ローリカバリー・デイズ | ナノ






一難去ってまた一難。一難去ってはまた一難。
それを幾度と繰り返すことがもう既に、そもそも一難という言葉に当て嵌まらないんじゃないだろうかと、頭の中ではそんな呑気なことを考えていた。

しかしそんな前置きに何ら関係のない今の俺の状況だったりするのだが、いや、それでも全くの皆無というわけでもない。何故なら朝登校してきた教室には、俺の机が存在していなかった。だからこれはきっと普通ではない。ある筈のものがないのだ、そう、教室のちょうど真ん中辺りぽっかりと空いたスペースに、いつもなら自分の机手と椅子がワンセットきちんとそこに佇んでいる筈なのに。


「折原さん?どうかしたの?」


今日は出掛けに妹たちの奇襲に遭い、いつもの登校時間よりも些か遅れての出発になった。だからこんな風チャイムが鳴るギリギリの時間帯に、勢いよく教室に滑り込む羽目となってしまったわけだ。それでも何とか教師が教室に入る前より先に飛び込んだお陰で、遅刻としてのカウントはされずに済んだ。良かったとひとつ息を吐いて、机があるはずの位置に向かったらこれだ。教師も教師で、ぼーっと床上を見つめたまま鞄を手に突っ立ったままの俺を、不思議そうに見つめ問い掛けて来る。


「…んです、」

「え?」

「机がないんです」


他人事のようにさらりと呟いてしまった俺もどうかと思うが、若い女性の英語教師も俺の言葉に何をするわけでもない。「そ、そう」とぎこちない一言だけを返しそのままあっさりと受け流されてしまった。
この学園において、教師という役職に確固たる権限などはいっそ笑ってしまうくらいに存在しない。位置付けを決めるものといったら財力のみ、逆に金が無ければろくに物を言う権利すら存在していないのだから。

俺から言わせて貰えばそんな格付けは下らないの一言に尽きる。親が金持ちと言うだけで子どもの位置付けまで変わるという考え方がそもそも間違っている。
まぁしかしこの現代社会に置いて上下関係は無くてはならないものだし、仕方がないと言ってしまえばそれまでだ。要するに金持ちの御曹司やお嬢様ばかりが通うこの学園においては、一般庶民である俺がそもそもの異質であるかのように扱われてしまう。普通の公立高校に通えていたらならば、おかしいのはどう考えてもこの学園に通い、今立ち尽くしている俺の周りでくすくす小声で嘲笑っている連中だというのに。

教師は基本、授業を行うためだけに雇われたようなものだから、教育者というよりはただ喋るだけの機械に近い。今のようにおかしなことがあったから一応問い掛けてきたりはするものの、その雰囲気のそもそもの原因を察するや否や、すぐさまその状況をあっと言う間に回避する。生徒に物申す熱血教師なんて、俺はこの学園に入学して以来一度たりともこの目で見たことはない。誰も皆、結局は我が身がかわいいのだ。

卒業までを日々できるだけ地味に過ごすように努めていた俺が、ある日を境に格好の嫌がらせのターゲットとなってしまったのには、それなりに自らが何かを仕出かしてしまったという深い事情はある。

大抵靴が無くなるのは日常茶飯事だから、下駄箱に靴を入れずに持ち歩くことにしたりだとか、子供染みた嫌がらせに対応するのも正直言うと既に面倒臭い。それでも俺が一度刃向えば、小学生のような思考回路のボンボン共が面白がり、更に嫌がらせがエスカレートしてゆくのは目に見えている。だから敢えてそれもしなかった。

受け流すのは得意だ。だからけらけらと笑っている周りの連中を相手になどしない。俺は黙ったままくるりと踵を返し、先程入ってきたばかりの教室を鞄を手にしたままで颯爽と後にした。靡いた長い髪がそっと落ち着き、がらりと質の良いドアを閉じると、教室の中にざわめきが走る。どうせ俺のそつのない反応に、つまらないだとかざまあみろだとか、大方そんなネタで盛り上がっているのだろう。


「………くっだらない」


振り返ることすら癪に障る。目一杯嫌悪の意志を込めて一言呟くと、俺は足早に廊下を進んで教室を離れた。





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非常用のマークが点灯していた扉を潜り、たんたんと音を響かせその先に現れた階段を下る。そう広くないコンクリート製の非常階段は、その用途もあってか、滅多にこの学園の生徒が現れることはない。一人になりたい時はいつもここに来ては、唯一訪れる休息の時をこっそりと楽しんでいた。

