同情だけなら、士郎に近付くんじゃねえぞ。


あれは、沖縄で再びイナズマキャラバンに参加することになった2日目の夜だった。稲妻町への帰路を辿るキャラバンも、日が暮れれば路肩の空いたスペースを拝借して停車する。それから皆銘々寝袋を準備し、床に就く。照明を消してから少しの間談笑していた仲間たちがひとりふたりと眠りに落ちて行く中、俺はひとり寝付けずにいた。沖縄に居る間は土方宅に世話になりバスの旅から暫く疎遠になっていた為か、久方振りになる座席の硬さに若干の寝苦しさを覚えながら寝返りを打つ。すると其処で先程まで居た筈の同席者の姿がないことに気が付いた。
「…吹雪?」
試しに未だ口に慣れ親しんでいない名を呼んでみるが、望む応えが返って来ることはなかった。視線を横にずらせば、シートの上に綺麗に折り畳まれた寝袋を見付けた。それが微かに熱を持っている点より、吹雪が抜け出してからそう時間が経っていないだろうことが窺える。因みにカーテンを挟んだその先は依然として闇に呑み込まれており、時間を確認するまでもなく真夜中であることが判った。
仲間たちの寝息だけが響くキャラバンには、自分以外に起きている者の気配は感じられない。
「……」
俺は身体を起こすと、音を立てないよう慎重に両足を地に据える。キャラバンから降りる際、背後からゆうと、と甘えたような声が聞こえた。起こしてしまったかと肝を冷やして其方を視線だけで追った所、幸せそうな表情を浮かべて眠る円堂が目に入った。何だ、寝言かと安堵するのと同じくして彼の左手が掴んでいたものに注目する。それに思わず吹き出しそうになり、寸での所でどうにか押し留めた。
(円堂の奴、鬼道の手を握ったまま寝てる…)
そう言えばこのふたり、付き合っていたんだっけか。離すまいとしっかり握られたその手は、まさに彼らの絆そのものであった。朝起きてからそれに気付いた鬼道の反応を想像して喉の奥だけで笑い、俺はステップに足を掛けた。

外に出た途端、ひんやりとして冷たい空気が俺を包む。その寒さに自然と筋肉は緊張し、俺は薄着ではないが決して厚着という訳でもないジャージの前を手繰り合わせた。ポケットに両手を突っ込み、暗順応によって暗闇に慣れて来た眼で周囲を見渡した。今夜の停留所は小さな湖の辺であり、その水面には夜空で爛々と輝く満月が映り込んでいる。
吹雪は直ぐに見付かった。彼はと言うと、湖の側にある岩に腰掛けて心此処に在らずといった風に中空を見つめている。月明かりを浴びて輝く銀髪が少し頼りなく思われた。俺はその様子に多少の不安感なるものを抱きながらも、彼の小さな背中を軽く叩く。するとどうだろう。途端に吹雪は大袈裟なくらい肩を跳ね上げ、此方を素早く振り返り見る。その時の彼の顔には、恐怖とも取れる情が滲んでいた。しかしそれも束の間、動作の主体が俺だと判ると吹雪はそれまでの緊張を解き、何だ、豪炎寺くんかと微笑する。俺はその反応の速さと順応性の高さに驚きを隠せないまま、
「…こんな処で何をしているんだ?」
「んん、えっと…ちょっと眠れなくて」
散歩でもしていれば眠れるかなあと思ったんだと言って、吹雪は曖昧に微笑む。
(嗚呼、まただ)
初めて彼のプレーを見た時から感じていた違和感をはっきりと覚え、俺は眉を寄せた。次いで、キャラバンに乗り込む直前に鬼道に聞かされた話を思い出す。幼い頃に降り掛かった雪崩事故、そしてその後彼の内に生まれたもうひとつの人格。だがそれも、吹雪が抱える大きな闇の断片にしか過ぎないのだろう。ほんの少し齧った程度で難だが、彼の心的外傷はたった5分足らずで語られて良いものではないと思う。きっと、此方の想像を遥かに絶するような人生を送って来たのだろう。無論、俺の勝手なそれでしかないのだが。


