【第6話:累月に折り重ねては見えたもの】

溜息を、一つ吐く。生きるという行為が、とてつもなく面倒臭くて難解だと理解した。

人に使われるだけが使命である、と。そうして造り出されたモノが自分一人の意思のみで生きていくのは、生まれたての小動物がいきなり野っ原に放り出されるのと等しい。マニュアルみたいなものがあれば楽だと思った。だが人生というのは、そう単純なものではない。

『人生は坊主めくり』と断言した三蔵の発言が正しいのか分からないが、人生イコール日々博打と思えば、とりあえず間違いないらしい。



「おい!紫雨!」
「……はい?」
「チョロチョロ動き回んな!」

視界に入る場所に居ろ。いちいち振り返って確認するのが面倒だ。後ろを歩くな、前を歩け。

注文の多すぎる三蔵に、早速掴まれたフードに軽く首が絞まった。矢継ぎ早に口から飛び出す要求に、軽くげんなりとする。

町の人波に紛れて行方をくらましてやろうか、なんて初めは考えた。けれども『刀は置いていけ』と言った三蔵のせいで、その計画は御破算になった訳であるのだが。とんだ計画クラッシャーが近くに居たものだ。

「三蔵。お団子奢って」
「飯をまともに食わねえ奴に食わせる菓子はねえな」
「ケチだなぁ。まあ、言ってみただけだけどさ」
「少し粘るくらいの根気を見せたらどうだ」

拾われてから、初めて外に出た。理由は特にない。強いて言うなら、寺にある今までに読んだことのない書物の内容の方が魅力的だっただけの話だ。

寺院内では好きにしてもいいが、代わりに敷地外には出るな。しつこく念押しされていたのは、外の危険を慮ってのことだろうと後々思い至る。

無論、外に出る選択肢が頭から排除されていた私にとって、忠告は無意味であった。ともかく、結果オーライというやつだ。

「ひとつ聞いていい?なんで上着が白なの?」
「目立つから丁度いいだろ、すぐ迷子になりやがるし。しかも、真冬にブラウスとスカート一枚で彷徨くバカなんざ居ねえんだよ。凍死してえのか」

血で汚れ尚且つズタボロとなった服は、ボロ雑巾として再利用するにも不可能な有様だった。必然的にゴミ箱行きとなった服の代わりに三蔵の着物を借りていたが、如何せん男物には手を焼いた。着崩れまくる、裾を踏む、挙句の果てには転ぶ。

見てられるかと痺れを切らした三蔵に、服を買いに行くぞと惰眠を貪っていたところを蹴り起こされたのが正午過ぎ。そこでようやく町の案内も兼ねて、有無を言わさず外へと引っ張り出された。

ちなみに財布は追いかけられていた最中に落っことして行方不明になったから、すべて代金は三蔵が自腹で支払った。とんだお人好しである。

「格好、変じゃない?」
「安心しろ。どっからどう見ても白いうさぎだ」
「うん?貶されてる?」

白のブラウスに黒のスカート。手首の、お前が普通に生きることは許さないとでも言うかのような、静かに主張する傷痕は無闇に晒すものでは無い。覆い隠した服の袖に、やっと肩の力が抜けた。

ようやくいつもの格好に戻り、満足して会計に向かおうとしたところで、腕が引っ張られ売り場に連れ戻された。飾り気が無いなど文句を言うから、黒のリボンタイを結んだ。それでも満足しなかった三蔵に、空色のガラス玉の極々シンプルなピアスが押し付けられた。せっかく穴が空いてるんだからつけろ、とは酷い理屈である。

散々要らないと言ったのに、真冬に防寒着も着ず歩く馬鹿が何処に居るのだと喚く三蔵によって、白の厚手のコートは無理やり着せられた。よりにもよって汚れの目立つ白を選んだ三蔵の神経を疑うが、どう考えても雪の中でぶっ倒れて死体になりかけていた私が悪い。

「へえ……三蔵法師って、意外と薄給なんだ」
「一文無しのテメェが言うのか」
「給料上げてって交渉してあげようか」
「三仏神はお前の友達か?」
「…………誰それ?三蔵の上司?」

図らずしも会話の流れで、三蔵法師の給料事情を知ってしまった。民のための慈善事業だから、どれだけ身を粉にして働いても、そこまでの給金は手に入らないらしい。

三蔵が民のために働いているかどうかは置いといて。三蔵法師になるだけで大金を貰えるとなれば、それはそれで大問題を引き起こしかねないから、これはこれで釣り合いがとれているのかもしれない。

とは言え。滅多に使う機会のない三蔵の給料を、過去一番使った人物が本人以外であるというのは、いささか問題だと思う。

「借りたお金は全部返すから」
「見た目が十三、四のガキを雇う店なんざ、この町にはねぇぞ」
「誰かに雇ってもらうつもりは無いよー」

町の探索に、音を上げたのは三蔵の方が早かった。途中から案内役を連れ回し、あげく好き勝手に歩き回った。休憩を声高に主張する三蔵に、半強制的に甘味屋へと引きずり込まれた。

