おめでとうございます、と半ば突撃するようにして豪炎寺たちに抱き付く後輩たちの眼には溢れんばかりの涙。そんな彼らに感化されたらしい円堂は同じように丸々とした涙の粒を瞳に浮かべ、その頭のひとつひとつをやや乱暴に撫ぜていた。そして、この日ばかりは正式な式典ということもあり、普段のゴーグルから眼鏡へ掛け替えていた鬼道も、音無に泣き付かれて困ったような、だが優しい笑みを零すと共にその紅い瞳を若干潤ませていたように思われる。
おしくらまんじゅうのようにして卒業を喜び合う彼らを一喝する夏未も、それを微笑みながら見守る秋も一様に目元を赤らめていた。各々が雷門中で過ごした日々に想いを馳せ、過去にその身を浸している。斯く言う豪炎寺もそのひとりであった。
「卒業記念のパーティーやるから、皆で雷々軒に行こうぜ!」
例年より早めに咲いた桜の下での記念撮影を終えた後、円堂は声高らかにそう宣言した。円堂曰く、響木が特別に店を貸し切って腕を振るってくれるのだそうだ。
腹一杯食うぞと浮き足立つ彼の後を、卒業生は勿論のこと後輩らも含めた雷門中サッカー部の面々が追う。
しかしそんな彼らとは裏腹に、豪炎寺は桜の木の側から動こうとしない。その場に佇んだまま、蕾を徐々に開かせつつあるそれをじっと見つめている。
はた、と彼に気付いた鬼道が、「豪炎寺?」と声を掛けた。それはしっかり豪炎寺の耳に届いたらしく、彼は律儀に顔を鬼道の方に向ける。
「お前は行かないのか、」
「いや、…後から行くから、先に行っていてくれるか」
少し用事があってなと告げる豪炎寺に、鬼道が深く追及することはない。豪炎寺の言う『用事』の内容が、皆目見当が付かない訳でもなかったからである。嗚呼、成る程とクスリと声を立てて微笑した鬼道は、
「…そうか。まあ、あまり遅くなるなよ」
「ああ、円堂たちにも宜しく頼む」
ひらりと手を振り、歩いて行く鬼道の背中を視線だけで追う豪炎寺。鬼道の姿が見えなくなった辺りで、さて、と再び桜へ目線を移した丁度その時、豪炎寺のズボンのポケットで携帯電話が振動した。おもむろにそれを取り出して開けてみれば、待ち侘びていた人物からの着信だった。人知れず切れ長の瞳が優しく細められ、柔和な笑みがその口端に浮かぶ。
彼の指先は、迷わず通話ボタンへと伸びる。一度軽く押してから、豪炎寺はそれを耳に宛てがった。それから、此方が口火を切る前に発信者の方が「出るのが遅いよ!」と痺れを切らせたように文句を垂れる。
『出てくれないのかと思ったじゃない、』
「ああ、悪かったな。吹雪」
さして悪いとも思っていない口調で言う豪炎寺に、吹雪は「絶対悪いと思ってないでしょう、君」と若干ぶすくれたような声を上げた。しかし豪炎寺はと言うと、電話口の向こうで不服そうに頬を脹らませているであろう吹雪の姿を脳裏に思い浮かべ、ただ微笑するだけである。もし、普段の豪炎寺を知る者が今の彼を見たならば「まさかあの豪炎寺が」と口を揃えて言うだろう。友人らの言動に微笑むことはあるにしても、このように表情を和らげている彼を見る機会など、そうあるものではない(彼の妹は別にしてだ)。

全くもう、豪炎寺くんは其処ん所変わらないんだからなあ。紡がれる言葉の割りに、吹雪の口調は至って穏やかである。
『久し振りだね。…って言っても、あれから三ヶ月しか経ってないか』
それでも、僕には異様に長く感ぜられたよと吹雪。でも、君はそうでもなさそうだねと言う彼に、そんなことはないと豪炎寺は思う。
豪炎寺が吹雪と最後に連絡を取ったのは、丁度三ヶ月前に遡る。FFI終了後、帰郷した吹雪と暫く続けていた電話やメールをそろそろ自粛しようかと言い出したのは、誰でもない吹雪本人からだった。豪炎寺も、その申し出を断ることはなかった。何故なら、吹雪のそれが、お互いが受験を控える身であり益々忙しくなるであろうこれから先のことを見越しての判断であることを豪炎寺自身が深く理解していたからだ。
諸々理由はあるにしても、暫くの間交流がなかったことに変わりはない。昨晩、吹雪から送られて来たメールを除いても豪炎寺が彼の声を聞き、言葉を交わすのはぴったり三ヶ月振りだ。それから余談にはなるが、そのメールの内容は『そっちは明日、卒業式だったよね?またその時に電話するから』という何とも曖昧なものであった。それに対し、豪炎寺が何時頃になるのかという返信をしたのだが吹雪からの返事は得られなかった。豪炎寺は、そのメールが夜中に受信されたこともあって、大方吹雪は上記の内容を一通り打った直後に眠ってしまったのだろうと予想を付けた。連絡を断ってから三ヶ月経つが、相変わらずマイペースな奴だなとあの時は苦笑を零す他なかったのだが。

「…お前も、いつ連絡するのかくらい返信してから寝ろ。気になって中々式に集中出来なかったぞ」
『あはは、ごめんね』
笑いながらそう言う吹雪の声に、反省の色は見えない。吹雪こそ、人のことを言える立場ではないだろうと豪炎寺は思った。
「……」
少し強い風が、豪炎寺の髪を撫ぜていく。それに少し眉を潜める彼の鼓膜をごうえんじくん、と同年代の男子より幾らか高い声が震わせた。
「…何だ、」
『えっとね、…卒業おめでとう』
「ああ、お前もな」
おめでとうと一言返すと、照れたようにありがとうと吹雪の声が豪炎寺の耳を心地好く打った。吹雪は、ふふ、と小さく声を立てて笑い、
『何だか、改まって言うと擽ったいよね』
「…そうか?」
『そうだよ。…前々から思ってたけど、君ってちょっと人と感覚ズレてるよね』
「お前にだけは言われたくないな」
からかうようにそう言えば「ええ、何それ酷い!」と不満げに吹雪。そんな彼に、だってそうだろうと豪炎寺は続け、
「お前と来たら何処か抜けてて、おっちょこちょいだし天然が入ってるしな」
『うう、言いたい放題…。豪炎寺くんの意地悪ー』
言い返す言葉も見付からないのか、とうとう吹雪は項垂れてしまったようだ。降下気味のトーンに加えて、何処か丸みを帯びたその声は此方からはくぐもって聞こえる。
それに、流石にからかい過ぎたかと思った豪炎寺は眉を下げ、悪かったと彼にしてみれば割りと素直に反省の意を口にした。
「あんまり面白い反応をするものだから。可愛いんだよ、お前は」
『……ばか』
そういうとこ、狡いんだから。何やらぼそぼそと呟く吹雪のそれは、豪炎寺でも聞き取ることが出来なかった。それに豪炎寺が聞き返すも、何でもない!という吹雪の一声で片付けられてしまって判らず終いだ。
そして吹雪は、はて、と首を捻る豪炎寺の興味を逸らすべく「そう言えばさ」と別の話題を切り出したのだった。
『豪炎寺くんはもう高校、決まってたりする?』
「…そのまさかだったら?」
『凄いよ!勿論、おめでとうって言うけど……それだったら推薦、だよね?』
「ああ、俺の場合は自己推薦だがな」
彼のその一言を受けて吹雪はあれ、と不思議そうに、
『自己推薦?豪炎寺くん、スポーツ推薦じゃないの』
君なら当然そっちだと思ってたのに。
「スポーツ推薦は円堂が取った。…俺は、あいつと同じ高校に進学する予定だからな」
因みに鬼道は高校から帝国学園へ戻るらしく、編入試験を受けたそうだ。これからはまた別々になるなと、鬼道が円堂に寂しげに告げていたのは今を以て記憶に新しい。

豪炎寺の話から近況を知った吹雪は、しみじみといった風にそっかあと呟いた。
「…そう言う吹雪は、もう決まったのか?」
『え、僕?…うん、まあ一応』
僕はスポーツ推薦。
『この前、結果が来たんだ』
「…そうか、おめでとう」
そう零す豪炎寺の表情は、心なしか薄暗い。此処は一緒になって素直に喜んでやるべき場面なのだろうが、それが出来ないのが彼の現状だった。
吹雪が志望校に合格したことに、不平不満があるという訳ではない。問題は、彼らを隔てているその距離にあった。
豪炎寺の住まう東京と吹雪の北海道は、目に見えて離れている。携帯電話で繋がっているとは言え、それもいつまで続くか。高校生になれば環境は一変し、それは交友関係にも及ぶと聞く。豪炎寺は、その余波が自分たちの関係にまで影響することを懸念していた。今まで吹雪に言ったことは決してなかったが、実を言うと彼は不安だったのだ。
そして、豪炎寺は吹雪と付き合い出してから自分について新たに判ったことがある。豪炎寺は、生まれてこの方他人に対して執着心を抱いたことがなかった(親族、とりわけ妹に関しては別だが)。詰まる所、人間関係で嫉妬の情を燃え上がらせたことが一度としてなかったのである。しかし豪炎寺は、吹雪と付き合う内に考えていた以上に自分が嫉妬深く独占欲の強い人間であることを知った。不可能は承知の上で、吹雪を独占したいとどうしようもなく思うのだ。
きっと吹雪は、時を経るに連れて美しく成長するだろう。これは予感ではなく、確信だ。その顔も含めて、吹雪士郎を構成するパーツのひとつひとつが綺麗に整っているのを見て、それもそう遠くない未来だと思ったのはいつだったか。
結局何が言いたいのかというと、そのように成長した吹雪を何処ぞの馬の骨とも知れぬ男たちの視野に入れたくないということだ。我ながら醜く愚かしい考えだと思う。がしかし、それは誰もが保有する感情のひとつだとも思うのだ。

「……」
男ならば尚のこと、持ち得る代物である。仕方ない、それは認めよう。
だが、だからと言って相手を自分の都合ひとつで振り回したり独占して良いものではない。両者の同意の下、制限付きにしろ漸くそれらの許可が下りる。欲望だけでどうにかしようなどと考える時点でそれは人間ではなく、ただの獣である。

「……」
『ね、豪炎寺くんは進学してもサッカー続ける?』
それに豪炎寺がひとつ肯定を返してやると、やっぱり?と吹雪は心なしかうきうきとした様子で、
『良かったあ、それならまた一緒にサッカーが出来るね』
「吹雪?…それはどういう、」
意味だ。
言葉が音に変わり宙へ放り出されるその前に、豪炎寺の背中に抱き付く誰か。腹の辺りに回された華奢な腕とそのシャツから覗く白い指先に、彼は見覚えがあった。
まさかと思って、豪炎寺は顔だけを以て背後を振り返り見る。すると、自分よりほぼ頭ひとつ分程低い位置に、間違いなくあのふわふわとした銀髪が在った。
「…ふぶ、き?」
「うん、豪炎寺くん」
呆然として携帯電話を耳から離す豪炎寺とは反対に、吹雪は満面の笑顔で相手を仰ぐ。
「どうしてお前…、北海道に居たんじゃなかったのか?」
豪炎寺もこればかりは事態を呑み込む余裕もなく、ただただその眼を瞬かせるだけだった。吹雪は、そんな彼の様子を見て「昨日まではね」と可笑しそうに言う。
「こっちには、ちょっと前に着いたんだ。吃驚した?」
「…吃驚した」
おそらく自らの悪戯が成功した時に幼子が浮かべるであろう笑みを湛えた吹雪に、率直な感想を述べつつ向き直る。こうして直接会うのは約一年振りになる。身長は少し伸びたのだろうか、しかしその柔らかな雰囲気や大きなエメラルドの瞳等々以前と比べて変わった所は何ひとつとしてなかった。
豪炎寺は、彼との邂逅に喜ぶのと同時に幾つもの疑問が胸の内に浮かび上がるのを感じた。
「よく此処が判ったな、」
「ふふ、君のことだから卒業式が終わっても、サッカー部の皆と雷門中に居ると思ったんだ」
でも来る途中で鬼道くんに会って、ちょっと慌てたけどね。
「鬼道に?」
「うん、もう帰ったのかと思ったよ。でも、鬼道くんが『豪炎寺なら、未だ雷門中に居るぞ』って教えてくれてさ」
僕、何も言ってないのに彼って凄いよねえ。
「それはまた…」
呑気にそんなことを言う吹雪とは裏腹に、豪炎寺は何とも言えず顔を歪める。


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