17 | ナノ


恋は盲目だとはよく言ったものだ。

それは実に様々な意味合いを含んでいて、特に好きになったことを自覚したばかりのころは、やたら相手の良い部分が突出して見えるというのはこれまたよくある話だった。俺に限っても例外ではない。何せ相手は男であって、根本的に盲目過ぎるだろうと突っ込まれてしまっても仕方がないくらいの要素だ。

それでも一度落ちてしまった以上、そう容易くそうでした男でしたじゃあやめておきます。みたいなノリで今の俺を俺自身が止めることができるなら、そう苦労はしていない。何となく存在するものが、なんとなく一緒にいるうちに大きくなってしまった。曖昧にしたいわけでも何でもなくて、止むを得ないことだったのだと言い聞かせては日々を過ごしている。




「鍋しよう、ナベ」

「…ああ?」


そう言って臨也は鍋のセット一式を片手に、いつも通り自らがオフの日に勝手に人の部屋に上がり込んで来た。いや、もう鍵を手渡してそれを承諾してしまっている以上、勝手にという言葉を使うこと自体がおかしいのかも知れないが。

今日は俺も偶然仕事が休みで、ぼーっとしながら気ままに休日の夕方を満喫していたところだった。そこに突然がちゃりと鍵が開けられ、臨也が何やら大荷物で部屋に乗り込んできた時は一度お互いに「なんでいるんだ」と驚いてしまった。

臨也が持ち込んだものは、そう大きすぎない鍋に火が要らない電気で鍋ができる台っぽいやつ、あとは大量の食材。重くて死ぬかと思ったと愚痴ったので、呼べば良かったのにと呟いたらまた笑われた。最近俺と臨也とのやりとりはこういう場面が何かと多い。
じゃあ準備はふたりでやろうと持ち掛けられ、狭いキッチンに並びながら俺は指示を受けて適当に準備をこなしていった。


「何でまた急に鍋なんだよ」

「え?だって冬と言えば鍋でしょ。シズちゃんの家に鍋無いの知ってたから一式わざわざ買って来たんじゃん」

「店に食いに行ったほうが早くねぇか、それ」

「俺は家でまったり鍋したかったの」

「ふーん………」


家という単語が出て来て、それでも場所が自分の家ではないというところを突っ込むか一瞬考えて結局思いとどまる。と言うか、言えそうで言えないことが段々と増えてきたような気がするのは気のせいなのだろうか。多分臨也に対するベクトルの変化が、結果として今までと同じような場面でほんの少しいつもと違う感情を生み出す。

割合思ったことはすぐに口に出すタイプだったから、よくよく考えなければついぽろりと有り得ないことを言ってしまいそうになってやや焦ったりもする。それはここ数回、臨也がオフの際俺の部屋に出入りするようになってから気が付いたことだった。

鍋がくつくつと、手始めにコンロの上でいい具合に煮込まれている。適当に市販の鍋用のだしを突っ込むのだろうと思っていたが、臨也はネットでプリントアウトしてきた鍋のレシピを片手に、きちんと出汁を取る所から作り始めるこだわりっぷりだった。


「シメはやっぱり雑炊かなぁ」

「それはいーけど…あんま具材入れすぎんなよ。腹いっぱいで要らないっつーオチになんぞ」

「シズちゃんが頑張って食べてくれれば問題無し」

「うるせーよ手前はもっと食え。もやしみてぇな身体で偉そうなこと言ってんじゃねぇ」


はた、と我に返って隣の臨也に視線を向けたら、嫌な予感は見事に的中し、にやにやと笑みを浮かべた顔が俺を見上げている。しまったと思ったが時既に遅し、臨也はにやつくその表情をそのままずいと近づけて、俺の顔を覗き込んで来る。思わずやや後ろに仰け反る格好になってしまった。


「シズちゃんのえっちー」

「………うっせーよ黙って作れ。腹減ってんだよ」

「ふふ、はいはーい」


生返事をかえしてきた臨也だったが、結局にやついたままの顔でとんとんと包丁でにんじんを切ってゆく。傍から見たらとんだ料理好きだ。いやそういう問題でもねぇけど、つーか俺は別にそういう意味で言った覚えは、多分ない。

一通り心の中でそんな言い訳をしても、だからと言って別に自分の発言が間違っていたという結論には至らない。だから無駄なのだ、何を考えても何を言い訳しても、俺は臨也の身体が細いことを嫌というほどわかってしまっているから。


「おや、また溜息吐くの?」

「吐かねぇっての」

「溜息吐くと幸せ逃げるんだって。だから頑張って飲み込んだら?」


誰のせいだと思ってやがる。思い切り心の中で吐き捨てて、その意志はじとりと睨み付ける視線に込めるだけにしておく。なに?臨也が小首を傾げてこちらを見たが、出そうになった溜息を言われた通りに飲み込んで俺はまた手元の野菜を洗う作業を再開した。