服の会計後にもぎ取ったレシートを広げ、当初の算段から数倍に膨れ上がった借金を指折り数える。

甘ったるい団子を、これまた三蔵の奢りでご馳走になりながら隣の顔を見上げれば、良くも悪くも予想通りな三蔵の顔が飛び込む。

「なに言ってんだコイツ?って、絶対思ってるでしょ」

哀れみの目を向けるのをやめてほしい。冷ややかな視線を受け流しながら、モチモチとした団子を咀嚼する。

真昼間から町中で刀を持って歩こうとするバカ。冬場にも関わらず、ブラウス一枚で外を彷徨こうとするバカ。正直、何度怒られたか(正しくは三蔵をヒヤヒヤさせて怒らせたか)覚えていない。

どうやら私は、他人に比べて、危険と安全の境界線が実に曖昧らしい。普通は危ないからと踏み止まるところを判断できず、平気で足を踏み入れようとするから周りが焦る。

首根っこを引っ掴み、頭を引っぱたき。その都度、ここから先は危ないんだと境界線を明らかにしてみせるのに忙しい三蔵が、またかと言わんばかりの表情で即答する。

「当たり前だろ」
「失礼だなぁ。お金さえあれば簡単に生きていけちゃうあたり、この世の憎いとこだと思わない?」

名前すら知らない奴の刀と、無駄に飛び抜けた戦闘能力だけは裏切らない。自身の身を守るべく、今は閉鎖しているはずの研究所の情報を地道に集めつつ、それだけでは食っていけないから情報を売って生計を立てる。

薄汚い裏社会に足を突っ込んでも、殺戮兵器としての役割を金の等価として差し出さなかった理由は、自分でも分からない。滑稽にも私を守ってしまった奴が、最期まで望まないことだったからか。単にその日暮らしができる以上の金銭には、興味が無かったからか。どちらにせよ、気が向かなかっただけの話だ。

「細かい話は省くけど。依頼人に確実な情報さえ渡しさえすればお金になるし、同時に信用も得られるから。身体売るよりか効率的でいいよ、情報屋」

金銭関係だけで成立する関係ほど、楽なものは無いのだ。金銭だけで繋がる依頼人との間には、人間関係という煩わしいものは存在しないから、余計なことを考えなくて良い。

ただ、要求された情報さえ渡し、報酬のやり取りができれば、仕事は成り立つ。

「何処がだ……失敗したら代わりに命取られるとか、リスク高すぎんだろ。自虐趣味でもあんのか」
「あるわけないでしょ。変な性癖押し付けないで」

三蔵と遭遇した時の状況が最低最悪であっただけで、毎日デスレースはこっちから願い下げである。それなら、鬼の形相の三蔵から逃げ回る方がまだマシだ。

「……情報屋、か」
「今頃、アイツ死んだんじゃね?って、噂流れてそう。半月強?一月弱?は仕事受けてないし、昔のツテ辿らなきゃ。家も探したいし」

そう低く呟いた三蔵の意味深な顔付きを、手元に視線を落としていた私は見過ごした。微妙な期待混じりの声に軽く訝しみながら、珍しさに驚いたのだろうと、つっかえたものを咀嚼して言葉を続ける。

別に好き好んで群れたりしていたわけではないが、一人で得られる情報には限りがある。時には商売敵ともなるが同業者、そうでなくとも情報提供者という横の繋がりは、持っておいて損は無い。

「どのみち、団子屋の店内でする話じゃねえな。どう考えても俺の給料事情より数倍生々しいだろ、この話」
「……そう?普通だと思ってた」

押し付けた団子の後片付けをするハメになった三蔵が、最後の一本となった裸の串を皿に置く。

「他に用がねえなら寺院戻るか」
「だいたいの町の様子は頭に入ったし。それでいいよ」
「帰ったら、地図でも見返しとけ」
「馬鹿にしてる?」

表通りだけでなく裏通りまで、親切にも教えてくれたおかげで、町の構図はある程度は理解した。たとえ何かあったとしても、他人の助けなしに逃げることはできるはずだ。

それから。寺を出る準備もしなければ。

寺院内で情報屋を開いて、商売する気にはならない。恐らく邪魔だと思っているだろう坊主どもに、次は何を言われるか分からないし、血なまぐさい話とは常に隣り合わせだ。警戒しておくに越したことはない。

「家賃ってどれくらい掛かるんだろ…………お金、足りなさそう。野宿は嫌だな」

両手の指では足りなそうな、積み重なった借金に溜息を長々と吐く。兎にも角にも、仕事のできる環境を作らねば。話にならない。

半月仕事を詰めれば、何とか借りた金銭は返して、三蔵の手を借りずに生活していける程度にはなるかもしれない。いや、それでもギリギリか。

「チッ……」
「ほーら。仕事、サボるから」
「急ぎのやつは片してきただろ」
「知らんよ。仕事の内容まで」

悶々と計算を巡らせていた思考に、苛立ち混じりの舌打ちが割って入って、原因を探るべく顔を上げる。見えてきた寺院の入口には、主の帰りを待つかのように彷徨いている坊主の姿があった。三蔵を置いて、塀を越えて中に入ろうと地を蹴れば、同時にフードが掴まれる。

「テメェも一緒に怒られろ」
「……三蔵も塀を越えればいいんじゃないかな?」

犬のリードよろしく、フードを掴んで離さない三蔵とギャイギャイ騒げば、当然の如く坊主にも気付かれる。

災難続きだ。全力で巻き込もうとする三蔵のせいで、逃走が叶わなくなったのはいったい何度目だ。

累月に折り重ねては見えたもの

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