普段ならば心穏やかになれる無二の場所なのに、今日は何分気が立っていた。俺だって一応人間だから神経はきちんと通っているし、苛立つものは素直に苛立つ。理不尽は例え相手が誰だろうと理不尽そのものだ。力任せにだん!と、踊り場の壁にローファーを蹴り付けて、やたら重苦しさを纏った息をこれでもかと盛大に吐き出してやった。


「…あー……むっかつく」

「…なにが?」

「へ、」


突然、誰も居ない筈の非常階段に凛とした音が響き渡る。慌てて下ってきた階段を振り返ってみたが、人影らしきものは見当たらない。が、そう思いきや、不意に視線を向けた更に下る反対側の階段の先に、寝転がった影を見付けてしまい思わずぎょっとした。

コンクリートの上に覗く黒髪と、その頭の上に乗せられた洋書。それを白い指先がついと摘み上げて、細長い身体がゆっくりとそこから起き上がる。階段で寝るなんて随分と器用だなと思ったが、今はどちらかというとそんなことを律儀に突っ込んでいる場面じゃない。

しまった、蹴ってるところ見られたかな。その行為自体がそんなに不味いと言うわけでもないが、それなりに自分を演じてきたこともあって、思わず反射的にそんなことを思う。そして起き上がった身体がひとつ背伸びをしてこちらを振り返った瞬間、ああやっぱり失敗した蹴るんじゃなかったと、すぐさま自分の行動を後悔する羽目となった。

顔の上に乗せていた本をそのまま片手に、眠っていた男はゆっくりと立ち上がり俺の傍らに歩み寄って来た。すらりとした細身の身体に、身長は俺より少し高めといったところだろうか。間近で直接その顔を拝むことはこれが初めてだったが、一方的にその容姿を眺める機会は今までに幾度となくあった。そしてできることなら今、俺が一番会いたくない人物と、最もその距離が近いであろう位置にいる人間として。

そう、一学年下の平和島幽は、あの平和島静雄のれっきとした弟だからだ。


「で?」

「え?な、なに」

「何でそんなにむかついてるんですか?」


静かにその首を傾げて無表情で問い掛けて来る様子に、他人事ながらテレビで見かける通り綺麗な顔だなぁと、そんな呑気なことすら思う。一方的に眺めている、というのは、平和島幽もとい羽島幽平が紛れも無い一流の芸能人として、華々しく日々活動を送る人物であるから、まぁつまりはそういうことである。
因みに俺の妹たちもこの男にそれはそれはもうぞっこんだったりする。そして彼をテレビでよく見るということは、つまりそれなりに売れていて毎日多忙ということになるだろう。だから俺は学園において、その姿を今までに一度たりとて直接拝んだことはなかった。


「…机」

「机?」

「机がなかったからむかついてる」

「机が?」

「そう、俺の机。さっき教室行ったらそれはもう綺麗に無くなっててさ」


突如として目の前に現れた存在に驚くことには驚いたが、彼が学園一、いや寧ろ日本一のお金持ちである平和島家の二男であることも、そんな家庭に属しながら芸能界で活躍していることも、言わば周知の事実だった。受け入れてしまえばそんなもので、どこまでも他人事である。
ここに通い出してからというもの、そういうぶっ飛んだものに対する免疫は人一倍鍛えられてしまったし、まだ平和島静雄本人じゃなかっただけマシか、なんてポジティブさすら感じてしまうほどだ。だから思わず淡々と、有りの侭の真実を平和島弟に向かって口にしてしまった。


「どうして?」


俺の隣に並んだ平和島弟は、それでもまだ不思議そうに問い掛けて来る。まぁ、確かに俺は平和島静雄に右ストレートを食らわす、という所業を働いて以来、やたらとその本人に絡まれてしまい、それが原因で平和島静雄の居ないところでこそこそみみっちい嫌がらせを受けている。だから当の本人の弟がその事実を知らなくとも、当然と言えば当然だ。


「君の兄貴を殴って、よくわかんないけどやたら付き纏われて嫌がらせされて、それが気に入らない連中が更に嫌がらせで俺の机を隠したってこと」

「ああ、じゃあ貴方が噂の折原臨也さん」

「へ…?いや、何で知ってんの?」

「そりゃあ言う通りの有名人ですよ。あとは兄からいろいろ聞いてます」


どうも初めまして、と。告げる表情もやっぱり先程から延々と無表情で、何だかテレビのドラマなんかで散々見てきた彼とはまた違った印象を受ける。が、しかし、兄という言葉が出てきて直ぐに、俺は自らの眉間に皺が寄るのを感じ取った。


「やっぱり俺早まったかな…ゴミ箱壊したのくらい黙って見過ごしておけば良かった…」


後悔先に立たずとはよく言ったもので、幾ら後悔しようと俺が彼をゴミ箱一個の犠牲の為に殴ってしまった事実が消えて無くなることはない。ひとりごちてまた深い深い溜息を吐き、踊り場の壁に背を預けて凭れ掛かる。


「確かにゴミ箱を壊したのは兄が悪いかも知れませんけど」

「そのゴミ箱一個の為に手出して俺のスクールライフは散々だけどね」

「兄は感情の起伏がちょっと激しいだけで。本当は穏やかで優しいんです」

「………へーそうなんだ。知らなかったなぁ」


一切取り繕う事のない目一杯の棒読みで答えると、平和島弟はきょとんとした表情で俺のことを見返して来る。だけど俺は自分の反応が間違っているなんて断じて思っちゃいないし、勿論訂正するつもりなんて更々ない。
ちょっと短気というだけでゴミ箱やら何やら学園の備品を壊すのは、どう考えたって普通じゃない。それを買い与えるだけの財力の後ろ盾が幾らあろうと、本来壊すべきではないものを壊していることには間違いないのだから。


「あ、ちょっとすいません」


不意に短く声を上げた平和島弟は、ポケットから着信を知らせる携帯電話を取り出す。また淡々とした口調で会話を繰り返しているこの隙に、そっと逃げてしまえば良かったのだと、後々になって俺は激しく後悔する羽目になったのだが。


「お昼」

「はい?」


電話を切るなりまた突然声を掛けられて、その断片的過ぎる単語に思わず首を傾げる。兄貴も変わっているけれど弟は弟でまた変わってるなぁと思いつつ相槌を返す。


「カフェテリアで御一緒しませんか?」

「へ…?いやあの、俺、お弁当あるから」

「じゃあ、そのお弁当をカフェテリアで食べるってことにしましょうか」

「はい…?」

「それじゃ行きましょう」


何かそんな台詞前にもどっかで聞いたことあるな。しかし記憶を辿れど、流石に最後の単語には違和感を覚え、更に首を傾げて慌てて階段を昇ろうとする背中を呼び止める。だって今は朝で、まだカフェテリアに行くにしては大分時間がある。それなのにご一緒に、の意味合いの含まれるエスコートじみた台詞は、どう考えてもおかしな所だらけだ。


「ちょ、ちょっと、行きましょうってどこ行くの」

「だって授業出られないんでしょう?机ないんだし」

「………まぁ、そうなんですけど」

「だったら丁度良いし、昼までのんびり机でも探そうかと思って」

「………はぁ?」


兄といい弟といい、平和島という名前の輩を相手にするとき、交わす会話において言葉遣いがこうも下品になってしまうのは果たして俺の気のせいなのだろうか。
いや違う、絶対に違う。強引で突拍子がなくて、本当に兄弟なのかと疑ってしまうほど性格が似ていないと思い始めていたところだったが、確実にこいつら2人は血の繋がった兄弟だと痛感せざるを得ない。

だって俺はまずカフェテリアに行く事すら承諾していないし、どうして机を探すのかも、自分が授業に出席するという選択肢が存在しないのかがまずおかしい。おかしいけれど、この学園においてそんなことは多分、おかしいの部類に属さないのだろう。


「あ、そうだ、さっきの」


くるりと一度振り返り、平和島幽はじっと俺を見据えてほんの少しだけ、その口元を緩めて穏やかに微笑む。長い前髪から覗く深い色の瞳が、優しげな色を滲ませるものだから、思わず一瞬だけ呼吸をすることを忘れてしまった。




「兄さんの貴方に対する行動は、たぶん嫌がらせじゃないと思いますよ」


それでも綺麗な顔が呟いた台詞は、到底俺の脳では理解に敵わず、やはり俺は何らいつも通りの「はぁ?」という微妙な言葉を返す他なくなってしまったけれど。




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