静雄がヤクザの若頭設定で切→甘 | ナノ




★静雄がヤクザの若頭設定で切→甘




キスはいつだって煙草の味しかしない。

だからそれ以外には何を思うわけでもないことを俺は重々承知している筈なのに、別に好きでも何でもない煙草の苦みを、衝動的に無性に食らいたくなる時がある。だからそういう時、俺は我慢をするでもなく彼の唇を遠慮なしに頂くことにしていた。

だからそれの延長線上にあるものがキスだとばかりずっとそう思っていたというのに、どうやらそれは思い違いだったらしい。キスにそれ以前のへったくれも何もあるわけがない。そう、だからそれを自覚した辺りで俺はようやく、彼とのキスが苦みを欲するためだけではないということに気が付いた。

机の上に土足で乗り上げ、挨拶代わりに椅子に深く腰を下ろした彼の胸倉を掴んで唇に噛み付く。身を乗り出して強請るように唇に歯を立てて、その感触をじっくりと味わう。舌に感じる苦みは俺の脳の中枢をじわじわと溶かして、ほかのものでは到底補うことのできない満足感をいつだって確実に与えてくれる。そう、これは煙草の味だからじゃない。キスはいつだってシズちゃんの味だった。





「もうこういうの、やめろ」


白いスーツを身に纏い、金髪は極端に片方に寄った分け目とその片方が耳に掛けられている。それでも長い前髪は基本的に額を半分ほど覆い隠していた。何らいつもと変わりない、仕事用の彼の装いだった。

「…こういうの?」

いつもながらに机に座り込んで交していたキスを中断され、突然言われた言葉がこれだ。特段何を思うわけでもなく、自らの口から零れた声は必然と怪訝な色を滲ませてしまう。

一度離れてしまった唇は、いつもならまた直ぐに重なるというのに今回はそれがなかった。シズちゃんは深く椅子に座り直して、机の上の俺のことを目を細めて見上げてくる。

「お前とのことを疑われてる。今日、幹部の集まりでそう言われた」

やましいことは神に誓ってないつもりだった。キスはキスでやましいことかも知れないし、下世話な話をするならそれ以上の行為に及んだことがないとは言わない。尚且つ俺は頭がそう悪いわけでもなかったから、彼の言う所謂疑われるようなやましいことの意味を直ぐに察知することができた。

「…大事な若頭が、得体の知れない情報屋に媚売ってはうつつ抜かして、いつか組の足元掬われるんじゃないかって?」

シズちゃんが何も言わず目を伏せたので、俺の言ったことはどうやら図星だったらしい。適当に言葉にしたつもりの予想は大いに現実だったとか、笑いたいところだけれど笑えない辺り、俺もそれに対して流石に何も感じないわけではないようだった。意外と脆いばかりの造りで構成され、大して頑丈にはできていない。こんなことは起こりうる事態として、寧ろ十分に想定していた筈なのに。

彼は若くして組を束ねている、そして俺もまた若くして世をふらりふらりと渡り歩き情報を売り捌くことを生業としていた。別に情報屋に若いも何もあったものではないと思うが、彼の場合は腰を落ち着ける位置付けからするとその歳はいっそ十分過ぎるほどに若い。周りの幹部には一回りも二回りも年が上の輩がごろごろと転がっているくらいだ。

それでもその中で威厳を保ち、基本的には寡黙に、存在としてはシンボル的な強さがあった。俺が知る限りでも彼の組はここら辺りでは一番の有力さを誇っている。

だから、その周りの年を重ねた幹部たちが俺のことをいとましく思うこともわからないでもない。まず若いし胡散臭い、ぺらぺらと余所で余計な情報を喋っては他の組に有益な真似を働いたり、大事な若頭をたぶらかされ手玉に取られてしまっては堪らないのだろう。考えていることはまるで手に取るようにわかった。

「お前と手を切るか、組を外れろ、だそうだ」

極端すぎる二択は実に単純でわかりやすい。彼が組を裏切る筈も無く、ましてやこの世界では外れなんて単語は建前ばかりだ。イコール命はないものと同じだった。
屈めていた身を起こし、それでも机の上に座り込んだまま彼の姿を見下ろす。こうしてじっくり見ると白いスーツ以外はやはり年相応と言うに相応しい。若すぎずだからといって老け過ぎず、俺と似たような年頃だと言われれば直ぐに納得がいく。

先程までの甘ったるいキスの余韻などどこへやら、彼の呟いたやめろというたった一言それだけで、部屋の中はたちまち殺伐とした空気のみに支配されてしまった。いや、元より甘い部分など無かったのかも知れない。過剰に表現したまでの幻想だったのだろうか。

「そう。年寄りに囲まれるのも大変だねぇ。息苦しくならない?」

「…元々こういう場所だ、別に何とも思わねぇよ」

彼の言葉が嘘だろうと真実だろうと、そんなことを見極めるのはたぶん俺じゃない。秤にかけられていようと何だろうと、所詮は止まり木に止まっていた俺だけが最初からその枠の中に属していないだけだ。異物は排除、蓋をするよりずっと綺麗に掃除ができる。シズちゃんの口にした手を切るという言い回しすら、随分と生易しいものに感じられた。

ポケットに突っ込んでいたナイフを取り出して、ぱちんと弾き出した刃を彼に向ける。そんな些細な脅しで彼が怯むわけも無く、静かな視線はゆるやかに滑りやがて俺を見つめる。元々口数が少ない事を承知してはいたが、今ばかりはどうにも居心地が悪かった。

「優しいね、シズちゃんは」

嫌味のつもりでそう言ってはみたが、シズちゃんは当然その表情ひとつ変えることは無い。彼が先程言ったこういう世界というのは、つまるところそういう意味だ。こんな小さなナイフひとつで怖気つくようじゃこの界隈を取り仕切る組の頭などは務まらない、彼が居る世界はそういうところだ。だから、彼にとっては俺だけがいらない。

「刺すのか」

「刺さないよ。そんな事しても最終的に刺されるのは俺の方じゃないか。それ以前に東京湾に沈められちゃいそうだけど」

ぐい、不意打ちで腕を掴まれて、俺の手元からはナイフが手元から滑り落ちてかしゃんと床上に落下し音を立てた。カラカラと回る音が静かな室内に響き渡るころには、彼と俺のくちびるが音も無く重なり合う。ただ音がしなくとも、触れた熱を感じることはできた。

先程と同じ相手に同じことをしているだけの筈なのに、どうしてか俺の内側が感じるものは面白いくらいにさっきまでとは違っていた。シズちゃんの手がコートの隙間に忍ばされ、そのまま腰がぐっと引き寄せられる。それでも、机から下ろされるほどの強い力ではない。合わさった唇同士を擦り付け合いながら、彼の手は俺の身体の至るところを這い回る。かしゃん、またひとつ乾いた落下音が聞こえた。

「…お前、何本ナイフ持ってやがる」

彼の手が俺の身に潜めた隠しナイフを探り当て、それを落とした音だということは気が付いていた。口付けの合間に咎めるように言われたけれど、俺は何も答えないまま彼の唇に噛み付く。舌の感触をもっと感じたい、どうやらこれが最後になるようだったから。そう考えると名残惜しさを覚えずにはいられない。

ごと、ナイフがまた落ちる。キスを与えられながら俺の武装は徐々に手薄になって行く。些か感覚としては、まるで服を脱がせられているようだなんてことも頭の端で考えたりした。ごとん、睡液の混じり合う音の合間にまたナイフが俺の身体から彼の手によって落とされた。

ようやく全てのナイフが身体から剥ぎ取られると、唇はそっと離れて行った。彼の舌は変わらず苦みを帯びていて、どことなく感傷的になってしまったのはきっとそれが原因だと思う。味わい足りない気もしたけれど、最後は最後だ。始まりがある以上いつかは訪れるもので、それが今もたらされただけの話でしかない。人生とは常にそういう流れで構成されているものだとちゃんとわかっていた。

「じゃあね。精々早死にしないようにしなよ」

笑って机の上に立ち上がると、俺の身体に回されていた彼の腕はそれを引き留めるわけでもなく呆気なく離れて行った。いつも靴で乗るなだのなんだって口煩く咎めるくせに、こういう時ばかり彼の口は大人しい。だからきっとあんな風に苦いのかも知れない。

そのままシズちゃんに背を向けてひらりと床上に着地する。迷いなく足はドアへと向かった。あとはノブを掴んで開いてここから出てそれを閉じるだけだ。そんな呆気ない動作ひとつで、俺と彼との関係はいとも容易く断ち切ることができる。

リスクがないとは言わない、どちらかと言えば俺とシズちゃんはハイリスクな間柄だ。それこそナイフ一本じゃ心許無いくらいには、俺は彼を取り囲む環境に少なからずそういった警戒心を抱いていた。

それでも何かが欲しかった。何を強請るわけでもなく、キスひとつで満足する日も少なくなかったくらいの、そうまるで純情だ。浅はかだった思考と考えにほんの少しばかり嫌気がさしたが、瞬きを一度繰り返すくらいのことで、そんなことは直ぐに思考から排除することもできた。


「臨也」


名前を呼ばれて脳が働くより先に、俺の身体は今まさに出て行く筈だったドアに背中を押し当てられる格好となる。なんだよ、声には出せなかったけれど、ただ単純に驚いた。何を取り繕うこともできずにただ静かに俺の前に立ちはだかるシズちゃんを見上げる。先程までとは高さが逆転してしまっていた。


「お前、情報屋やめろ」

「………はぁ?なに言って…」

「やめろ。そしたら俺にだって、」


守れる。そんなことを呟く彼の瞳が見た事もないほど切羽詰まっていて、必死に押し寄せる感情に抗い平静を保っていた俺の最後の武装は、呆気なく冷静さを失ってしまった。


「…っ、はは!やめなよ。そういうのシズちゃんらしくない」

「やめろ」

「無理だってば」


言い聞かせるような言葉にシズちゃんがその表情を険しいものへと変えて更に俺のことを食い入るように見つめてくる。


「守って貰うほど弱くないよ」

「そういう問題じゃねぇ、俺がそうしたいだけだ」

「………シズちゃん、そういうの何て言うか知ってる?」


独りよがりっていうんだよ、だなんて。

言い掛けてやめた。俺も然程彼とその点において大差がないような気がして、掴まれている手に触れる彼の手が一瞬強張ったのを感じ取ったから。腕一本分、俺は言葉を飲み込む。そのくらいの優しさを彼に分け与えるのが結局のところ精一杯だった。

やめることが嫌だったわけじゃない、だからと言って守られるだけの存在になりたいのかと問われればそうじゃなかった。躊躇う事がひとつずつあって、それを並べては確かめるたびに俺は彼と過ごす時間の存在意義を少しずつ確実に見失ってゆく。そういうのが嫌だったから、キスがもたらす苦みだけに浸りそんな時間の中で生きていたかった。


「シズちゃ、」


名前を呼び切ってしまうより先に、重ねられすり寄せられた額と額によって、俺の言葉はまるで瞬間空気の一部になったようにどこかに消えて行った。前髪越しに伝わる熱が溶けて、彼がそのまま溜息を吐くので俺はどうしてか苦しくなった。喉の奥が痺れたような感覚に襲われ、頭の中がくらくらする。視界いっぱいに広がるシズちゃんをできれば全て脳に収めたいのに、それを許してくれない。


「…裏切るわけには行かねぇんだよ。組も、お前も」


言葉の持つ重みとやらがわからないわけではなかった。それでも俺が彼の中の「うらぎるべきではないもの」に属していたという事実が発覚したことだけで俺としては大いに満足だったので、もう何もいらないや。そう思って瞳を伏せた。間を置かずして口づけられ、最後と惜しんだはずの感触をあっさりと手に入れることができてしまった。ああうん、もういい。本当になにもいらない。

俺の独りよがりと言えば、隠し持っていたナイフが実に良い例だ。今はもうシズちゃんの手によってひとつひとつこの身から剥がされていってしまったけれど、彼と初めて会った時よりそれの数は半分以上に減った。会う回数を重ねるたびキスを交すたび、俺はナイフを一本ずつ自分なりのタイミングで捨てて行き、次第に何も纏わぬ身軽さを覚えつつあったから。

それでも全てを捨てるにはまだ遠かった。彼と俺にはもっと時間があると思っていたから。ああそうだ、減らしたりしたのがいけなかった。どうせ素直に頷いてこの白い背中を抱き締める腕も持っていないのなら、背から刃を突きたてて彼ごと俺もこのまま果ててしまいたかったとすら思う。




そう、ナイフがあと一本、あれば。




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甘いのどこいきましたか




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