「お疲れ様です」



先輩上司達に挨拶をしながら、片付けや残業作業で慌しい厨房の間を早歩きで駆け抜ける。
とにかく急ごうと更衣室ロッカーから自分の荷物を腕に引っ掛け、先程メモしたばかりの手帳を流し見ながら職員の休憩場所へと走った。
時間が時間だけに人は数人居るか居ないか。
残業前合間に珈琲を飲んでる人達の中、手前の机に弁当箱を置いて私も着席をする。



「いただきます」



自宅で作ってきた手作り弁当の中身を周りの目も気にせず、急いで口の中に放り込みながら先程の手帳を見やすいように近づける。
先輩が言っていた事、クリームの味と色、ソースの中身、ぐちゃぐちゃに書き殴った黒字はきっと私以外理解できない代物だ。
それを頭の中に詰め込みながら、口にはご飯を詰め込む。同時に吸収していくその様は器用というよりは奇妙に近い。

なるべく文字に集中したいという気持ちが勝り、大雑把だができるだけいっきに口に入れて箸の動きを止める。
頬を膨らませながら手帳を睨んでいた私に声をかけるどころか、近づこうとする者は勿論いない。
最近こんな事ばかりをしているせいか、最初は時間いっぱいまで休憩をしていた人達も何故かそそくさと厨房へ戻っていった。
おかげで今みたいに遠くの席に数人いる程度になってしまったが、逆にこれが少し有難いとも思ってしまう。

捻くれてるな。

きっとみんな可愛くない後輩だと思ってるに違いない。


頭の隅で少しそんな思いをチラつかせている時だった。私の前に、何かが置かれる音が聞こえてきた。
椅子と床の擦れる音に疑問を抱いて手帳を顔から退けて見てみると、ぐっと口の中の物が喉の手前でつまる。
見開かれた私の目にしっかりと映るその金髪と三白眼に、力が緩まった手元から手帳がゆっくり滑り落ちた。



「デデン・・・」



途中まで呟かれた小声を誤魔化すように「相席宜しいですか」と口早に言い直したのは、この間厨房で見た青年だった。
口が空かないので頷いて許可を告げると、どうも と軽く手を上げて彼は席に着く。

そうか、今の私ってネズミに見えるんだ・・・。

なんだか複雑な心境になり、次から口に入れる量を少なくしようと箸を持ち直す。
落としてしまった手帳を拾い、いまいち集中力に欠けてしまった頭に再びミミズのような字を記憶させていくが、どうにも彼が気になってしまう。
今度は食べる事に集中し、流すように文字を見ていると自分に突き刺さる視線を紙越しに感じた。



「な、何か」

「あなた、何処の厨房の方ですか」

「え、えっと、ぺ、ペストリーです、が」



何でそんな事を聞いてくるのかと疑問を抱いていると、彼の視線が私の手元にいく。
ゆっくりと見開かれていくその瞳に気恥ずかしくなり、そっと手帳を見えないように隠した。



「昨日のアレは、仲間割れですか」

「み、見てたんですね、やっぱり・・・」

「ええ、騒がしかったので」



一部始終を見られているからには渋っても無駄だろうし、ここは素直に話した方が利口か。
今更恥ずかしがるのも遅い気がするし。
あまり気は乗らないが、少しずつ昨日の事を思い出していきながら重い溜息と共に箸を置いた。








「昨日仕事が終わった後、同期の子から試食して欲しいって言われて」



見た目は綺麗なスイーツだった。
ただスプーンを通した瞬間、手元に伝わってくる感覚でなんとなく予感は出来ていた。
口に入れた瞬間のボソボソ感。クリームの固さも微妙で、上に添えられたオレンジの果汁で下の生地がぐっちょりと台無しだった。

だから私は正直に、言ってやった。彼女の為にも。



「まずいって言ったら、まあ、ああなってまして・・・」



気付いたらクリームを冷やすために使われていた氷水をボールごと被るはめになっていた。
元々彼女とはどこか合わないなとは思っていたし、何よりあの子は自分が可愛くてならないのだ。
あの日からお互い喋ることも無ければ目も合わない。ただ周囲の男性に甘え上手なあの声だけは嫌でも耳に入ってくるから、不快でならなかった。

思い出すだけで胸焼けがするようだ。
ペットボトルの蓋を緩め、お茶を勢いよく呷ると黙って聞いていた彼が溜息を吐いた。



「料理はいわば、ホテルの顔です。その自覚もない者に、一流の職人を名乗る資格など無い」



彼の珈琲を持つ手にぐっと力が入るのを見て、何故か胸の奥に込み上げてくる暖かい物を感じた。
料理に対する情熱、愛情。それがこの人からは一際強く感じられる。
こういう人の元で働ける人は、きっと良い腕に育つに違いない。ここのところ忘れていた何かが、胸いっぱいに広がった。



「でも、ちゃんと厨房には頼りになる先輩やシェフが居ますし、一応言われた仕事はこなしてるみたいです」



私が所属する部門、ペストリーはお菓子を作る厨房であり、またその中でも販売とパーティー用のデザートの製作するチームに分かれている。
このホテルに入社して1年が経つが、私は変わらずに販売用のケーキを作る日々を過ごしていた。
特にシーズン近くなると予約は殺到し、ピークが過ぎるまでほぼ毎日残業で追加を作っている。いわば持久力が問われる場所だ。

今日は今日で新しいメニューの入替準備だとかで、作業場はつも以上に慌しかった。



「あ、そうだ新メニュー!」



ハッと立ち上がり、時計を見る。
忘れかけていた大事な事を思い出し、食事はまだ残っていたが急いで蓋をして鞄にしまう。
帰宅時間まで後2時間。それまでの間、許されたスペースで練習をしなければならなかった。



「ごめんなさい、私行きます」



口早にそう言い残し、余った時間を計算しながら脇目も振らずに廊下を全速力で駆け出した。

明日までに言われたクリームの飾りつけの位置を完全に自分の物に出来るよう、何が何でも習得しなければ。
髪をしっかりとまとめ上げ、時々鏡のように反射する物さえあれば立ち止まって手早く確認する。

日頃の努力は必ず実を結ぶ。
駆け出しの私にとって一日たりとも気の抜けないこの大事な時期を乗り越えなければ、一人前にはなれないのだから。




「あ、名前聞いてない・・・」









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