「あ、ナマエさん!」



新メニューなんて食べる側は幸せだが、作る側はその逆だ。
なんとか午前の分はキリのいいところまで終わる事が出来たけども、早朝から皆道具を引っ掻き回して「あれがない、これじゃない」だのそこら中を走り回った。
分担作業とはいえ、一日に千個単位でケーキ作りなんて生身の人間がやる事じゃないと再度認識させられた。作りなれない物はやっぱり、慣れるまでが地獄だ。
そんなこんなで食堂で午後の事を考えながら頬杖をついて昼食を食べていると、いきなり名前を呼ばれ後ろを振り返る。
同じ厨房内の先輩が「よ!」と手を上げて近づいてくるのを、席をつめることで隣に腰掛けるのを促した。



「あのさ、昨日もしかして残業してた?」

「あ、いえ。ただ最終時間まで少し残ってましたけど」

「じゃあさ、3階の休憩所に夕方居たのって」

「ああ。はい、居ましたよ。ご飯食べてました」

「やっぱり!」



ぐいっと顔を寄せられ、おもわず後ろへ上半身を仰け反らせて間を取る。
好奇の目で見つめてくるその表情にただならぬ何かを感じて、嫌な汗が背中を伝った。



「昨日一緒に居た人、ズミさんでしょう!」



ズ、ズミさん?
誰の事を言っているのか。聞き覚えの無い名に首を傾げていると、先輩はヤダナマエさん!と声を上げた。



「彼を知らないの?」

「えーと、すみませんまだお会いしたばかりで名前も知りませんでした・・・」

「信じられない。本当にあなたってお菓子馬鹿なのね」



お菓子馬鹿。
グサリと図太い矢が胸に突き刺さり、俯きながらこっそり溜息を吐く。
そうか、私知らない間にお菓子馬鹿とか言われていたのか。
確かに世界に認められるパティシエになりたいと勢いでカントーからわざわざカロスに飛んできたから、あながち間違いではないが。

若干落ち込み気味の私に気付いたのか、後ろから いい意味でだからね と慰める声が慌てて付け足される。



「あんたの努力は、皆が認めてるわ」

「ど、どうも」

「ちょっと愛想が無いけど、でも私はそこが可愛いと思うわ」



白い肌に茶色のそばかすが可愛らしい外見に似合わず姉御気質な先輩は、誰からも慕われている存在だ。
あまり今みたいに面と向かって話したことは無いが、チェック等は殆ど見てもらっていたから分かる。この人は本当に凄い人だと。
全てプロから教えてもらえるわけではない、見て盗め、をここで最初に教えてくれたのは、彼女だった。



「で、どうやって知り合ったの、ズミさんと」

「え、や、あー・・・」



鋭く光る瞳には、困り顔の情けない自分の姿が映っている。
どうしたものか。
またあの話をすると思うと胃が締め付けられそうになった。
先程目の前の人に 愛想が無い、と言われたばかりなだけに尚更口が重くなる。
年々人付き合いが下手になってきてる自分を自覚していても、それをどうにか出来るわけでもないし。



「たまたま、その、厨房に居て」

「どこの」

「え、うちの・・・」

「ズミさんが?!」



ありえない! 目を見開いてそう叫んだ先輩が今度は後ろへ仰け反った。
嘘は言っていない。が、ここまで反応が大きいと少々自分の言った事が不安にもなってくる。
なによりズミさんとは、いったいどんな人なのか。

ここで改めて自分は何も知らな過ぎると、今まで気にも留めなかった事実を突きつけられる。
人と最低限喋ってこなかったから当然の報い、の筈なのに。どこか片隅で、すっぽりと穴が出来たような寂しさが滲んだ。



「ズミさんはペストリー担当じゃないのに、何で厨房にいたのかしら」



え、と声をかけようとしたのと同時に、彼女は急に慌てた様子で席を立ち上がった。
しまったとうわ言のように呟いた後、謝るような仕草で私に両手を合わせる。



「午後の分の伝票を任されていたのすっかり忘れてたわ・・・休憩中に確認しないといけないから、行くわね」

「あ、あの」

「また仕事が終わったら、食事でも行きましょナマエさん!」



意外と喋ってて楽しかったし!そう言い残して颯爽と駆け足で厨房へと戻って行った先輩の後姿を、困惑の表情で見つめることしか出来なかった。
彼。ズミさんがペストリーの人じゃなかったってどういう事なのか。

ここのホテルはとにかく広い。そして職員もそれに比例して大勢いる。
同じ部門担当でもいくつか厨房が分かれているから、顔を合わせたことの無い人だって当然居る。
だから知らなくてあたり前だと思っていた。


だが今の彼女の一言で、今まで頭にかすりさえしなかった疑問がぐるぐると加速して渦巻き始める。
あの時彼の技術を、この目でしっかりと魅せられていた。寸分の狂いのない手捌きを、あの光景をしっかりと焼き付けていた。



「じゃあなんであそこで、・・・」



思えばあの時、試食してた時は二人だけだった筈なのに。
いつからズミさんは居たのだろうか。




どうしてまた、私なんかに話しかけてきたのか








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