だった。それなのに、それがおかしなことだと思わなくなってしまったのはいったいいつ頃からだったろうか。

巡って行ったシズちゃんの貝楼が俺に与えた隙間を、どうやら現実のものらしいシズちゃんが一言で以て補正する。照れ臭そうにはぐらかしたような答えが何よりも彼らしかったことに、夢の中のできごとがふっと和らいで行き、代わりにぐっと得体の知れない何かが襲いかかって来るような感覚を覚えた。馬鹿か、ただ否定されなかっただけなのに、馬鹿じゃないのか。

文句などはなにひとつとして存在しない。ゆるやかにだらりと伸ばした手を彼の首に回して、力任せにぐいとベッドの上に引き寄せた。焦ったような声が聞こえて、確かに煙草の火は正直なところ危ないと思ったが、それを気にする僅かな余裕さえ今の俺には見当たらない。
夢の中で数えて数えて数えて、その数はやがて百人目だ。ほらもう、いったいどうしてくれる。あなただらけじゃないか。



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夢のなかでは傷付いて現実ではやさしく
でもなんかうまくいきませんでした
つっこさんの「羊」を聴いて思いついたネタ



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