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「おい、携帯鳴ってんぞ」

「え?あ、ほんとだ」


狭い机の上に鍋を設置して、一通り食べ終えたところで耳に小さく響いた振動音に気付いた。俺は自分の携帯を律儀にマナーモードに設定していなかったから、すぐにそれが臨也のものだとわかる。声を掛けると、臨也はごそごそと着てきたジャケットのポケットを探し始めた。

取り出した携帯の画面を見るなり、一瞬臨也がその表情をごく僅かに顰めたのかわかる。どうやらあまり対応したくない相手のようだった。俺はテレビを眺めるふりをしたまま、横目でちらりとそんな様子をこっそり伺う。


「…もしもーし。なんか用?」


あからさまなほどやる気の無い声は、言葉を重ねるごとに段々さも忌々しげな口調へと変化して行った。余り聴いたことねぇ声だな。基本普段から人をおちょくったような物言いばかりだから、その様子は中々どうして新鮮なものに感じる。


「ああ…あの人なら仕方ないか。……あーはいはい、わかったわかった。場所は?」


うん、うんと。短く返事を繰り返して臨也は電話を切るなり溜息を吐いた。おまえさっき人に幸せが逃げるだの何だの散々ケチ付けといてそれどうなんだ。思ったけれどやっぱり言わなかった。思ったよりも溜息を吐く臨也の様子が、いつもより大分暗く感じられたからと言うか何と言うべきか。


「……雑炊まだなのに」

「は?」

「ごめん、急に仕事入っちゃって。すぐ行かないといけないから後片付け頼んでもいい?」

「…仕事?」

「そ、貴重な休みなのにさぁ。まぁ、ご贔屓さんだし裏の事情もあって断れなかったらしくて」


やれやれとまた溜息を吐きつつも、臨也は傍らに適当に畳んであったジャケットを着込み、立ち上がると電話をそのままポケットに仕舞い込んだ。俺もつられるようにして立ち上がり、後を追うようにして玄関へと向かう。冷えた廊下は裸足の足裏にやたらと冷たく感じられた。

靴を履き終えた臨也がくるりとこちらを振り返って、片方が長めの前髪の隙間から覗く瞳が俺を捉える。瞬間どきりと心臓が跳ねたのはたぶん、気のせいじゃないと思う。


「今度また鍋しよう。そのときはちゃんと雑炊ね」

「あー……おう。気付けてな」

「ん、ありがと。じゃ、お邪魔しましたー」


ひらひらと手を振って、どこまでも明るい口調を保ったままで結局最後はいつもの臨也に戻り、部屋には俺一人だけが取り残されてしまった。



雑炊、一人で作っても食い切れんのかな。

そんなことをぽつりと思う。臨也がこれも食えあれも食えと次々盛り付けては急かすせいで、若干いつもより食べ過ぎてしまったくらいだ。どうやら相当鍋のシメに期待を抱いていたらしい。それであの落ち込みようって、今時子どもだってもうちょっと良いもん欲しがるだろうに。雑炊って、なんだよ。



けれど事実、子どもはまるで俺のほうだった。臨也が笑って出て行った瞬間、幼いころ留守番を言いつけられ両親が仕事に行くのを虚勢を張って見送ったような。大体の感覚として今はまさにそんな気分だ。もっと簡潔に言うなら、きっと単純に寂しかった。

実に幅広い意味でのその寂しさとやらは、臨也を好きになることで色々と湧いていた俺の頭を、途端に冷静な場所へと導いてくれた気がした。静かに、しずかに言い聞かせて来る。そうだ、なんで気が付かなかった。馬鹿か俺は。

臨也が出て行ってしまった扉をじっと見つめたままで、その視線が逸らせない。臨也はそこに居ないのに、足がまるで根を張ってしまったようにぴくりとも動かなかった。



(………なに勘違いしてんだ俺)



気紛れで部屋に押し掛けようと、一緒に眠ろうとキスをしようとなんだろうと、臨也にとっては他愛も無いことだ。俺が意識しては特別に据えていた事柄のひとつひとつが、順番に冷たい海に落ちて行く。その感覚が結果として寂しさを呼び寄せてしまうのだろうか。

あいつはあいつだ。仕事は仕事としてこなすから、別にそれを何とも思っちゃいない。たぶん俺は臨也がそうして家に押しかけてくる数を重ねては行くうちに、勝手に都合の良い解釈をしてしまっていた。俺にとって臨也が特別なら、臨也にとって俺が特別なのかも知れない、なんて馬鹿なことを。

キスしてくれたのが初めてだと笑って言った臨也の顔が瞬間的にくすんでゆく。額に手の甲を押し付けて、くしゃりと前髪が乱れる音がした。忘れたくないなとただ思っていたそれが、ぜんぶ無くなって行ってしまう気がし始めていたから。

たぶん最初からこうなることが決まっていたような気がしてならなくて、それが何よりも遣る瀬無かった。わかっていたことかも知れない、それが見えていなかっただけで。

行くな。そんな死んでも言えないような言葉を口にできなかったことを、一人きりのひんやりとした玄関先でただひたすらに後悔するばかりだった。




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