一方、吹雪は黙ってしまった此方にどう対処すべきか判断し兼ねているようだった。豪炎寺くんはどうして?と言う吹雪の瞳は、不安一色に染まったままだ。無理もないだろう。吹雪も俺も、お互い出会って未だ間もない。
その上俺は、円堂を含めたチームメイトたちと違って述懐することが酷く苦手である。故に何事か落ち込む吹雪に対し、俺は気の利いた言葉のひとつも掛けてやれなかった。そしてもうひとつは、自他共に認める言葉足らずな俺の科白が今の吹雪にどのように影響するのかを俺自身が危惧し、相手の核心に踏み込めずにいたことがその一因だ。
結果、俺たちはバスの座席が隣同士ではあったが、こうしてふたりで直接言葉を交わすのは大海原中のグラウンド以来になる。

そんな諸々のことが頭を掠めていく中で、俺は「俺もお前と同じだ」と吹雪の問いに答えた。
「君も眠れないの?」
「ああ、バスの旅から遠退いていた所為だろうな。…身体の節々が痛くて上手く寝付けない」
苦笑を交えてそう言えば、吹雪はちょっと驚いたように目を瞬かせる。
「どうした?」
「え、いや…その、豪炎寺くんもそんな風に笑ったりするんだなあと思って…」
キャラバンの中でも、無表情でいることが多かったから。あ、でも全然そんな変な意味じゃないんだよ。
「ただ、…そう。僕と一緒だったからそう見えただけなのかな?」
一見何でもないように思えて実はとんでもないことを平気で吹雪は言う。どうも彼には、自虐的な傾向があるらしい。何となく、吹雪士郎という人間が見えて来た気がした。

「…そう言う吹雪はどうなんだ」
「え、」
「お前も、眠れないんだろう?」
何か理由があるんじゃないのか。
俺のその一言に、吹雪はあからさまに動揺を示した。俺が鬼道のように器用ではないことは、他の誰よりも自分自身がよく知っている。少々突っ慳貪な訊き方になってしまうかもしれないが、これが俺なのだから多少は大目に見て欲しい。

「余計な詮索をするようで悪いが、俺から見ても今のお前は不安定だ。…一体何があった?」
「それは、その…」
俺の追及に、吹雪は忽ち此方の視線から逃げるようにしてその顔を伏せてしまった。言い難そうに口籠もる吹雪は、言いたくないのか言えないのか。どちらにしろこの件に関しては畢竟、吹雪自身が俺には関係のないことだと一蹴すれば良いだけの話なのだ。それをしないで(もしくは出来ないで)沈黙を決め込むのは、彼の優しさ故なのだろう。
マフラーを握り締める吹雪の指先は、力を込め過ぎてすっかり白くなっている。苦し気に顔を歪める吹雪に、何が怖いんだと問い掛ける。
「お前は何を恐れ、何に惑っている?」
「……怖い…?」
だが吹雪は俺の質問に答えることはなく、ただその一言に僅かな反応を返しただけだった。しかしその直後、吹雪の様子が急変したことに気が付いた。
爪が深く食い込む程強く両の腕を抱き、忙しなく浅い呼吸を繰り返す。元々白い顔はより蒼白になり、その額には脂汗が滲んでいた。
「吹雪?」
尋常ではないその様子に彼の名を呼ぶが、吹雪はぶつぶつと呟きを繰り返すだけだ。
「怖い恐い、こわい?何がこわいって言うの怖くなんてないよだってアツヤが居て僕が居てふたりで完璧になるんだものだからこわいものなんてないそうない筈なんだでもアツヤが」
「吹雪、!」
このままではまずい。本能でそう直感し、反射的に俺の手が伸びて彼の肩を掴もうと動く。しかしその手は、吹雪自身によって撥ね除けられたことで直ぐ様行き場をなくしてしまった。


