「よく食べきりましたね」



感心してるのか、それともそこに呆れも交えているのか。
まじまじとこちらを見ながら言う彼に、忘れかけていた羞恥心が再度襲い掛かった。
それでもお腹が満たされた今、あの瀕死寸前の胃からくる苦痛よりはマシだとなんとか平然な装いを保っている。

朝時間がない時でも、ジュース一杯ぐらいはこれから飲めるようにしておこう。
さっそく今日の帰りにでも買いに行こうかな、と思考を巡らせていると またしても嫌な視線が突き刺さるのを感じた。
ゆっくり目を前方へ戻すと、新人の子なら走って逃げそうな鋭い眼力でズミさんがこちらを見下ろしている。



「食欲があるのは良い事ですが」

「はい」

「もう少しよく噛んで食べなさい」

「え、ああ・・・」



予想だにしていなかった言葉に、間抜けな声が出てしまった。
食事を急いで食べる行為は時間をなるべく無駄にしたくない私の癖であり、ちゃんと自覚はしていたが他人から指摘されるのは初めてだ。
友人や親でさえ気にかけなかった事までしっかり見ているのは、はやり料理人としての意識が人一倍強いだからこそなのか。
すみません、と小さく呟くと何故かズミさんがこちらを凝視しながら考え込むような仕草で腕を組んだ。



「・・・少し、質問しても宜しいでしょうか」



またしても私は目を瞬いて固まってしまう。
何でも知り尽くしてそうな人が凡人の私なんかに『質問』をするだなんて、それこそ自分にはその真意は到底理解できない。
それに今日はいつも以上にズミさんから話を持ちかけられる気がするのは、何故なのか。

(なんだろう)

今日の相席も「座らされた」というようなやや強引さも感じたし。
そっとズミさんの顔を窺うが彼はいつもとなんら変わりなく、静かに私の返答を待ってそこに座っている。
だがその不審げに探る表情を感じ取ったのか、少し潜められたズミさんの眉を見た瞬間にモヤモヤとしていた考えも吹き飛んで勝手に口が動き出していた。



「は、はい、答えられる範囲なら」

「先程の食事は、いかがでしたが」

「えっと、・・・凄く美味しかったです。メインのソースが前と違ってましたけど、今日のトマトベースの方が私は好きでした」



ついさっき味わった感覚を思い出しながら、「それから」と一つ一つ声に出して伝える。
きっと彼の考えてることを私なんかが予想できる訳もないし、もうこの際強情になるのを諦めた。
故郷では散々評論家じゃないんだからと周りに揶揄され言えなかったが、今なら我慢して心の中に押し留める必要も無い。
せっかく同士がいるこの職場に友人も居なければ自分から先輩上司に話しかけにいけない私が、初めて意見を言えている。そのことがあってか気が付いたらついつい口が止まらなくなってしまった。
これぐらいかといったところで最後まで黙って聞いてくれていたズミさんが小さく頷き、「そうですね」と呟いて顔を上げる。



「苦労して作り上げても、すぐに胃へと消えてしまいます。それでも僅かな一時のために、腕を極める職人の努力は無駄ではない。生活の中で欠かせない食事に至福を求めてる人へと応える料理人の心意気を、感じられない者も居る」

「は、はい」

「ですが少なくとも私は、あなたからそれが感じ取れました」



思いもよらぬ彼の言葉に、今度こそ表情丸出しで呆気にとられてしまった。
知らぬ間にズミさんの顔を黙って見つめていたのか、彼は不自然に視線を逸らして咳払いをしていた。



「分かるんですか?」

「隠してるつもりかもしれませんが、あなたは顔に出やすい。特に食事の時は」

「え、・・・え!」



凄まじい速度で顔に熱が集まり、恥ずかしさに耐え切れずに手で覆いながら俯いた。
人の居る場所では極力気の抜けた顔をしないようにしていたのに、それが出ていただなんて。
ズミさんに見られ緊張しながらもしっかりとその味を堪能したのが言い逃れようの無い事実なのか。そう言われれば無意識に出ていたのかもしれない。
ゾワゾワと背中に何かがはしる感覚に一人で煩悶していると、不思議そうな顔をしているズミさんと指の隙間から目が合ってしまった。



「あ、の、ズミさんって、人を観察するのが、その・・・趣味とか、なんですか」

「・・・・別にそのようなことはありませんが」

「じゃあ、なんで」



そんなに私を気にかけてくれるんですか。
出かかった言葉を寸前のところで止め、口を固く閉ざす。もしかしたら、私の勝手な思い過ごしかもしれない。そうだとしたら、これ以上の羞恥に今後耐えられる気がしなかった。
でも初めて彼と会ったあの日から、毎日とは言わないがよくすれ違ったり見かけたりする気がしてならない。
偶然なのか、それとも私が意識しすぎているだけなのか。
一人悶々と考え込んでいると、ズミさんが食堂の時計を見上げながらゆっくりと席を立った。



「長話してすみませんでした」

「い、いえ。そんなことないです」

「今度からはもう少し時間をかけて、しっかり噛んでください」



またしても細められた目に、おもわず下唇をぐっと噛んでしまった。
さすがズミさん、話が逸れても最後まで抜かりがない。
そして自分の空き皿を片手に、さり気なく私の分のトレイまで下げようとしてくれてるズミさんに慌てて静止の手を伸ばすが、どこか威圧の含んだ眼差しに見下ろされ中腰のまま彼を見上げた。



「食後に急いで動くのはよくありません」



休憩がまだあるなら座ってなさいと付け足された言葉に、か細く返事をしてゆっくりと着席した。
時々彼から垣間見るこの険しい表情はいったいなんだろうか。いつも落ち着いた余裕さしか感じ取れなかった私には少しの違和感があったが、それもこれも全部人の為を想ってか。
その厳しさが彼なりの裏返しの表現法なのか分からないが、先程分けてもらったパスタも、その時の表情も。私はそこから彼の優しさを微かにだが感じれた。
そう思うとやはりズミさんは優しい人だと思う。見た目の印象と反したその内面は、少ない時間ながらもすんなりと受け入れることが出来た。



「では、また」



背を向けて去ろうとするズミさんの言葉に、微かに肩の力が入る。
一瞬のその引っ掛かりが頭の中で何度も駆け巡り、気付いたら私も椅子から立ち上がっていた。



「あ、あの」



咄嗟に出た静止の声に、おもわず口元に手をやるが遅かった。



「なんでしょう」



振り返ったズミさんの顔を見つめ返しながら、無意識に掌を強く握り締める。
彼の「また」の言葉に思い留まっていた疑問が、気付いた時にはつい口から漏れていた。



「最近、よく見かけるのは、その・・・気のせいでしょうか」



遠回しで尚且つ歯切れ悪く、それでもしっかりと彼の表情を見上げながら最後まで思ったことを言いきる。
その時微かに目元が揺らいだのを、私は見逃さなかった。



(ズミさん・・・?)



何故だがその表情に一瞬息を呑んで、私は彼を見つめる。
だが少しの沈黙の後に、すぐさまいつもの顔に戻ったズミさんは平然とした態度で私を見下ろした。



「同じダイニングで働いているから、ではないでしょうか」



もっともらしい事を言い残して、今度こそ彼は厨房へと戻っていってしまった。
扉を過ぎ、廊下へと消えていくその背中を見つめながら思考を巡らす。

やはりあの日メイン場所へ入っていったのは、あそこが彼の作業場だからなのか。
確かに私は販売用の厨房から今いるコース料理の場へと異動したが、本当にそれだけとは考え難い。
同じメインダイニングでも厨房は幾つか別れているから日常的には会わないものの、それでも一歩外へ出ればズミさんとこうして話す機会が増えたのは明確だ。

人に気遣いしているだけで、まさかこんなに対面するとも思い難い。



「分からない」



去り際に見たズミさんの表情が、ずっと頭から離れなかった。







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