世界に愛を告げたなら

――暗愚、いっきまーす。
この世界では私しか知らないだろうセリフを心内でこぼすと、するりと書庫に忍び込んだ。
私は案外不真面目なのだ。
此処にはただ書簡を読みあさるためだけに来た。詩とかよんでられるかこのやろー。というやつである。
というか私に詩の才能はないということがよくわかった。詩というとどうしても俳句を連想してしまって、仁の世を 実現したい がんばるぞ ぐらいしか出来ない。今も昔も私は理系脳である。というか仁って人の世であって仁の国じゃないんでしょ?じゃあもう戦やめよう!
……あれなんかバカにされた気がした。気のせいか。
隅に書簡を持って行ってこっそり読む。
うん、やっぱりこっちのほうが面白い。あんまりに面白かったので、珍しく周囲を警戒し忘れていた。


「……劉禅様」
後悔した。
警戒は怠るべきではないと、今どき幼児でも知っているような事を軽んじた私を恨めしく思った。
「…孔明」
冷ややかな眼差しを塞いでしまいたかった。いっそ本当に暗愚だったなら、なんて。
「このようなところに居られたのですか」
中に踏み込んだ孔明が、ちら、と書簡の棚を見渡す。
……少しでも希望的なことを言うならば、バレたのが孔明で良かったと思う。
これが他の――例えば馬超とか、そういう類の人間だったなら、私はこんな事を考える僅かな余裕すら奪い取られていたのだろう。
「……兵法書、年間の人口、兵、農民の変動表、近年の病の記録、ですか」
…まさか棚においていない書簡を逆算して答えたのだろうか?
思わず引きつりかけた顔を強引に笑みに切り替える。
「孔明はかしこいなぁ。そうか、これはそういうものなのか」
我ながら強引なしらばっくれかただ。
孔明には先程の話で完全にバレていると思う。感情の読めない顔の孔明が、滑らかに口を開いた。
「劉禅様に向いたものはあちらに有りますよ、これは……」
「農民に比べて、兵の人数が異様に多いな。蜀は案外随分な軍事国家らしい」
こんなんじゃおまんまくいっぱぐれますけど?
……それがわかってるから孔明さん色々必死にやってるのか。
「……そう、ですね」
「ああ、心配しなくていい。皇帝が下手に内政に口を出すと上手く立ちいかないことが多いのだろう?」
書簡をいそいそと片付けながら、笑ってみせる。
「いえ、……そのようなことは」
「そのようなことはある。……そうだ」
懐からクッキーを取り出す。あとで食べようと思っていたのだが、仕方ない。
「…食べるといい。疲れた顔をしている」
え、私のせい?いえ、そんなことはあるけど。
「それは、劉禅様が?」
「……そうだ、私が作ったのだ」
なんてことはない秘め事。
秘め事を一番最初にバラすのは、蜀の忠臣のこの人だったらしい。
「この知識は何処で得たものですか」
「ふふ、何処だと思う?」
くるり、とターンして、日の差す廊下に踊り出た。
背後に降り注ぐ日光が、私の前に深い影を落とす。

「1800年先の世界、だ」

仄かな甘い香りに包まれて尚、その空気は鮮やかに醜悪だった。
「…お戯れを」
「戯れのつもりはなかったのだが…すまない孔明」
「……夢の話では?」
「私には此方が夢だと、そう思えてしまうのだ」
「現は先の世だと、そう言われるのですか?」
目を細める。口元を釣り上げる。
心からの笑みだった。
「そうだなぁ、そうかもしれない。…されど、私はこの世界を愛しているぞ」
なんだか楽しいと、そう思ったのは幾分と久しぶりだ。
「……劉備殿の威光のなせる技、でしょうか」
「威光にしては残念な化け狐ではないだろうか?」
なんとなくそれでいいのか、なんて。随分と今更ではあるけれど。
「化け狐には見えませんが」
あえてその言葉を無下にして、うっそりと微笑む。
「…未来予知で遊んでみよう」
「予知、ですか…」
「あまり期待してはいけないぞ。あくまで貴方は軍師だ」
――丞相でもあるけれど。
それでも、予知なんかで思考することを破棄してはいけない。
「姜維は、貴方の弟子は随分と一途だ。……一途すぎるとだめになる」
気をつけるのだぞ、孔明。

返答は聞かなかった。孔明に背を向けて、するりと城の細道に入り込む。

――暗愚でよかったのに。
いまさらだ。
わたしはいつも。
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