触るな、と先刻とは打って変わった低い声が飛ぶ。普段の吹雪からは想像もつかないドスの利いたそれには、今俺の眼前に居る『彼』が「彼」ではないことを判断する材料として十分過ぎるものがあった。いつの間にやら震えも治まった彼を見据えて「アツヤの方か」と確認を取る俺を、きりりと吊り上がった眉と橙色の輝きを放つ瞳が睨め付ける。『アツヤ』は、だったら何だってんだと忌々しそうに吐き捨てた。
彼はすっくと立ち上がり、付け入る隙を一切見せない素早い動きで此方との距離を取る。そのアツヤに「吹雪は?」と訊くと彼は訝しげに、俺が吹雪だろうと返して来た。
「違う、お前じゃなくて『士郎』の方だ」
「ん?…ああ、兄貴か」
此方の否定に漸く合点がいったらしいアツヤは、その視線を胸元に落とし、
「奥に引っ込んじまった、」
「…そうか」
しかし相手は俺の返事がお気に召さなかったようで、そうかじゃねえんだよと苛々と毒づき、
「ったく、余計なことしやがって…。やっぱり思った通り、お前が一番面倒だった」
「どういう意味だ?」
最後に呟かれた言葉の真意を汲み取り切れない俺に、相手は「お前には関係ないことだ」の一言で一蹴し、ひとつ鼻を鳴らした。
「ふん、まあ良い機会だ。豪炎寺、お前にひとつ言っておいてやるよ」
これは忠告だとアツヤは言う。そして、この時点で冒頭の一言が飛び出したのである。

「…何?」
「安っぽいそれだけで、兄貴を掻き乱すなって言ってんだよ。…判るだろ?今の士郎は、ただでさえ不安定なんだ」
優しくされたら、その分期待しちまうだろうが。
「これ以上、あいつが傷付く姿を見るのはもうこりごりだ」
そう言うアツヤは、その眉間に皺を深く刻んだ。何を回想しているのか、それも前後の会話から鑑みるにとても良い記憶だとは言い難いものだろうことが判る。
「お前だって、どうせあいつらと一緒なんだろ?中途半端な優しさは、兄貴には毒だ」
判ったら、士郎の前からとっとと消えてくれ。
末尾は、懇願にも近かった。その表情は、先刻まで表に出ていた兄のそれと大差なく。ただただ、綺麗に整ったその顔を苦しそうに歪めている。
(今にも泣き出しそうな顔をして「近付くな」「関わるな」、か)
説得力に欠ける。俺は、相手に気付かれぬようそっと嘆息した。それから、それ以後黙りになってしまった彼を見、口を開く。

「…お前の言う『あいつら』が誰を指しているのかは知らない。だが、それが俺が吹雪と関わることを禁じられる理由には到底なり得ないだろう?つまり、」
其処で閉口すれば、アツヤは早くもその先の予想をつけたのか、不快感を露に舌打ちする。
理解が早くて助かるな。

「…悪いが、お前の望みは聞いてやれない」

――本来ならば、俺は関わるなと言われた物事に無理に首を突っ込むようなことはしない。自ら進んで厄介事を被る行動を取りはしない。人は誰しも、そうであるだろう。
だが、今回俺が吹雪を放って置けなかったのは、紛れもない本心である。それがアツヤの言う安っぽい同情でないにしろ、何かしらの感情に起因しているのは確かだったが、ただその頃の俺には「それ」の正体を知る術がなかったのだ。



―――



どれくらい歩いただろう。
雨でぐずぐずになった地面を踏み締め、藍色の傘を傾けて眼前の建築物を仰ぐ。蔦の絡まり具合や塗装用の白いペンキが褪せていない点から、新築なのだろうことが窺える。
「…ジャパンエリアにも、こんな処が在ったのか」
その外観から、教会だと判断するのは容易い。それと同じくして、その両開きの扉がほんの少しだけ開いているのが見えた。建物内へと続く泥の足跡は、乾き切っていない。
まさか、と思う。

「……」
ずしりとした質量感を手に、その戸を開く。雨粒滴る傘を畳み、中へと足を踏み入れた。室内に淀む空気は、ひんやりとして冷たい。扉ひとつ隔ててしまえば、先程まで煩わしかった筈の雨音も遠くに感ぜられた。
「…吹雪?」
彼の名を呼びつつ、その姿を捜す。泥に塗れた靴底の床上を擦る音が、妙に耳についた。

「ふぶ、…!」

つと目線をずらした先、祭壇に寄り添うようにして小さく蹲っている吹雪を、漸く見付けた。


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