とある国にとても美しいお姫様がおりました。彼女は優しくて気立ても良かったので、民からも大変慕われていました。
しかしある時、お姫様は流行り病で王様とそのお妃様を亡くしてしまいます。そして唯一の肉親であった弟も、そう経たない内に戦争で亡くなってしまいました。
そのことがお姫様は悲しくて悲しくて、毎日泣いてばかりいました。そうして毎朝毎夕泣き暮らす内に、気付いた時には可哀想なお姫様はすっかり表情をなくしてしまいました。
怒りも悲しみも、何もかもが判らなくなっていたのです。

笑えなくなってしまったひとりぼっちのお姫様は、独りお城の中に閉じ籠もってしまいました。
初めは可哀想にと思っていた民でしたが、時が経つに連れて全く表情を変えないお姫様を気味悪がるようになりました。終には民の誰もがお姫様の居るお城に近付かなくなってしまいます。

そんな中、ひとりの王子様がお姫様を訪ねにやって来ます。彼は隣国の王子であり、お姫様のかつての友人でもありました。
実は、王子様はお姫様のことが好きだったのです。王子様は、お姫様の身に起こったことを聞くと居ても立ってもいられず、隣国へとやって来たのでした。

しかしお姫様は王子様との再会を喜ぶこともせず、「可哀想に、可哀想にと思う同情だけなら、私に近付かないで下さい」と言ったのです。



―――



「吹雪っ!」
豪炎寺は、その姿を視界に捉えた途端手に持っていた傘を放り出し、祭壇へと駆け寄った。
「おい、しっかりしろ!」
ぐったりとして動かない吹雪を助け起こすと、意識が朦朧としていながらも瞼を薄く開いて此方を確認しようとする彼を見、安堵の吐息を零す。しかし同時に、そのあまりの冷たさに驚愕した。
しとどに濡れた銀髪やその身に纏うジャージから滴る雨水が、どれくらいの間吹雪がこのどしゃ降りの雨の中に居たのかを暗に示していた。元から白い顔はより蒼白なものになり、かと思えばその頬は異常な程に赤く、その薄い唇から吐き出される息は熱い。吹雪の額に触れた豪炎寺の顔が、小さく歪んだ。
一方、吹雪は朧気ながらも漸く焦点が合って来たらしく、此方を覗き込む豪炎寺を至極不思議そうに仰ぎ見る。
「…あれ、…ごう、えんじ…く…?」
なんで、ここにいるの。
高熱故か呂律が上手く回っていない吹雪は、舌足らずにそんなことを言う。豪炎寺はそれに口を開き掛けるが、吹雪の「ああ、そっかあ」という一声に再び閉口してしまった。吹雪はと言うと、ふにゃりと相好を崩して、
「…これ、ゆめなんだね」
だって、そうじゃなきゃおかしいもん。大粒のエメラルドにほんの少し哀愁の色を混ぜ、両眉を下げる吹雪は「まるで、あのときよんだ おはなしみたい」と夢見心地に語る。
王子様が、お姫様を迎えに行くあの話。僕の為だけに用意された、ご都合物語。けれども、僕の場合は違うのだと吹雪は言う。
「ぼくは、同情でも…なんでもよかった…。すこしでも長く、ごうえんじくんと一緒にいられるなら…」
何かにつけて彼の隣に居られるのなら、何でも良かった。
「ふぶ、」
「いいんだぁ…、だって、わかってるから…」
何を言っているんだと声を掛けようにも、熱に浮かされた今の吹雪には届きそうにない。先刻から支離滅裂な話をする吹雪を、一刻も早く宿舎へ連れて帰らなくてはと思う豪炎寺だったが、次に吐き出された吹雪の一言に一気に思考が冷えた。

「だって、どうせなくなっちゃうんだから」
「…!」
「とうさんも、かあさんも……アツヤも、」
ぼくが好きになったひとはね、みんな、みんないなくなるんだあ。
何でもないようにへらりと微笑う吹雪に、豪炎寺はその眼を見開く。だが、吹雪は彼の様子に気付く筈もなく「だから、いらないの」と続けた。
「ぼくさえ なにも言わなければ、だあれもいなくならない。好きだよって言わなければ、なにもなくならない」
良い考えだと思わない?
「ぼくは、だれかがしあわせなら、それでいいんだあ。おはなしみたいに好きなひとと結ばれるの」
「…吹雪、」
くすくす楽しげに微笑う吹雪は、豪炎寺の呼び掛けにすら反応を返さない。
「でも、ぼくはだめなんだよ。だって、いなくなるんだもん」
「吹雪…!」
「でもね、どうしても好きなひとができちゃうんだ。くるしくて、つらくて……これならぼくも、あのお姫さまみたいに なんにもわからなくなりたかった、」
「っ、士郎!」
堪らず、豪炎寺は自分が濡れるのも構わずに吹雪を引き寄せた。自分よりも小さく華奢な体躯を抱き締め、半ば祈るように囁く。
「もう良い、…もう良いから…」
「ごう、」
えんじ、くん。
思いがけなく与えられた温もりに瞠目する吹雪は、久方振りになる人肌の心地好さにその身を委ね掛けるも、はたと気付いてだめだよと空笑い。
「きみが、ぬれちゃうよ」
「…構うか、」
豪炎寺は、胸板に手を付き押し戻そうとする吹雪のその指先を絡め取ってそう吐き出す。豪炎寺にとって、衰弱し切った今の彼を制するのは容易いことだった。
逃れんとする吹雪を離すまいとして、豪炎寺はその腕に力を込める。それに対し吹雪は一度二度と抵抗を試みるが、その余力も殆ど残っていないからか、少し時間を置いて大人しくなった。
その直後、豪炎寺は自身の腕の中に収まる人物が小さく肩を震わせていることに気が付く。
「士郎…?」
痛かっただろうかと懸念する豪炎寺とは裏腹に、「やっぱり、ゆめだよね」と吹雪は呟いた。
「さっきから、うれしいことばっかり。…名前なんて、もうだれにもよばれないと思ってた…」
その声には、所々嗚咽が入り混じっていたように思われる。満足に頭が働いてくれない上に感情の制御もままならないのだろう吹雪は、ぽろりとその瞳から大粒の涙を零した。
白い肌を幾筋も伝ってゆくそれを目にした豪炎寺は何事か悟ったらしく、何とも言えない表情をその顔に浮かべる。雪崩事故で家族を亡くした吹雪は、もう長いこと下の名前で呼ばれていないのだろう。エイリア学園の事件の後、吹雪をキャラバンで白恋中へ送り届けた際にも彼を出迎えたチームメイトは皆「吹雪」と苗字で呼んでいた。両親や兄弟、親戚がひとりでも居れば自然と呼ばれる個人を表すそれも、吹雪にとっては此処数年全く意味を成さなかったことになる。
豪炎寺でさえ帰宅すれば父や妹、家政婦のフクに呼ばれるそれを。吹雪は、もう何年も呼ばれていない。
「……」
「ぼくね、高望みなんてしちゃいけないと思ってたんだ。こんなの、ただのわがままだもん」
それに、しばらくしたら もうどっちでも良くなった。
「…でも、呼ばれるとやっぱりうれしいんだ」
ありがとう、ごうえんじくん。
ふわりと泣き笑いを浮かべた吹雪に、豪炎寺は自身の内で何かが弾けたのが判った。


// top
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -